Special
rieco 『Shining』インタビュー
音楽産業不況時代に現れた希望!?
YUI、絢香、家入レオなどに続き、今年7月にメジャーデビューすることになった音楽塾ヴォイス出身のシンガーソングライター rieco。苦しみをピアノに叩き付け、マイケル・ジャクソンのポスターに「おやすみ」と言っていた小学生時代。ホイットニー・ヒューストン主演映画「天使の贈りもの」に感銘を受け、ヴォイスのドアを叩いた中学生時代。そして、下積み時代を経て、ようやくメジャーデビューすることになった彼女は、資生堂「ホワイトルーセント美白ケア向上委員会」イメージソングになるほどの輝きを持つ、希望の曲『Shining』でメジャーデビューを果たす。
夢はディズニーとグラミー。“音楽産業不況時代に現れた希望”にも成り得るかもしれない彼女のドキュメント、ぜひご覧下さい。
天井に貼ってあるマイケルに「おやすみ」
--YUI、絢香に続き、つい先日、家入レオさんにもインタビューさせて頂き、音楽塾ヴォイス出身のアーティストとは縁があるんですけれども、その誰とも似ていない逸材が出てきたなと感じております。そもそもヴォイスのドアを叩いた要因って何だったんでしょう?
rieco:最初、鍵盤楽器を4才から弾いていたんですけど、それだけでは自分を表せないなと思ってて、ダンスとか演劇とかいろんなことに手を出して。で、ある映画を観て「歌いたい!」と思ったんですよ。その日に新聞をパッと広げたら「歌い手になりたい人、募集」って書いてあって、応募して行った先のタレントセンターに西尾芳彦先生(音楽塾ヴォイス塾長)がいらっしゃって。そこで「新しくヴォイスを立ち上げる」と聞いたので、ドアを叩かせてもらったんです。
--これだけ魅力的な女性アーティストを輩出している音楽塾って珍しいと思うんですが、ヴォイスってどんなところがスペシャルなんですかね?
rieco:真剣さが凄いんです。私が入ったばかりの頃は西尾先生ひとりで教えていらっしゃったんですけど、レッスンルームは戦争の部屋みたいな感じで、みんな血眼になって理論とかいろんなことを覚えるんです。で、帰るときには「寄り道しないで、まっすぐ帰って今すぐ復習しろ!」みたいな(笑)。だから生半可では続けられないんです。本当にプロになりたい人たちが一生懸命に頑張る場所。そこで私は作曲について学びました。
--そのヴォイスに入る前。プロフィールによると、4才でドリマトーン(電子オルガン)を習い、その後もジャズダンス、クラシックピアノ、ジャズピアノ、パーカッションと、幼い頃からいろいろ学び過ぎだと思うんですけど。
rieco:(笑)。別に親が英才教育の人だった訳じゃないんですよ。最初のきっかけは、4才のときにNHKの「おかあさんといっしょ」を観ていて、子供たちがわぁ~って真ん中に集まるときに、後ろでオルガンを弾いているお姉さんがいたんですよ。それで、お母さんに「あれがしたい!」って言って、次の日からカワイ音楽教室で習い始めて。私はやりたいと思ったことは手を出さないと気が済まないタイプなので、その後も「太鼓やりたい」「演技もやりたい」「ダンスもやりたい」ってなってきて、その度にちょこちょこ習わせてくれたんです。
--めちゃくちゃ理解のある家庭じゃないですか。
rieco:親は「何でもしたいことはやれば?」っていうスタンスだったんです。で、ダンスを習っているときにマイケル・ジャクソンの曲で踊っていたので、シンガーソングライターに興味を持つようになって。
--凄いですね。小学生なんて遊びたい盛りじゃないですか。音楽より友達とワイワイ遊んでいたい欲求はなかったんですか?
rieco:週に3,4回は何かのレッスンが入っていたので、友達と遊ぶことはほとんどなかったです。それより音楽がやりたくて。学校でちょっと嫌なことがあったとしたら、家にまっすぐ帰って「こんな嫌なことがあったんだ~!」みたいな感じでピアノを2時間ぐらい弾いてましたね。悲しい日は泣きながら、嬉しい日は笑いながら。それが今の作曲になんとなく自然に繋がっている。
--では、習わされてるというよりは、楽しんでいたと。そして友達は少なかったと。
rieco:そうですね(笑)。
--そして中学生へ。riecoさんが中学生の頃ってどんな音楽が流行っていたんでしょう?
rieco:スパイス・ガールズとかバックストリート・ボーイズとかが流行っていました。私もそういうティーンの子がハマる音楽も聴いていたんですけど、小学生で知ったマイケル・ジャクソンとかマライア・キャリーとかが好きでした。マイケルに関しては、初めて聴いた次の日にCDを全部買いましたからね。もう聴いてるとドキドキしちゃって、朝から晩までマイケル尽くし。部屋もマイケルのポスターがぶわぁ~って貼ってあって、天井に貼ってあるマイケルに「おやすみ」って言ってました!
