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柴田淳 『ゴーストライター』 インタビュー
私の歌は全く夢を与えないから。大人の現実だから―――。彼女はこれまでずっと音楽に自分を密接させたきた。幸福を実感できないから幸福の歌をうたわないし、悲しい恋愛に傷ついたから悲恋の歌をうたう。それはきっとこれからも変わることはないのだろう。けれど、今作『ゴーストライター』ほどに彼女の素顔に触れるアルバムはきっともう生まれない。その理由について、柴田淳が語る。
すがる愛は、相手を不幸にさせるような気がする
--アルバム『親愛なる君へ』リリースタイミング以来、約1年半ぶりのインタビューになるんですが、あれから今回のアルバム『ゴーストライター』に辿り着くまでは、柴田さんにとってどんな期間になりましたか?
柴田淳:なんか、今回のアルバムのプロモーション期間にずっと言ってることがあって。去年の年末に初めてイベントに出演して、そこで挫折して、それで今年はずっと苦しかったっていう……話ばかりしてて! なんか嫌になってきちゃって(笑)!!
--何で挫折したんですか?
柴田淳:【Saltish Night】っていう塩谷哲さんのピアノを前にボーカリストが次々と入れ替わるイベントに出させて頂いたんですけど、歌唱力が評価されている人ばかり出ていて。で、私はどちらかと言うと、作詞作曲をするシンガーソングライターをやっているから「ちょっと多めに見て」的な言い訳をしながら歌ってきたんですよ(笑)。それなのに演奏は一緒で歌だけ入れ替わるってなると、声量だとか歌唱力を競う歌合戦みたいになっちゃって、私は何も魅せられるところがなくて。自分の存在をどういう風にアピールしていいのか全然分からなくなっちゃったんですよね。「イベントって出方を間違えると魔物と化すな」と思いました。それで今までの言い訳は通用しないことがよく分かってしまい、自分は何を自信にしてやっていけばいいのかが分かんなくなっちゃった。
--なるほど。
柴田淳:でもその中で藻掻き苦しみながら曲は作っていて。それが「大変でした」っていう話で、今回のプロモーションはいつも終わってて。だからここでは違う話をしたい(笑)!
--では、そのイベントの直前の話を。昨年11月25日に東京国際フォーラム ホールAでのコンサートがありました。あの日は柴田淳の歴史から観ても大きな一日だったんじゃないですか?
柴田淳:え~~っと、そうだなぁ、あんまり……。
--(笑)。
柴田淳:ロビーから何から綺麗な東京国際フォーラムでコンサートができる嬉しさは物凄くあったんですけど、大きかろうと小さかろうと緊張は一緒で。あと、上手いステージをやるのはあたりまえで、更にどうやって伝えるか。曲順を途中で入れ替えたりとか、そういうことを考えるのってベテランクラスだと思うんですけど、まだ私はやりきることだけで精一杯なんです。でもその私でさえ「もうちょっとこうすればよかったなぁ」ってステージに立ちながら反省していたので。だから「やっとこのステージに立てた!」とか、正直あんまり感じなかった。課題がたくさん出てきましたね。
--では、昨年末は本当にライブのことで苦しんだ感じだったんですね。ちなみにそこからどのような流れで自分のモチベーションを上げていくんでしょう?
