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<インタビュー>野村達矢(日本音楽制作者連盟 理事長) 「このままだと日本の音楽文化が失われてしまう」 #MusicCrossAid

インタビュー

 CDの売上が減少する一方、2000年以降右肩上がりの成長を続け、日本の音楽シーンを支えてきたライブ・エンタテインメント産業。そんな中、2020年にコロナウイルスの感染が拡大し、2月末からほぼ全ての公演が中止、延期に。多くの人が仕事を失い、ライブハウスの閉店も相次いでいる。6月12日にはライブ再開の新基準が発表されたが、収益面を考えると課題は多く、元通りになるには、かなりの時間を要するだろう。そんな危機的状況を受け、日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会の3団体が、基金「Music Cross Aid」を6月11日に発足。コロナウイルス感染拡大によって活動停止を余儀なくされた事業者やスタッフに向けての支援プロジェクトをスタートした。今回、日本音楽制作者連盟の野村達矢理事長に立ち上げまでの経緯についてインタビューを行った。

「自分たちで自分たちをどう助けるのか、今までになかった思考だった」

ーー今回の基金を立ち上げられた経緯をお伺いできますでしょうか。

野村達矢:2月26日に安倍首相から大規模イベントの自粛要請がありました。当初は2週間程度の自粛要請だったので、2週間後に再開するためにはどうすれば良いかを考えていました。ところが、2週間が1か月になり、2か月になり…自粛しないといけない期間が長期化してきて。そこで、3月の上旬に業界3団体で「#春は必ず来る」という声明文を発表しました。地震や台風などの災害とは違って、感染症というのは一人一人が衛生管理に気を付ければ、防げると本気で思っていたんです。そういう意味での発信だったんですが、敵(コロナ)は強かったですね。

そして、感染はさらに拡大して緊急事態宣言が発令される少し前の3月下旬頃に、ライブ再開は絶望的な状況になってきていることを感じました。我々が、どの業界よりも先んじて自粛をし、3月時点で約1,550公演のライブがキャンセルされ、5,000万人近い人の足を止めたことを考えると、感染拡大防止に協力できたと思っています。ただ、その結果450億円相当の売上を失いました。このままだと日本の音楽文化が失われてしまうということを訴えるために国会にも出向きましたが、なかなか補償も受けられなかった。なので、いつかまたライブが再開できるようになった時に、きちんと復活できるよう民間で支援しあう仕組みを作る必要があると感じ、このプランに至りました。

ーー基金を立ち上げるまでのハードルは何でしたか。

野村:これまでも、災害が起こった時には被災地に直接出向いたり、寄付をしたり、様々な支援を行ってきました。ですが、今回は我々が資金を集めて、自分たちの業界の中で再分配するので、仕組みが大きく異なります。我々にとっても経験がなかったことなので、利益を得ることなく、公益性をもった形でどのように立ち上げるのか、非常に時間がかかってしまいました。制度や税金の面など、一つずつ勉強しながら進めていった結果、公益財団パブリックリソースのプラットフォームを使って、「Music Cross Aid(ライブエンタメ従事者支援基金)」を立ち上げに至りました。

ーーたしかに、これまでの災害支援とは大きく立ち位置が異なります。

野村:災害が多い国なので、被災地の救済支援というのは、これまでに何度もやってきました。被災地でライブパフォーマンスをやったり、音楽を通じて人々を支えたり。ただ、今回のコロナウイルスに関していうと、どこが被災地というわけではないですよね。これまで被災地に対して発揮してきた音楽やエンタテインメントの力を使うところがなかったというのは、初めての経験でした。もちろん、医療従事者の皆さんが大変だという気持ちはすごく分かるんですが、2月26日からエンタテインメント業界はロックダウンに近い状態で自粛が続いていて、再開にあたっても最後と最も自粛期間が長い業界です。国内外のアーティストが家で弾き語りをして、Stay Homeを呼び掛けたり、オンライン・ライブで資金を集めて医療従事者に寄付をしたりしてきましたが、自らがダメージを受けながら発信をしている辛さというのを感じましたね。なので、自分たちで自分たちをどう助けるのか、今までになかった思考でしたが、それが「Music Cross Aid」の立ち上げに繋がりました。

ーー基金によって支援される人は、どのような方たちなのでしょうか。

野村:バックミュージシャンやダンサー、クリエイターの方や、舞台、音響、照明、楽器などステージに関わる人全てですね。今、仕事がゼロになっていますから。

ーー政府からの助成金を待たず、基金を立ち上げる必要があると感じられたのはいつ頃でしたか。

野村:4月上旬くらいだったと思います。我々の団体が働きかけたことによってエンタテインメント業界に対する政府からの支援も色々と立ち上がりました。例えば、J-LODliveという経済支援プランがありますが、それはあくまでもライブを再開した時に、再開の経費を援助されるというものです。ところが、今はライブを完全に再開するためには、まだまだ時間がかかる。それまで食いつないでいくプランが見えないなと感じたのは、国会の第一次補正予算が発表された4月上旬くらいでした。

ーーその頃から、クラウドファンディングを立ち上げるなどアーティスト自身も声を上げ始めました。

野村:最初にクラスターが出たのがライブハウスであり、短期間で窮地に陥る収益構造で成り立っていることもあって、民間で最初に立ち上がったのがライブハウス支援でした。ライブハウス支援を否定する気持ちはもちろんありませんが、ライブというのはライブハウスだけで成り立っているわけではありません。ライブを実現するには、ミュージシャンやイベンター、舞台製作会社、音響、照明など様々な人たちがいて、同じように窮地に立たされています。あまりにもライブハウスだけにフォーカスが当たりすぎていたので、それ以外の人たちも守らないと、と思っていました。

エンタテインメントの華やかな部分っていうのは、ほんの一握りで、ライブ・エンタテインメントには多くの人が関わっています。そして、ミュージシャン以外も関わっている人たちは、みな表現者なんです。例えば、私の会社に所属しているサカナクションのライブをするにも、音響や照明はこの人じゃないといけないという人がいます。誰でも良いわけではありません。その人たちを守っていかないと、と思いました。

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