--完全にオタクじゃないですか。
rieco:そうですよ!
--それは友達できませんよ、音楽にしか興味ないんだもん(笑)。
rieco:小学校の頃から知っている友達は、私がデビューするのを知って久しぶりに連絡してきたんですけど、「まーだ音楽やってたの!? しかもデビュー!?」って言ってました(笑)。
暗黒時代の訓練→下積み時代を耐えたタフさ
--オタクが夢を叶えたイイ話じゃないですか。そのきっかけとして大きかったのが、ホイットニー・ヒューストン主演映画「天使の贈りもの」だったみたいで。
rieco:家でなんとなく観ていたら、涙が止まらなくなってしまって。あの映画で初めてゴスペルに出逢ったんですけど、その声に衝撃を受けたんです。全然泣けるシーンじゃないのに何故かボロボロ泣いちゃって。声に圧倒されて、私も声を使えるようになりたいと思ったんですよね。それで「私には歌だ!」と思ってヴォイスのドアを叩くんです。
--先日、主演のホイットニー・ヒューストンが亡くなったときには、どんな気持ちになりましたか?
rieco:マイケルも亡くなって、ホイットニーも亡くなってしまってすごく悲しいんですけど、これから新しい時代がやってくるのかなって。あれだけ偉大な人たちがこれからも生まれるのかは分からないですけどね。でもマイケルたちから教わった音楽への直向きさとかを大事にして、私も音楽家としてちゃんとやっていきたいなと思います。
--そんなriecoさんが目指してる音楽ってどんなものなんでしょう?
rieco:洋楽をずっと聴いて育ったので、いずれ世界に出たいなと思っているんですよ。世界中に通じるような曲が書きたい。なので、今までは“理映子”という表記で活動していたんですけど、タイとか韓国とかでもライブをするようになったこともあって“rieco”に変えたんです。でっかい夢は、ディズニー音楽に携わることと、グラミーですよ。
--“理映子”時代についてもいろいろ調べさせて頂いたんですけど、2003年にふたつほどグランプリを受賞していますよね。これはヴォイスに入る前ですか? 後ですか?
rieco:ヴォイスには1999年に入ったので、後ですね。カワイアンサンブルコンテストなどでグランプリを頂きました。
--ただ、グランプリを獲れたり、タイアップが付いたりするも、今回のメジャーデビューまで長い歳月を要していますよね。これは相当ジレンマだったと思うんですけど、実際のところはどうだったんでしょう?
rieco:シンガーソングライターになりたいと思って、17才で『NEVER.』という曲を書いたんですけど、その頃はとにかくひたすらに“自分を信じる”という感じで、信じれば1年後にはメジャーの扉が開いていると思っていて。ただ、だんだん「なんて難しいんだ……」ということに気付き始めて、キツイときと「行ける」って思うときのアップダウンに翻弄されたりもしたんですけど、小学生のときに心が病んだことがあって。そのときに読んでいた本の中に「全部起こることは必然だから、必ず良い道に繋がってるよ」と書いてあったんですよ。だからひたすらその言葉を信じて、ずっと目指してきた感じですね。
--なるほど。
rieco:その間に音楽性はコロコロ変わったんですよ。すべて歌詞を日本語で書いた時期もあれば、海外に行きたいと思ってすべて英語で書いたこともあるし、それらをミックスした今があったり。そうやってずっと続けてきたら、やっと扉が開いた!