柴田淳:まず1月は放心状態で、2月から「創作を始めてください」って言われたんですけど、全然出来なくて。初めてスタッフに泣きつきましたね。これまでは何があっても〆切は破ってこなかったんですけど、初めて「できません」っていう話をしまして。それでもレコード会社的には何か出さなきゃいけないということで、カバーアルバムを出すとか、セルフカバーを出すとか、いろんな選択肢をくれたんですね。でも、前まで歌謡曲のカバーアルバムを作りたいと思っていたんですけど、なんか作りたくなくなっちゃって! 作りたいと思う旬が過ぎちゃっていたので「やっぱりオリジナルアルバムじゃなきゃ嫌だ」と思って、それで3月、4月と作り出して。でも曲が出来上がって「良い!」と思ったら、誰かの曲とそっくりだったりとか、とにかく今回は「あれに似てない?」「これに似てない?」ばっかだったんです。それを出して「パクった」って言われるのはすごく嫌だし、そこまで良い度胸していないので、だから結局作っては何か似てるの繰り返しで時間が掛かっちゃって。
--嫌なサイクルですね。
柴田淳:それでもスタッフは有り難いことにリベンジする時間をたくさんくれたんですね。でもそのおかげで「今日ダメでも、明日やればいい」と思って集中しなくなって。しかもレコーディングって突き詰めていくとゴールはないですから、今度は精神的にも肉体的にも疲れてきちゃって(笑)。で、その合間に初めて野外イベントに出演してみたんです。「昨年末に挫折したのによく次の年の夏フェスに出れましたね」ってみんなに言われたんですけど、形態が全然違ったんですよ。誰かと何かを比べるような次元のステージじゃなくて、それぞれのアーティストで場面転換してくれる感じだったし、塩谷さんとか佐藤竹善さんとか主催の葉加瀬太郎さんとか、有り難いことにみんなチヤホヤしてくれたから、居場所がちゃんとあったんですよね。なので、楽しかったんですけど、そこでレコーディングモードが1回切れちゃって。またそっちのモードに戻すのも大変で。で、時間も遅れちゃってっていう、結構悪循環でしたね。
みんな良かれと思っていろいろ用意してくれるんだけど、申し訳ないんですけどそれが更に空回りする要因になっちゃったかなって。だから勉強になりましたよね。スタッフも私も。時間が延びる原因は全部私なんですけど。なので今度は短期決戦でズバっとやります(笑)。
--そんな状況下でも生み出してみせたニューシングル『Love Letter』。自身では仕上がりにどんな印象や感想を?
柴田淳:この曲を作るときに「すがる愛じゃなくて、すがらない愛の方が深いんじゃないか」って思うことがあって。前に『光』っていう歌を作ったんだけど、その当時は「好きな人を看取って一人で生きていくぐらいなら、本当に申し訳ないんだけど残された人のことを全く無視して先に逝きたい」っていう気持ちがあったんですよ。でももし両親より先に死んでしまうことがあるとしたら、やっぱり残された人たちって生き地獄になると思うんですよね。だったら自分が看取った方がラクだなって、今は考えられるようになった。
あと恋愛における別れとかでも、本当は「行かないで」って言いたいけど「大丈夫」って言った方がいいと思うようになった。それは最高の嘘だと思うし、そう言ってあげた方が相手は安心して幸せになれるのかなって。そこで「行かないで」とか「あなたがいないと生きていけない」って言う方が相手を不幸にさせるような気がするんですよ。そういう想いがあって、すがらない愛、心配かけない愛を書きたかったんだけど!
--だけど?
柴田淳:どうしてもメロディが恋愛メロディで、自分でも悲恋の歌が書きやすいんですよ。あとは酷い男に何人も引っかかってきた中で、皮肉も言いたかった(笑)。「ずっと前から一人だった あなたを愛した時から」って、聞こえ方によっては憎まれ口というか、嫌みでしょ?
Interviewer:平賀哲雄
本当に辞めようと思っちゃって
--すみません、僕はそう捉えて聴いてました(笑)。
柴田淳:だけどそうじゃない受け取り方も私はあると思ってて。本当にピュアな恋愛ソングとして聴くと、そのフレーズも本当は愛してるくせに「あなたのことを愛してなかった」っていう思いやりで言っているようにも捉えられると思うんですよね。去っていきたい相手に「行かないで」って言うよりも「あっそう。さよなら」っていう方が大人だと思うんですよ。そういう自立した女も書きたかったんです。だから「ずっと前から一人だった あなたを愛した時から」は強がりでもある。
--そうした歌の中で「いつかまた出逢う気がするの どこか似ていたあなただから」というフレーズを入れ込んだ理由は?
柴田淳:類は友を呼ぶというか、相手の気持ちがある程度分かったり、ズルさを見抜けてしまうっていうのは、どこかしら自分と似たような部分があるからだと思うんです。で、年を重ねると人に言えない恋っていうのが結構増えていくと思うんですよね。行きずりの恋もあるだろうし、不倫もあるかもしれないし、何にも当てはめられないような関係もあるだろうし。でもどんな関係であってもそこに何かしら意味があったから出逢ったっていうことは信じたいところがあって。誰との出逢いにも。だから類が友を呼んだのか、他の要因があったのかは分からなくても「また出逢う気がする」って思いたい。どんな形であってもね。そういうところから生まれたフレーズだと思います。
--では、その『Love Letter』も収録されているニューアルバム『ゴーストライター』の話を伺っていきたいんですけど、まず何故に『ゴーストライター』というタイトルになったんでしょう?
