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THE BACK HORN 栄純単独インタビュー
震災を経て完成した新アルバム『リヴスコール』が出来るまでの日々、栄純から見た各メンバー(山田将司(vo)、岡峰光舟(b)、松田晋二(dr)、自分)の特性、日本のロックやAKB48全盛のシーンに対する見解(SNE48=菅波栄純48プロジェクトの立ち上げ?)、2度目の日本武道館、3.11以降喪失感を持ちながらもサヴァイヴしていく為の提案など、魂込めて語ってくれました。
野性的に動けた3.11直後~世や人生に絶望しても
--2010年9月『アサイラム』から今作『リヴスコール』完成に至るまで、栄純さんにとってどんな期間になりましたか?
菅波栄純:まず『アサイラム』は「THE BACK HORNらしいアルバムが出来た」っていう充実感がすごく強かったんですよね。かなり完成度の高いデモを全員が作れるようになってきたこともあり、それぞれの個性が曲に反映されるようになってきて。また、あのアルバムのツアーは挑戦し甲斐のある曲が多かったんで、演奏面でかなり血となり肉となった。そこで得たグルーヴとか、エモーショナルな音のノリとかを音源にもっと込められないかと。あと、今まであんまりやってこなかった歌詞を先に作ることとか、そういうチャレンジをいろいろやっていこうと思って、去年の頭ぐらいから曲作りに入ったんですけど、3.11の震災があって。
--流れが一度止まったと。
菅波栄純:その日は俺らスタジオに入っていたんですけど、震災があって「あれ、音楽やってる場合じゃないのかな?」ってパッと思ったんですよね。それで、とりあえず2日ぐらいそれぞれ家にいて。で、取材があったんで集まったときに、まずちょっとホッとしたというか。この4人……やっぱりコイツらと一緒にいるとホッとする気がしたんですね。それから「まずは人として義援金を送るとか、足りていないものを送ることが正しいんじゃないか」みたいな話になったんですけど、ライブとかがどんどん中止になったりして。THE BACK HORNとしてどうするか考えたときに、まず自分らの中で決まったのは、ライブは主催者側がキャンセルしない限りは全部出ていこうと。
--実際、早い段階でライブは行っていましたよね。
菅波栄純:それでライブのリハに入ったとき、俺らはミュージシャンだし、やっぱり曲を作ってその曲を配信したりして、チャリティーを形に出来ないかっていう話が(岡峰)光舟(b)から出てきて。で、もうとにかく行動は起こしたかったし、震災以降に新たなアプローチをしたかったのもあって、『世界中に花束を』を手掛けることになるんです。そのときにマツ(松田晋二(dr))が詞先で書いた歌詞と、(山田)将司(vo)が曲先で作ってきた曲があって。ただ、それぞれ飛び抜けて良かったんですけど、結び付くとは思ってなくて。だけど全員の閃きで合体させて、将司が歌ってみたら「これはいける、その場で録ろう」となり、ライブリハのスタジオでノートパソコン広げて録って、すぐに配信することになったんです。
--それで、あれだけ早い時期に発表(2011年3月30日より配信)できたと。
菅波栄純:あの時期はひとつひとつのことに対して野性的に動けた。「このメロディで良いのかな?」とか「この歌詞で誰か傷付く人はいないかな?」っていう葛藤も出てくるんですけど、だけど「いや、今までの自分を信じよう」と思えたから凄いスピードでリリースできて。で、最終的に今回のアルバム『リヴスコール』が出来上がってみると、やっぱりあの時点でいろんな葛藤とか不安とかありつつも、震災に対して野性的にリアクションできたことは、バンドの信頼感を確かめる意味でもすごく大事だったし、音楽の力で聴いた人を元気付けたい気持ちは4人とも一緒なんだという確認もできたし、すごく大事な一歩だったなって。
--『世界中に花束を』を携えて被災地でライブも行いましたよね。
菅波栄純:東北のライブハウスの人たちとかイベンターの人たちとすごく協力できたので。逆に向こうから「THE BACK HORN来てくれたら、みんな元気になるんだけど」って誘ってもらえたり、今まで培ってきた人間関係の中でそんなに多くは語らずとも「ですよね」「やりますよね」ってなったり。事務所もチケット代をすごく安くしたり、『世界中に花束を』の配信ではレコード会社の人たちが、配信リリースするに当たっていろいろあったんですけど「いや、やりましょう」って応えてくれて、誰もが野性的だったんです。俺の言い方だと、野性的に全体が動いていた。
--その野性的なアクションとして敢行した東北ライブは、どんな印象だったんでしょう?
