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こまどり姉妹×令和三姉妹(間々田優×美良政次×中村ピアノ)対談インタビュー
「必ず良い日がやってきますから!」
間々田優×美良政次×中村ピアノによって結成された令和三姉妹。コロナ禍に苦しめられながらも敢行した【中村ピアノ・美良正次・間々田優 全国ツアー2020 令和“歌唄い”3人旅】の中で生み出した「みんなの旅☆みんなの歌」をデビューシングルとしてリリースする運びとなったのだが、なんとこのタイミングで姉妹繋がりの大先輩と奇跡の邂逅! 戦後のドヤ街からスターダムへと駆け上がった双子デュオ・こまどり姉妹との対談が実現した。
昭和を生き延びる為に歌い続けたこまどり姉妹と、令和を生きる人々の力にならんとする令和三姉妹。ポジティヴなマインドを持つ双方の出逢いによって発信された金言の数々、ぜひともご覧頂きたい。
コロナ禍で「希望や目標になるモノを」と生んだ音楽
--昭和を代表する姉妹と令和を代表していくであろう三姉妹の歴史的対談。こんなにも華やかな席に居合わせることができて光栄です。
間々田優:私たちもこまどり姉妹さんとご一緒することができて光栄です!--双方の魅力を改めて世に発信していくインタビューにできればと思っているのですが、まずは令和三姉妹がどのような経緯で結成されたユニットなのか。間々田さんからお聞かせ願えますでしょうか。
間々田優:私たちは元々それぞれソロで活動していまして、2020年にこの3人で【中村ピアノ・美良正次・間々田優 全国ツアー2020 令和“歌唄い”3人旅】と題した全国ツアーを開催したんです。ただ、皆さんもご存知の通り、ちょうど1年前の春頃からコロナ禍になってしまったので、30公演を予定していたツアーが延期になったり、中止になったりしてしまって。その中でもツアーを全うしたいし、ライブや音楽を続けていきたいと思ったときに「希望や目標になるモノを作らないか」ということで、まずはツアーのテーマ曲「みんなの旅☆みんなの歌」を作ることにしたんです。そして、その曲をツアーに来てくれる方々だけじゃなくいろんな人に届けたいと思い、この3人で令和三姉妹というユニットを結成しようと。--ツアーに限らず、大々的に令和三姉妹として活動することになったんですね。
並木葉子:令和三姉妹、面白いわねぇ。 間々田優:ありがとうございます! 私は長女をやらせて頂いています。 中村ピアノ:次女です。 美良政次:末っ子です。一応、男なもので「三女」ではなく「末っ子」とさせて頂いております(笑)。 間々田優:この3人は同じレーベルということがひとつあるんですけど、私が活動を再開した5年前から中村ピアノさんはツアーに帯同してくれたり、同じイベントに出演したりしていて。美良さんも含めて、それぞれお互いの作品をリスペクトし合っていた仲でもあったんですよね。 中村ピアノ:各々ソロシンガーで、間々田さんはギターの弾き語り、美良政次さんはヴィジュアル系演歌歌手、私はピアノを弾いて歌っている。それぞれに異なるパターンで活動していたんですけど、コロナ禍になって「ユニットとして1曲作ろう」とひとつになって。さらには「お客さんにもツラい気持ちや本当は言いたいけど言えない気持ちを発信してもらおう」と歌詞を一般公募して、本当にたくさんの人を巻き込んで1曲作ったんですけど、それが私にとってはすごく貴重な経験で。普段はひとりで歌詞も曲も作るから孤独な作業が多いんですけど、令和三姉妹として今までにない「みんなで作る」という経験をさせて頂いたので、これは物凄い財産になったなと感じています。 美良政次:この3人で2020年に全国ツアーをまわることになったので、それを進めていく過程ですごく大変な時期を一緒に過ごせたんですよね。「お客さんを入れることができないから配信でライブをやりましょう」とか「お客さんが入れられるようになっても、ソーシャルディスタンスとか声出し禁止とかルールを守ってやりましょう」みたいな制限のある状況下においても、我々3人もスタッフの皆さんも一丸となっていて、その時点で気持ち的にはグループだったのかなって。ただそこに名前が付いた。それが令和三姉妹なのかなって思いますね。--こまどり姉妹のお二方も気になっていると思うので、美良さんが何ゆえにヴィジュアル系演歌歌手というスタイルで活動することになったのかも伺わせて頂けますでしょうか?