柴田淳:よく「何でここまで自分と音楽を密接に繋げちゃうの」「あまりにも音楽に自分が入りすぎてる」って言われるんですけど、私は商品を作っているというよりかは、自分をそのまま形にしている感じなんです。だからこそ、その音楽に迷っちゃったら、自分の存在自体よく分かんなくなっちゃって。重く聞こえちゃうかもしれないけど「私、生きている意味ないんじゃないかな」とまで思っちゃったのね。別にそこで何をする訳でもないんだけど。で、よく「辞めたら?」って言われたら「あ、いつでも辞めれるんだ。じゃあ、もうちょっとやってみようか」ってなって立ち直る人っているじゃないですか。私もそういう経験はたくさんあったんですけど、今回「音楽辞めようかな」って言って、両親に「辞めれば?」って言われたときに、本当に辞めようと思っちゃって。でも私は音楽を作ることで自分自身を確認しているところがあったから、辞めたら本当に何にもないんですよね。だからもう半分は幽霊みたいな感覚のままで今回のアルバムは作ったんです。それで『ゴーストライター』。
あと物書きをしている人の多くは、誰かに書かされてる感覚になるって言うじゃないですか。私もたまにそれは感じるから、そういう意味で付けたタイトルでもあります。で、もう8年もやってると、今ここで「私が実は書いてませんでした」って言っても、逆にそっちの方が信憑性ないし、もしそういう人が後ろに付いていたんだったらもっとヒットしてると思うし、こんなに偏ってないんですよ(笑)! なので作品を聴けばね、そういう人がいないっていうのは一目瞭然なので、変な誤解も生まれないだろうってことで、このタイトルにしました。食いつきはいいだろうなと思ったし(笑)。
--その『ゴーストライター』の内容、仕上がりにはどんな印象や感想を?
柴田淳:今まではフックになる言葉を入れたり、ポップな曲が並んだらちょっとマイナーな曲を作って加えたり、私の中で多少なりともコントロールをしながら作ることができたと思うんですね。だけど今回はそんな余裕、全然なくて。「今はこれしか作れない」って中でなんとかアルバムになった感じなので、自分では一番聴きたくないアルバム。だけど一番大事なアルバム。客観的視点が全く持てないままに、悲しかったら「悲しい」しか書けなかったし、もうその瞬間の自分のまんまが出ているので。だから今になって『Love Letter』もそうですけど「とんでもない歌を書いちゃったな」って思ったりとか。それも誰かに言われて気付くんですけど。とにかく客観視できていないので、このアルバムを聴いた人から「泣きました!」とか「衝撃でした!」とか「ショックでした!」って言われて驚いて。ブログとかでファンの感想とかを見て「とんでもない歌を書いちゃったんだ!」って初めて気付くみたいな(笑)。それのオンパレードがこのアルバム。だからこれからもっとみんなの感想を聞きたいし、それが楽しみで仕方がない。自分をこれほどまでにリアルに書けたアルバムは、後にも先にもこれだけになると思うから、きっと。
--僕はまず1曲目『救世主』の混沌とした激しさ、『救世主』と銘打ってるのに救いがない感じに「なんじゃこりゃ!?」となりました。どういう思考回路の中からこの曲は生まれ出たの?
柴田淳:ロックが作りたくて、もう何年も前から松浦晃久さんとコラボってるんですけど、曲を作るのが私なのでロックになりきれてないんですよ。でも今回はようやく自分でも納得できるロックになったなと思ってて。ただ、みんなが好きかどうかは分からない。やっぱりちょっと変わったメロディなんで。でも私としては、もう好きで好きで。制作過程の中でも何十回となく聴いたぐらい。あと歌詞に関しては、私ってそもそも歌詞が叙情的じゃなくて文なんですよね。槇原敬之さんとかもそうだと思うんですけど、どちらかと言うと文だと思うんですよ。だからこういう曲に歌詞を乗せるのは物凄く大変だった。きっかけを掴むまでが。
--ちなみにその歌詞にはどんな想いを?
