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大塚愛 『愛 am BEST』 インタビュー
先日リリースされたばかりのニューシングル『CHU-LIP』。あの新曲のリリースタイミングでのインタビューで、その生き様や原動力についてガッツリ語ってくれた大塚 愛が僅か一ヶ月のインターバルで登場!今回は、初のベストアルバム『愛 am BEST』のリリースにあわせて、自身の歴史について細かくガッツリと語ってくれています。そんなわけで、彼女が音楽に目覚めたキッカケから今回のインタビューでは、聞いてみました。
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--3月28日に初のベストアルバム『愛 am BEST』をリリースしたということで、まずはもうおもいっきり大塚 愛の歴史を振り返らせて頂ければと思っているんですけど、いいですか(笑)?
大塚愛:はい(笑)。
--え~、こんな質問をされるのは、かなり久しぶりかもしれないんですが、大塚 愛さんが音楽に目覚めたキッカケを教えて頂きたいんですけど(笑)。
大塚愛:(笑)。キッカケは、どれが実際にキッカケになったのか、自分でも分からないんですが、3歳のときぐらいに町内の祭かなんかで歌っていたと、親に聞いたことがあるんです。そのときに「あめあめ、ふれふれ、母さんが♪」って傘持って歌っていたらしいです(笑)。で、幼稚園の頃には、光GENJIが大フィーバーしていたので、一緒に歌ってたり、ピアニカやピアノで遊んだりとか、「音楽をするのが楽しい」っていう認識はその頃からあったんじゃないかと。
--最初にピアノを始めて、クラシックをやるのが嫌でそこから自分で楽曲を創り始めるわけですけど、それっていくつ頃の話なんですか?
大塚愛:小学校入った頃には、もうクラシックピアノをやるのが嫌で嫌で。それでも我慢して小学生時代6年間はやっていたんです。でも13,4歳ぐらいのときにクラシックからポップスに切り替えて、15歳ぐらいで「自分で楽曲を創ってみれば?」と言われて。
--その楽曲を創り始めた頃には、もう「デビューしたる」的な気持ちは芽生えていたんですか?
大塚愛:それはなく、楽曲を創る行為自体も「あんまり向いてない」と思っていたし、「こういう人になりたい」とも思ってなかったんですよ。ただ単純に「歌うことが好き」っていう気持ちしかなかったんで、その当時は。「歌手になりたい」みたいな想いはあったんですけど、特に自分が優れているっていう感覚なんてなくて、もうこれしかなかったからやっていたというか。
--で、これは2004年の【学園祭ツアー2004】で大塚さん自身が話していたことなんですけど、デモテープを各社に送りまくっていたそうですね。ただ最後の最後までエイベックスだけには送らなかったそうですね(笑)?
大塚愛:エイベックスがビジュアル重視だと思っていたんです(笑)。だから「ここは多分関係ないな。私の楽曲なんて送るだけ無駄」って勝手に思ってたんです(笑)。まぁでも最後の最後に「まさか」とは思っていたんですけど、とにかく焦ってるんで、「数撃ちゃ当たる!」と思って(笑)エイベックスにも送ってみたら、エイベックスから話が!っていう。
--で、そのエイベックスにデモテープを送ってからデビューが決まるまでの流れっていうのは、どんな感じだったんでしょうか?
大塚愛:まず電話が来たんです。市外局番“03”の番号から。でもその当時“03”から始まるイタズラ電話が流行っていたから「ついに私にまで来た!これは危ない!」と思って出なかったんです(笑)。でも留守電が入っていたのでそれを聞いたんですけど、これがまた聞き取りにくくて。「エイベックスの・・・」までは聞こえたんですけど、「これは怪しい。電話を掛けたら凄まじい通話料を請求されるやつだ!」と警戒し(笑)。で、それから掛けたんだか掛かってきたんだか、ちょっとそこは憶えてないんですけど、まぁとにかく怪しいお兄ちゃんとのやり取りで。あの、すごく胡散臭い声に聞こえたんですよ。
--(笑)。
大塚愛:「あなた、レコード会社の人間じゃないでしょ?」みたいな(笑)。でも「デモテープを聴いて・・・」とか言っていたので、そこで少し安心したんですけど、なんでエイベックスなんだろう?と、当然思うわけですよ。で、他のレコード会社にもデモテープを送ってる話をしたら「最短で動く」「俺がプロモーションするから」ってそのお兄ちゃんが言ってくれて、そこから偉い人が大阪まで来て、そのあと、私が東京に行って、松浦さん(エイベックス社長)にあって。
--どの辺で「これは間違いないな」って信じたんですか?