--そのタフさの根源には、今話していた小学生の頃の暗黒時代があるのかなと思ったんですけど、具体的には何があったんでしょう?
rieco:家庭環境が複雑になったり、音楽ばかりやってみんなと遊ばないから苛められたりもして……だから家に帰ったら「ちくしょー!」ってピアノで曲を作ったりしていたんです。あと、本が大好きだったので、本屋さんに行ったら『きっといいことが待ってる』みたいなタイトルの本があって、それを立ち読みして自分を励ましたり(笑)。明るい自分を演じたら、その何年後かに本当に明るい自分になれるって書いてあったので、それを実践してみたり、なるべく前向きな人格を作っていって、あんまり悩まないようにしましたね。
--そこの訓練が下積み時代に役立ったと。
rieco:そうですね。小学生の頃にいろいろあったので。
--ただ、それだけ音楽活動を続けていると「別にメジャーとか関係ないし」みたいなテンションにも普通はなると思うんですけど、そこはどうだったの?
rieco:正直に言うと、メジャーデビューが決まるちょっと前までは、アメリカで活動しようと思っていたんです。LAに行こうと思ってお金も貯め始めて、海外向けの曲もいっぱい作って。その頃、久しぶりに西尾先生と再び繋がりができて、「もう一度、腹括ってやってみないか。ちゃんと日本を通ってからアメリカに行けばいいじゃないか」って言ってもらえたので、しっかり耳に残りやすいメロディの作り方とかもう一度勉強し直して。それで活動していたら扉が開いたんですよね。
--ちょっとクサい質問をしますけど、2003年~メジャーデビューに至るまでの期間は、riecoさんにどんなものを与えたと思いますか?
rieco:最初に『NEVER.』で「自分のことを信じる」って歌ったんですけど、それからアップダウンの激しい日々を過ごしてきて思ったことは、ただひたすら自分を信じるんじゃなくて、表面的には落ち込んだり笑ったりしていても、ドシンとしている、何があってもブレない自分を信じてあげる。そうすれば、表ではいろいろあっても、結局はちゃんと行くところに行くということを知りました。
--自分は、今お話頂いたプロフィールとか全く知らない状態で「凄い新人がデビューする」って聞いていたんですけど、あんまり信じてなかったんですよ。才能はあったとしても、新人なんだから曲の完成度はそんな高くないだろうな、みたいな。でも『Shining』聴いたら「この人、いろいろ解ってる!プロだ!」ってなりまして。
rieco:(笑)
夢はディズニー&グラミー、世界が振り向く音楽
--それからいろいろ調べたら「なるほど」みたいな(笑)。だって、ここまでクリアーな声と音で聴き手をガンガン鼓舞させていく曲は、パッと出の新人では作れませんからね。資生堂「ホワイトルーセント美白ケア向上委員会」イメージソングとしてもちゃんと成立しているし、デビュー曲としてもキャッチーだし、完璧じゃないですか。
rieco:ありがとうございます。『Shining』は、資生堂さんのイメージもあったので、やっぱり働く女性とか、私と同じ世代の方に向けたものを作りたくて。で、私が経験して知った、アップダウンの激しい日々の中でも、誰からも奪われることのない、自分の中のどっしりした輝き。それは絶対に消えないので、その自分を信じて、前向きに、毎日ちょっとした楽しみを見つけながらキラキラ歩いていきたいなという想いを込めて作りました。
--楽曲自体は全く泥臭くないし、むしろその対極にある楽曲ですけど、このクオリティは泥臭い下積み時代があってこそ生み出せたものじゃないですか。歌唱力も含め。
rieco:そうですね。今まで曲作りに関してもいろいろ悩んで、失敗も繰り返しながらやってきたんですけど、この曲は最初に「輝き出す~♪」という歌詞とメロディが一緒に出てきてたので、今までで一番自然と「これはいけるな」と思えたんですよね。それがデビューシングルに選ばれたのは嬉しくて。あと、この曲を作るときは、イメージ的には女の人が化粧水をパッシャーン!みたいな。分かりますか!?
--分かります。今、頭の中でCMがひとつ出来上がりました(笑)。
rieco:スローモーションでパッシャーン(笑)! 同時に「輝き出す~♪」みたいな。で、綺麗な髪をシュルン!とさせながら、白いスーツとパンツルックで街をキラッ!と歩く感じをイメージしましたね。しっかり芯のある輝きを秘めながら、でも威張り散らしたりせず、周りの人も明るくできるような、凛とした女性になりたいなという希望も込めて。
--その『Shining』でメジャーデビューする訳ですが、我ながらよくぞここまで来たなと思いますか?