柴田淳:すごく落ち込んでるときに「笑った方がいいよ」とか言われて腹が立ったことがあって。別に『救世主』は怒りの歌じゃないんですけど、「なんでいつも笑ってなきゃいけないのかなぁ」っていう想いを、もう10代じゃないのに未だに持ってて(笑)。とにかく私が幽霊のようにボーッとしていて、ふわふわした状態で、すべて現実的じゃない中でも、いろんな人が現れて、いろんなことを言って去っていったんです。この曲はただそれを歌っただけなんですけどね。私が動いてるんじゃなくて、周りが動いている感覚。
--あと、また違った意味で「なんじゃこりゃ!?」って思った『うちうのほうそく』。随分と可愛らしい曲ですけど、何故にこうした歌をうたおうと?
柴田淳:全体的に似てる曲調のものが多かったので、全然違う曲調を入れたくって、何とか頑張って作ったんですけど、これって同じメロディをループしてるだけなんですよ。展開してもすぐスタート地点に戻るみたいな。で、A、B、サビ、B、サビとか、普通の歌ならアレンジャーさんに構成を任せてもおかしなことにはならないから、結構任せたりするんですけど、この曲はループしてるだけだから「構成作ってもらわなくちゃ困る」って言われて。仕方ないから歌詞を先に書いて、それを繋ぎ合わせたり入れ替えたりしながら構成を作っていったんです。
で、元々ジャズっぽい曲だったので塩谷さんにアレンジを頼んだんですけど、でも普通にジャズで弾いたら全く予想できちゃってつまらないと。だから敢えて、おもちゃ箱をひっくり返したような面白い感じにしたいとお願いをしたんです。私は塩谷さんの『JACK-IN-THE-BOX』っていう曲がすごく好きで、それもおもちゃ箱をひっくり返したような内容なんですよ。トップに小さなオルゴールの音が入ってて、よく聞こえないからこっちはボリュームを上げるんですよね。すると、トイピアノの外れた音が聞こえてきて、それを何度も「おかしいな、おかしいな」って感じで弾き直すんですよ。で、その後にドッカーーン!!って来るんだけど、こっちはボリュームを上げている訳ですよ。電車の中で聴いててオーバーリアクションしちゃって(笑)。「びっくり箱(JACK-IN-THE-BOX)」ってこういう意味か!」って思ったんですけど、それが物凄く面白かったから『うちうのほうそく』も良い意味でひっちゃかめっちゃかにしてほしくて。それをお願いしたらこうなった。まぁ他のアレンジャーさんには「よりによって塩谷さんでこういうことやんなくても」みたいに言われたんですけど(笑)でも他の人だったらこうなってなかった。計算されていないようで物凄く計算されているので。
Interviewer:平賀哲雄
美しくなくてもいいから幸せがほしい
--そして、本日、最も話が聞きたかった『幸福な人生』という曲について。まずこうした曲を書こうと思って経緯を聞かせてもらえますか?
柴田淳:『幸福な人生』っていうタイトルなのに全然幸福な歌じゃないんですよね。あの、私って不幸な人間だなってすごく思っていて。というのは、自分の幸せを実感できない人こそ不幸な人だと思うから。それを書きたかった。目線をちょっと変えるだけで、考え方をちょっと変えるだけで、物凄くハッピーになれるのに、それに気付けない、そうできない。代わりに不幸なことばっかり憶えてるというか。不幸なこととか、寂しいことの方が落ち着いてしまうようなところがあって。幸せ慣れしてないから。「不幸な過去があったからこういう仕事をしているのかな」とも思うんですけど、だからこそ幸せになったら曲が書けなくなっちゃうかもしれないし。まぁでも、そんな感じで幸せを実感することはなくても「きっと誰よりも幸せなんだろうなぁ」って客観的には思うので、ちょっと皮肉って『幸福な人生』というタイトルにしました。
--「愛は与えて 誰かの幸せ 願うの 美しいだけ」というフレーズがこんなに寂しく響くと思いませんでした。
柴田淳:ハハハハ! だから『Love Letter』のときの話とは矛盾してるかもしれないけど「美しいですね……、で?」みたいな。美しくなくてもいいから幸せがほしいっていう。誰かの幸せを願ってそれが自分の幸せだと思ったことももちろんあるんだけど、もういい加減、人の幸せを考えている暇がないんですよね。私は「anego」ってドラマがすっごい好きで、篠原涼子演じる主人公が加藤雅也演じる会社経営者と不倫するんですよ。それで「こんな歳になると、人を不幸にしてでも自分の幸せを手に入れたいの」みたいなことを言うんです。私の歌の毒の部分、誰も触れないけど実は考えているところを、そのドラマの脚本家も書いちゃった訳ですよね。まぁ私はそこまで思わないけど、人の幸せを願って人がどんどん幸せになっていくのは良いんだけどさ「私、まだ?」みたいな(笑)。「もうそろそろ私に返ってきてもいいんじゃないの?」と思って、書いた曲かな。