大塚愛:松浦さんに会ったぐらいで「あ、本当なんだ」ってなったんですけど、そのときに「もう一人デビューを考えてる女の子がいる」って言われたんです。それでその女の子の方が自分より若かったりもしたんで「あ、これはダメだ」って(笑)。でも年齢とかじゃなく音楽性とかを評価してくれたみたいで、お話が決まったんです。
--エイベックスサイドが大塚 愛のデビューを決めた要因って何だったんですかね?
大塚愛:「なんだ?こいつ」って思われたんでしょうね(笑)。あと、ラッキーだったのが、ちょうどエイベックスも「エイベックス=ダンス」みたいなイメージを変えていきたいと思っていたらしくって、「エイベックスはもっと幅広く行く。そのキッカケにしたい」って言われたんです。それで「あぁなるほど」と思い。
Interviewer:平賀哲雄
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--そんなこんなで2003年9月にファーストシングル『桃ノ花ビラ』でデビューを飾るわけですが、当時の心境とかって憶えてます?
大塚愛:とにかく恥ずかしい感じがしてました。なんて言うんでしょう?デビューする前は「やってやるぞ!」的な心意気があったんですけど、デビューシングルが発売される少し前になったら、ちょっと恥ずかしい感じがして。「あぁ~私CDなんて出して、コンビニとかで見られたら大変なことになってしまうんじゃ?」みたいな、変な意識を最初にすごくしていたんです。
--その意識って違う言い方をすると、早い段階で自分は有名になるんじゃないかっていう予感や自信だったんじゃないですか?
大塚愛:そこまでは思ってなかったんですけど、もうとにかく恥ずかしくなってしまって、急に弱気になってしまったんですよ、デビューから(笑)。「大丈夫かなぁ?」って。
--で、続くシングル『さくらんぼ』で大ブレイクを果たすわけですが。
大塚愛:『さくらんぼ』は出す前から「これで行けるはず」っていう、すごく確信もあって、「これをシングルとして出したい」と思ったわけなんですけど、これがかなりの遅咲きだったんです。リリースしてから2ヶ月、3ヶ月ぐらいでやっと芽が出た感じだったんで、あの頃は、なんとなくですけど、デビューもスロースタートだったし、「私は遅咲きタイプなのかな?」なんて思ったりしてました。
--次のシングル『甘えんぼ』が出たぐらいのタイミングでしたもんね、『さくらんぼ』がヒットしたのって。
大塚愛:同じタイミングで『さくらんぼ』『甘えんぼ』って世間に認知してもらえたと思います。
--当然、当時のインタビューでは「最後に“んぼ”って付けるのが好きなんですか?」とか聞かれ(笑)。
大塚愛:聞かれ(笑)。
--で、その『さくらんぼ』で【日本レコード大賞】の最優秀新人賞ですよ!あれが決まった瞬間の心境とか憶えてます?
大塚愛:私は、ちょうどあーや(平原綾香)ちゃんと同期で、あの年は年末になると、一緒に新人賞の枠にノミネートされることが多かったんですけど、「いや、これ『Jupiter』じゃないかな?」とは、思ってました(笑)。でも自分の中であの賞は、『さくらんぼ』だけじゃなくて、『桃ノ花ビラ』とか『甘えんぼ』とか、そういういろんな楽曲を含めての評価として受け取っているんです。もう当時から幅広い楽曲を認知してもらいたいとは思っていて、その筆頭になったのが『さくらんぼ』だったっていう。でも2003年の年末から2004年にかけて『さくらんぼ』がまた世にバァ~って広がったのはすごく嬉しかったし、それのおかげで2004年は本当にハッピーな年になりました。
--それで『Happy Days』と(笑)。
大塚愛:はい(笑)。
--当時の大塚 愛の勢いに追い打ちを掛けたのが『Happy Days』だったわけですが、あそこで“大塚 愛=めっちゃテンション高い関西人”みたいな大塚 愛の最初のイメージが世間的に付きましたよね?
大塚愛:確かに。当時、「女性に聴いてほしい」っていう気持ちが大きくあったんですけど、そこで女性に警戒されてしまうことに対してすごく心配していたんです。で、女性の立場からすると、女性の好きなタイプと嫌いなタイプがあるのはよく分かっているわけじゃないですか。それで、なんとなく「私、大丈夫ですよ~」「嫌なタイプじゃないですよ~」っていうのを示したくて(笑)、多分すごくテンションを上げて、おばちゃんっぽく、なるべく男らしくしていたと思うんです。やっぱり女性に好かれたい気持ちは強かったので。
--またその後の展開が、見事でした。『金魚花火』『大好きだよ。』と、真剣かつ本気のバラードを立て続けに発表。あれは考えあっての展開だったんですか?