美良政次:僕はヴィジュアル系演歌歌手とは別にロックバンド(MALICE MIZERのリーダーManaが結成したバンド・Moi dix Mois)のボーカルをやっているんですけれども、そのバンドではヨーロッパツアーとかも行っていたのですが、ウチの父親がガンの闘病生活を始めたとき、そのリハビリをウチのバンドのDVDを観ながらやってくれていたんですね。それを母から聞いたときに「親父が好きな演歌を聴かせたり見せたりすることができたら、もっとリハビリが上手くいくんじゃないか。元気になってくれるんじゃないか」と思って、それをプロデューサーに相談したことがきっかけでビジュアル系演歌歌手としての活動もスタートして。なので、こんなに不思議な形になったんです(笑)。--父親に元気になってほしくて始めたものだったんですね。そんな美良さん含む令和三姉妹の大先輩となるこまどり姉妹。前身の並木姉妹が1959年デビューになりますから、約60年前の話になると思うのですが、そもそもどういった経緯があってご姉妹で歌手活動を始めることになったのでしょうか?
並木葉子:私たちは北海道で暮らしていた頃から流しをやっていたんで。 並木栄子:11才からね。 並木葉子:それから半年経って、帯広から東京まで出てきたのが昭和26年(1951年)。タクシーの人が浅草の山谷というドヤ街に連れて行ってくれて、そこが寝ぐらで。そいで、浅草から吉原のまわりまで当時は呑み屋さんがたくさんあったんで、流しの人も何十組と居たわけなんですけど、私たちは流しをやるにも最初は着物も三味線も持っていなかったので、素で歌っていたのよ。でも、美空ひばりさんの歌をうたうと呼んで聴いてくれる人たちがいて。ひばりさんは私たちの命の恩人でもあるんです。ひばりさんは昭和12年生まれで、私たちは13年の早生まれだから同じ学年になるんですけど、北海道で暮らしていた頃からひばりさんのレコードはよく流れていて、それがきっかけで生きる道が見えてきたわけだから。 間々田優:そうだったんですね。 並木葉子:それはどういうことかと言うと、ひばりさんが子供ながらに大ブレイクしていたから、夜呑みに来てるお客さんたちがね、私たちがちっちゃい子供ながらに流しで歌っている姿を見てね、ひばりさんの姿とダブらせてくれたのよ。それでお店にたくさんのお客さんを呼べるようになっちゃったもんだから、そこで演歌をやってる流しの人が妬んじゃって、私たちについてまわっていたウチの父さんを路地に呼んで袋叩きにして「北海道へ帰れ!」って言うわけですよ。お店が私たちを呼んじゃうとその人は食いっぱぐれちゃうから。お客さんだって余計なお金があるわけじゃないから、1組呼ぶと次は呼ばないわけでしょ。--誰もが命懸けで流しをやっていた時代なんですね。
並木葉子:なので、その演歌歌手が来ないようなところをまわっていたんですけど、その演歌歌手界隈の親分さんが「三味線なら許す」と言ったんですよ。でも、三味線というのは、人前で聴かせられるようになるまで3年かかるわけですね。なので、親分さんは「1日2日では商売にできないだろうから、しっぽ丸めて北海道に帰るだろう」と思ってそう言ったんです。で、あの当時、山谷でも素泊まりで500円ですよ。今の5000円か10000円に近いぐらいの値段なんですよ。それを稼ぐにも一生懸命な状態だから、北海道には帰れないんですよね。私たちは片道切符で東京に来ているから。- 壮絶!ドヤ街で11才から生きる為に歌っていた姉妹物語
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ライブ情報
令和三姉妹【Again!!令和“歌唄い”三人旅グランドフィナーレ追加公演~僕たちの旅は続いてく~】
2021年08月22日(日)池袋LIVE INN ROSA
OPEN 15:00 / START 16:00
出演:間々田優、美良政次、中村ピアノ
ゲスト:こまどり姉妹
チケット発売中
https://eplus.jp/sf/detail/2805190002-P0030042P021001?P1=0175
関連リンク
Interviewer:平賀哲雄|Photo:A.Kawasaki
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