--これで終わるアルバムじゃないですか。とんでもねぇアルバムだなと思って(笑)。
柴田淳:ほんと、とんでもないよ(笑)。
--これを10代が聴いて何を感じ取るのかは正直分からないけど、30オーバーの僕みたいな人からすると、物凄く深いところで共感し得る。「愛は与えて 誰かの幸せ 願うの 美しいだけ」って、それをさんざしてきた人だから分かるフレーズだし。
柴田淳:そうだよね。10代じゃまだ分かんないかもしれない。でも私は「明日があるよ、元気を出して」みたいな歌には共感できないから。だけどそういうのが売れるんですよね。で、買ってるのが10代だったりする訳ですよ。先日も松浦さんともその話で盛り上がったんだけど「それは人生経験がまだ浅いから、本当に信じられるんだよ。本当に信じているから、それでも希望を持てるんだよ」って言っていて。でも「俺たちぐらいになると、明日なんてねーんだよ! だからそういう歌が響かないんだよ!」って(笑)。じゃあ、例えば10代の子をターゲットにするんだったら、私たちからしたら「嘘つけぇ!」みたいな歌を作らなきゃいけない。夢を与える歌というか。でも私の歌は全く夢を与えないから。大人の現実だから。だからリスナーの年齢層が高いんだと思う。でも10代の子が「愛は与えて 誰かの幸せ 願うの 美しいだけ」って聴いてどんなことを感じるのかは興味深いですけどね。きっと「切ない」みたいな感想だと思うんだけど。
--でも、子供の頃にただメロディや声が好きで意味も分からずよく聴いていたんだけど、大人になっていくと共にだんだん何を歌っているのかが分かっていくアルバムって、音楽を長く深く愛してもらう形としては正しいと思いますけどね。
柴田淳:確かに。そういう発見って嬉しいしね。ウチの母が歌謡曲をすごく好きで、子供の頃は『喝采』とか『木綿のハンカチーフ』とか「可愛い歌」と思って聴いていたんだけど、大人になってよーく聴いてみたら「とんでもない歌だ!」って(笑)。それでポロポロ泣けてきたりね。私の曲もそんな風になったらいいなぁ。自分のブログでも『Love Letter』のリリースのときに書いたんですけど、今は普通のラブソングに聴こえても、歳を重ねて埃をかぶったこのCDを取り出す日が来たとしたら、そのときにはまた違った曲に聴こえるんじゃないかなと思いますって。そういう風な存在になれたら嬉しいなぁ。なんか、タイムカプセルを開けたような気になりません。ある瞬間からそれまで知っていた歌が全然違う歌に聴こえ始めたときって。あれって面白いと思うんですよね。
--しかもこのアルバムは柴田淳を出し切った一枚なので、なおさらそうなると面白いのかなって。
柴田淳:私自身もいつか聴こえ方が変わってくるのかなって思うんですけど、一番ツラかったアルバムかな。本当に。
--その一番制作がツラかったアルバムを携えたツアー【JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010】が来年待っています。
柴田淳:まだまだやり切ることでいっぱいいっぱいなんですけど、もうちょっとメリハリのあるコンサートをやりたい。ロックコーナーを作ったりとか、ステージの流れを考えてやりたいなぁとは思ってます。
--そのツアーもそうですけど、来年の柴田淳はどうなっていくんでしょうね?
柴田淳:来年はツアーが終わったら半年ぐらいお休みをもらおうと思っていたんですけど、その前にもお休みをもらうので、もしかしたらそれで十分なのかなと思っていて。それよりも今は早く新しいアルバムを作りたい。ロックの曲だけ10曲集めてもいいし。別に今までの柴田淳を否定する訳じゃなくてね。「今回、ちょっとロックやらせてください」っていうコンセプトでやってみたい。松浦サウンドのファンが結構いたりするし「聴きたい」って言ってくれる人が多いので、それをやることによってファンがいなくなる不安も一切ないし。まぁそれ以前に「作れたら」の話ですけどね。理想論としては、すぐにでもロックのアルバムを作りたい。「やっぱ、やめた」とか言うかもしれないけど(笑)。
Interviewer:平賀哲雄
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