菅波栄純:「力になろう」と思って行ったのに、むしろ自分たちがすごく励まされたなって思った。いろいろありつつもライブに集まってくれて、ひとりひとり泣き顔やら笑い顔やらぐしゃぐしゃなんですけど、「おまえら、音楽を鳴らしてくれよ。悩んでねぇで。それでいいんだよ。それぞれが出来ることをやればいいんだ」って言ってくれている気がして、「よーし!」ってなったんですよね。今年の3月に発表した『シリウス』は、そうした葛藤から「やっぱりTHE BACK HORNらしく命の叫びのような音を込めていこう」って気持ちが変化していくドキュメンタリーになったと思う。
--ちなみに栄純さんは震災後、夏の野音で、自身が手掛けたバックドロップ(ステージ後方の画)について須佐之男命(スサノオのミコト)の話をしつつ「日本人はやられっ放しじゃねーぞ、この野郎!」と言い切ってくれました。やはり悔しさは強くあったんですか?
菅波栄純:最初はありましたね。でも、日本人って今までも自然災害に遭ってきている訳で、本とか読んでみると、過去の人はそういうときに何故か俳句を書いてみたりとか、黙々と家を建て直していたりとか、わぁー!っとなる訳でもなく淡々としているんですよ。無常観っていう考え方で、すべては流れて動いていくもんなんだっていう、ただの諦めとは言えない、もっと深い感覚。留まらないんだって思って生きていくところがあって。日本人ならではの、強固ではなく柔らかい、しなやかな乗り越え方をしている。でも俺はそういう境地までは辿り着いてないし、悔しいとか、悲しいとか、やっぱりすごくエモーショナルになっちゃうし、それはそれで全然あっていいと思ってはいるんですけど、そういうかつての日本人が持っていたしなやかさは、絶対ヒントにはなるだろうなって。
--4人が「やっぱりTHE BACK HORNらしく」って思えたのも、しなやかさのひとつですよね。
菅波栄純:そうなんですよ。音楽ではお腹が膨れる訳でもねぇ。人の命を蘇生させられる訳でもねぇ。でも音楽をやるっていうのは、そういう意味でのしなやかな戦い方のひとつではあると思うんですよ。
--その後もTHE BACK HORNは凄まじい熱量のライブでもって、多くのリスナーを鼓舞し続けています。そこで聞きたいんですけど、そうしたライブや音楽を発信していく側らで、この世の中だったり、人生に絶望することはないんですか?
菅波栄純:ありますね(笑)。でもあるのはしょうがねぇというか、日によって体調が悪かったりするじゃないですか。やけに頭が痛ぇし、腰も痛ぇしって。で、テレビとかでは「これの原因はこれだ。これの対処法はこれだ」ってよくやってるじゃないですか。でもひとつひとつの対処法はそれぞれ効果があるのかもしれないけど、もしかしたらすごく複合的な理由で体調が悪いかもしれない。気温とか、自分が操作できない部分も関わっての体調の悪さだとしたら、結局は「たまたま体調悪い」と思うのが一番良いのかなって。
--それ、いいですね。
菅波栄純:だから、ずーっと「原因は何なんだろう?」って頭悩ませたりするのは辞めたんですよ。「たまたまだな」って思うようにして、淡々と体調の悪さが過ぎていくのを静観しようって。そう思ったら少しラクになったというか。心の調子とかも同じで、自分のせいで心の調子が悪いと思う必要もねぇし、誰かのせいって訳でもねぇし、気温のせいかもしんないし、天気のせいかもしんないし。絶望っていうレベルまで落ちちゃうこととかも、ちょっとしたことの複合的な理由だとしたら、「たまたま今日は絶望してんのかもな」って思う手もあるというか。そう思うようになったら持続性が無くなったかもしれない。絶望の。押し込める訳でもなく、いなすというか。
--その変化は音楽にも影響してる?
菅波栄純:うん。今回のアルバムはネガティブなもんもポジティブなもんも、4人とも吐き出して。それが今まで以上に込められたと思うんですけど、どこかに開放的な感覚もあるというか。THE BACK HORNだから楽観的と言うほどのものではないかもしれないけど、やっぱり少し青空が頭上に広がってる。どんなに絶望的な気分でも、そういう部分も一緒にあるというか。共存してる。
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