大塚愛:当時はあんまり考えてなかったんですけど、今振り返ると、『金魚花火』『大好きだよ。』の頃が一番女性視線だった感じはしますね。すごく女性らしいし、私の中の女性のフェロモンがぶわッと出ている頃だったなと思います。また『金魚花火』『大好きだよ。』は、一番綺麗。
--その綺麗な感じに日本中の多くの女性が共感したんでしょうね。結果、大塚 愛の「女性に好かれたい」という想いを叶えた楽曲だとも思うんですけど、それだけ女性を意識しまくった後に『黒毛和牛上塩タン焼680円』ですよ。もうね、「さすがだな」と思いました(笑)。
大塚愛:(笑)。
--これは絶対ターゲット、男だろ?と(笑)。この楽曲で、「あ、この人の表現に制限はないな」と、確信しました。あの楽曲はどういった発想やイメージから生まれた楽曲なんですか?
大塚愛:相当昔に創った楽曲だったので、あそこまで前線に引っ張り上げられるとは思っていなかったんです。そこまで過剰にみんなが反応を示す意味も分かんなかったし、あの楽曲を創った理由としては「あまりに塩タンが好きだった」なんてモノだったりしたし(笑)。でも若干私の中で男っぽいところがあるがために、男の目線でモノを見たりすることは、多いような気もしています。
--それをすごく強く感じたのが、2005年の全国ツアー【『JAM PUNCH Tour 2005』 ~コンドルのパンツがくいコンドル~ Supported by オロナミンC】で、この楽曲のラスト、人差し指を口にあて“シーッ”・・・みんなが静かになったところで“お味はいかが~♪”って歌っていたの憶えてます?
大塚愛:はい。
--僕はあれをやられた瞬間に「あなたは天才」だと確信しました(笑)。
大塚愛:(爆笑)。
Interviewer:平賀哲雄
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--そしてもう一曲、あの時期に僕が大塚さんの才能にぶったまげた楽曲があるんです。それは『NANA』のレイラをイメージしたナンバー『Cherish』。自身ではあの楽曲にはどんな印象を持たれていますか?
大塚 愛:『Cherish』が一番古くに創った楽曲ということもあって、ちょっと自分の中で抵抗があったんです。「もうちょっと古くないかな?」っていう不安もあって。そういう意味では、一番不安があった楽曲なんですけど、そもそも私が創っていた楽曲ってこういう暗い楽曲がメインだったんですよ。明るい楽曲は比較的後から創り出したんですよ。だけど私のルーツ的な楽曲が評価されたので、そこはホッとしましたね。「あ、大丈夫なんだ」って。
--あの楽曲を世に発表できたことで、僕はその後の『ネコに風船』や『プラネタリウム』だったり、今回のベスト盤には収録されませんが、『LOVE COOK』に収録されていた『5:09a.m.』『羽ありたまご』といった、おそらくは大塚さんがアーティストとして一番表現したい部分が出しやすくなったと感じているんですが、自分ではどう思いますか?
大塚 愛:そうですね。やっぱりデビュー当時ぐらいにそれを出すのと、あのときのタイミングで出すのとでは、全然状況が変わっていたと思うんです。時代の流れを見ていると、あの頃はやっぱりアッパーな楽曲が派手にウケたりしていた。それを考えると、最初に重いのをドーンって出して、サラッと流されてしまうよりかは、最初は明るい、みんなが受け入れやすいモノから出して、どんどん深みにハマってもらう方が良いじゃないですか。それでも『Cherish』っていう一番古くからある重い楽曲があれだけの評価を頂けたのは、予想外でした。なんか、長い時を経て、みんなに愛されるワインみたいな楽曲になったなって。
--それだけ古い楽曲を、『NANA』のレイラをイメージしたナンバーに仕上げようと、あのタイミングで思ったのは?