rieco:ヴォイスに入ったときからの夢だったので、デビューが決まったら物凄くハイテンションになるだろうなと思っていたんです。でも意外とここまで来たときにはもう次の目標を立てていたりして、ワァー!っていうよりは身が引き締まる想いというか。
--……の割には、今、めっちゃテンション高いですけどね。
rieco:いつもです(笑)。お酒いらずなんですよ! 逆にお酒を呑んだら静かになります。
--そんなriecoさんの個人的なエモーションが、2曲目『NEVER.』にはしっかり詰め込まれています。って勝手に決めつけちゃいましたが、実際にはどんな想いを詰め込んだ曲なんですか?
rieco:私の原点。人生で1番目はマイケルに向けて作った曲なんですけど、これは2番目に作った曲なんです。家庭も一番ごちゃごちゃしている時期で、いろいろどよーんとなっていたので、こんな状況に負けたくないなと思って。「深く沈めば 高く飛べる」というのを自分のテーマにして、今これだけ沈んでいるということは、その分だけ高く飛べるんだって信じて書いたんです。で、今回カップリングに収録されることと、ヤンマーさんのCMソングに起用されることが決まったので、久しぶりに歌ってみたら、ちょっと深くなって。ただ「信じる、信じる」じゃなくて、いろんなことを経ての「自分を信じてあげる」。そういう包み込むような想いが出てきて、10年前の『NEVER.』より広い気持ちで歌えるようになってました。
--この曲には「誰にもゆずれない 想い描いた夢が 必ず待ってる」とありますが、メジャーデビューを掴んだ今、riecoさんの次なる夢はどんなものになるんでしょう?
rieco:もうちょっと自分の暗いディープな部分にも触れていって、それを自分らしく、光のあるような曲に仕上げるのが目標です。やっぱりいろんな感情があるから、今回の「信じる」という部分以外の感情も出していきたい。新しい音作りにも挑戦しつつ。
--先程、ディズニー、グラミーと、とんでもない名前をふたつ並べましたが、そこへ辿り着く為のシナリオは、自分の中では出来上がっているんですか?
rieco:そうですね。ディズニーのシナリオに関しては、ちゃんと絵まで書いてトイレに貼ってあります(笑)。ディズニー作品の劇中歌をスタジオレコーディングしている絵とか、絵の具で書いて。で、グラミーに関しては、着る服とか歌う曲とか、あとスピーチの内容まで決めてあります。
--それってシナリオというか、ただの妄想では……
rieco:あと、海外に行くときは、この前まではそれ用に如何にも洋楽みたいな曲を作っていたんですけど、今は日本人として、海外にも通じる綺麗な日本語で作った曲も持っていきたいなと思っていて。日本人としてのアイデンティティをちゃんと持って海外に行きたい。ただ単に洋楽のモノマネしても、向こうには素晴らしい人たちがたくさんいますから、自分なんて敵わないんですよ。でもタイとか韓国でのライブのとき、日本語で歌っているのにお客さんが泣いて下さったり、「すごく良かった。言葉は分からないけど、エモーションを感じた」って言って下さったりして。だから私は綺麗な日本語の響きを大事にしながら、いつか海外にも挑戦していきたい。
--興味深いですね。「日本人なのにこんな歌上手いの?」みたいな言われ方をされている人はいますけど、「日本人らしくて歌上手い」って言われる人はあんまりいないので、それで海外にも通用するような人になれたら、2012年以降のシーンにおいて重要視されそう。
rieco:どうしてでしょう?
--今、日本はほとんどアイドルしか売れていないじゃないですか。そこに台頭できるものって、もしかしたら海外にも通用し得る音楽だったり、歌なのかなと思いまして。
rieco:なるほど。たしかに10年前もモーニング娘。さんとかアイドルが流行っていましたけど、その後に本格的な人たちがたくさん出てきましたもんね。私は奇を衒ったようなことができないので、自分らしく正直に王道のことをやっていきながら、今のこういう大変な日本だからこそ、やっぱり日本の良さをもっと海外に向けて出していけたらなぁって思って。震災の時のみんなのガッツの集まり方とかは日本ならではで、そういうところに海外の人たちも目を向けている今なので、やっぱりこれからは日本の素晴らしいところを音楽でも見せられたらなと思います。
--その結果として、ディズニーやグラミーの話が現実のものになったら、riecoさんは音楽産業不況時代に現れた希望に成り得ますよ。
rieco:なりたいです!