大塚 愛:矢沢あい先生とお話ができたことも大きいんですけど、私も『NANA』は大好きで読み尽くしていたんです。その中で感じたレイラの気持ちとかが、ちょっと自分とかぶっていたりして、詞を書きやすかったのもあったし、やっぱりトラネス(『NANA』の中でレイラがボーカルを務める日本一人気のあるバンド。正式名称は、TRAPNEST(トラップネスト))を意識すると、それまで私が世に出してきたポップなイメージよりかは、もうちょっとドラマティックで、フォルテとピアノの差が激しい楽曲の方が劇的でいいと思ったんですよね。で、『Cherish』は、すべての要素をドラマティックに創り上げているんで、「これだ」と思い。
だから『NANA』のトリビュートアルバムの話がなければ、もしかしたら世に出さなかった楽曲かもしれないんです。そう思うと、その『NANA』の話が来る前に、自分が好きで『NANA』を読んでいたこととか、その後の私が重かったり深かったりする楽曲を世に出しやすくなった状況とか、すべてが台本に書かれていたかのような流れだったなって感じます。--またそうした深い表現や音楽にチャレンジできた楽曲の合間に『SMILY』『ビー玉』という、例えば子供が聴いても楽しめるようなシングルも必ずリリースするっていうのは、大塚 愛の大きな特徴でもありますよね?
大塚 愛:自分が音楽をやっていて思うのは、メジャーシーンで音楽をする中で皆さんが求めているモノと自分が形にしたいモノ、やっぱりそこには時々ズレもあるわけなんですけど、ただ自分がしたいモノばっかりやるんだったら、それはインディーズに行くべきかなって思うんです。でも私はメジャーでやっていくことを選んだわけで、みんなが今どんなモノを求めているのかを考えるのは、すごく大事なこと。しかもそれは一部分だけではダメなんです。若い人たちからお年寄りの方まで分かるような、耳に残るような楽曲を必ずどこかのタイミングで打っていかないといけない。そこは大切にしてます。だから『SMILY』なんて、私より子供の方が上手く歌えますからね(笑)。で、その子供のお母様方も一緒に楽しんでくれる。こういう楽曲が幅広く受け入れてもらえるなっていうのは、やっぱり『さくらんぼ』のときにも感じたことですね。
--で、『ネコに風船』『プラネタリウム』。この頃は、大塚 愛のアーティスティックな部分が全面に出ていて、それまでのちょっと元気なイメージがなくなるぐらいのスタイルで活動されていましたが、自分にとっては、どんな時期だったりしました?
大塚 愛:すごく嬉しい時期でしたね。「やっとここまで来た」というか、アーティスト寄りの楽曲を出せるタイミングまで来れたことがすごく自分にとって楽だったし、嬉しかった。そういう楽曲をどうしてもみんなに聴いてほしいから、それを聴いてもらえる土台作りにちょっと目を引くような、変な楽曲とかを(笑)前に持ってきて、そこがあったからやっとここまで来れて、自由にアーティスティックなモノを普通に出すことができた。そう思うと、嬉しかったですね。すごく音を聴いてても気持ちいいし。ただバランス的には「よくわかんない楽曲を出すようになっちゃったんだな」っていうところに行ってしまうのは違うと思うので、なるべくアーティスティックな作品集の中でも一番メジャーなモノを出すようにはしてます。
--そして、今作の最後には、サードアルバム『LOVE COOK』の最後の楽曲でもあった『LOVE MUSiC』が収録されています。今改めて、大塚さんがこの楽曲を通して表現したかったことを聞かせて頂きたいんですが。
大塚 愛:それまでの楽曲って「私がこうしたい」っていうモノが基本としてあって、それを形にすることが一番素直だろうと思っていたんです。なんか、「音楽で伝えたいこと」って言われても意味がよく分からなかったんです。だから、そういうことじゃなくて、なんとなく嬉しくなったり、楽しくなったりする楽曲を創っていく。それでいいんです。そうずっと思っていたんですけど、だんだん共感してくれる人が増えれば増えるほど、みんなが普段大声で叫べない言葉、それを大声で叫べる立場にいる私がメッセージしていく、それが私がメジャーで音楽をやっている意味なんじゃないかなって思うようになってきて。みんなが「なんて言葉にしたらいいんだろう?」って思っていることを私が代わりに言葉にして歌う。そう思って創ったのが『LOVE MUSiC』です。
Interviewer:平賀哲雄
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--僕、この楽曲を聴いていたら、実は大塚 愛の楽曲はすべて「生きる」っていうテーマが一貫されているんじゃないかなって感じたんです。それを笑いながら表現するときもあれば、泣きながら表現するときもあるっていう。
大塚愛:そうですね。ここまで大きなテーマで書いたのは、『LOVE MUSiC』が初めてなんですけど、ただこうした大きなテーマの原点には、ごく身近なところの生命があるんです。私のやり方としては、それを表現していきたい。だから良いことだけじゃなくて、悪い部分も隠さずに書きたいって思えるし。それが集約されて大きくなったのが『LOVE MUSiC』ではあるんですけど、一番恥ずかしい感じでもあるんです。「あ~、みんな良かったね~」みたいな感じは、一番苦手なところでもあるので(笑)。
--あの、野音でやったライブ【[LOVE IS BORN]~3rd Anniversary 2006~】の最後でこの楽曲を披露したじゃないですか。で、今言った「あ~、みんな良かったね~」みたいな感じになりましたよね。それで僕らは感動してその場を後にするわけなんですけど、出口でおみやげを渡されるんですよね。大塚さんが「3周年ありがとう」と書かれたふんどしを締めてるイラストを(笑)。
大塚愛:(笑)。
--もうあのときにね、この人は、綺麗に終わって感動して「あ~、みんな良かったね~」は、性格的に出来ないんだなと(笑)。
大塚愛:そうなんです(笑)。もう、何だったらそのおみやげをペンッ!て投げ捨てられても仕方ないっていう。「あいつ、ムカつく!!」って言われても仕方ない(笑)。なんか、そうやってムカつかれることが最近心地良く感じてきてしまって。
--(笑)。でもそうやって、シーソー式にノリツッコミし続けてる感はありますよね。
大塚愛:そうですね。もうそこはどうしようもない(笑)。
--また今回のベストアルバム『愛 am BEST』、今作品のために撮り下ろした『LOVE MUSiC』のミュージッククリップが収録されているようで、こちらはどんな内容になっているんですか?
大塚愛:どんな言葉でも形容できない感じのPVです。「よかったね」とも違うし、「暗いね」とも違うし、口で感想が言えるモノではなく、心で感じ取るPV。でも敢えてキーワードを挙げるなら「水」かな。私っていう存在も「水」になりたいなと、最近は思っていて。形をいろんなモノに変えられるモノという意味でも、人間に染み込んでいく一番大事なモノという意味でも。あんまり気張らないんだけど、でも必要。やっぱり水がないと、何も育たないですからね。そんな存在になりたいです。
--また今作のタイトルを『愛 am BEST』にしようと思ったのは?
大塚愛:作詞作曲にいつもクレジットされている“愛”を前に出したかったんです。“大塚 愛”よりも作品を創ったネーム“愛”を使いたかったんです。その人の作品集だから。そしたらジャケットがただのサインになっちゃって(笑)。あと、「私は、ベストだ」って言えるぐらい胸を張れたらいいなと思って、付けました。
--そんな『愛 am BEST』を引っ提げた全国ツアー【大塚 愛「愛 am BEST Tour 2007」~ベストなコメントにめっちゃ愛を込めんと!!!~】。
大塚愛:すみません(笑)。
--え~、こちらのタイトルにはどんな想いを込めているんでしょうか?
大塚愛:(笑)。あの、ベストなんで、もうちょっと真面目に生きようと思って・・・・あの、愛を込めんといけませんね。っていう。
--なるほど。
大塚愛:はい(笑)。あ、あと、そのタイトルにちなんでMCが長くなると思います。まぁいつもそれで怒られるんですけど(笑)。
--どんなツアーにしたいと思っていますか?
大塚愛:すべてのジャンルがとことん味わえる感じになると思います。あらゆる面で食べ尽くせる内容になると思います。今回は、お腹いっぱいになって帰ってほしいです。今までは、腹八分目で帰ってほしいなっていうのがあったんですけど、今回は、お腹いっぱいで帰って、「気持ちわる・・・」みたいな(笑)。
--「食い過ぎた」と(笑)。
大塚愛:「もう二度と来るか!」みたいな(笑)。
--それぐらいまで行っちゃいたい?
大塚愛:はい。構成的にも盛り沢山になるし、「ここで止めときゃいいのに」って思われるような部分は多分出てくると思います(笑)。
--では、最後になるんですが、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
大塚愛:『愛 am BEST』と言っても、なんか、みんなで創り上げたベストみたいな感じがしていて。私の手元を離れて、いろんなところに広まって、いろんなところで育ってきた楽曲たちがもう一回こうやって集合して、すごく濃いベストアルバムが出来たっていう印象なんです。なので、このアルバムを使って、もっともっと生活を楽しんでもらえたらいいなって。そう思えるラインナップなんで、ぜひ、家に、飾ってください。・・・飾って!?
--(笑)。
大塚愛:じゃなくて、聴いてくださいっ(笑)!
Interviewer:平賀哲雄
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