Special

<インタビュー>数々の名バンドを手掛けたスティーヴ・リリーホワイトだけが知る当時の裏側



Steve Lilywhiteインタビュー

 2019年12月に発表されたLUNA SEAのアルバム『CROSS』をプロデュースしたスティーヴ・リリーホワイトは、これまで【グラミー賞】を5度受賞してきた世界的音楽プロデューサーだ。U2、ザ・ローリング・ストーンズ、XTC、ザ・キラーズなど大物アーティストの数々の名盤を手がけてきた彼のキャリアは、1冊の本になるほど豊潤なものである。

 「自伝を書いているところなんだ」とスティーヴは語る。ただ、「少しずつ書いているところで、刊行されるのはかなり先になる」とのこと。このインタビューではその刊行に先駆けて、彼の輝かしいキャリアから貴重なエピソードを幾つか明かしてもらった。

 LUNA SEA『CROSS』についてスティーヴが語ったインタビューはこちらを参照

あのリハーサルを再現出来ていたら、ロックンロールの歴史は変わっていた

――ザ・ローリング・ストーンズ『ダーティ・ワーク』(1986)で、崩壊一歩手前といわれたミック・ジャガーとキース・リチャーズの関係を取り持ちながらアルバムを完成させ、バンドの復活に繋げたことは、ロック史に残る偉業のひとつと言われています。その舞台裏はどんなものでしたか?

スティーヴ・リリーホワイト(以下スティーヴ):その話は、自伝の1章を費やすことになるだろうね(苦笑)。とにかくミックとキースの関係が最悪だった。2人の間には会話がなかった。私の仕事は、ヘンリー・キッシンジャー(アメリカの元国務長官)をすることだったんだ。連日、和平交渉をしていたんだよ。ミックが文句を言うのをさんざん聞いた後、キースから文句を聞く。その繰り返しだった。2人をなだめながら、それぞれのパートを録音させたんだ。あの時期、ミックは最初のソロ・アルバム(『シーズ・ザ・ボス』/1985年)を完成させたところだった。キースは「あのダサいディスコ・アルバム」と呼んでいたよ。そうして出来上がった『ダーティ・ワーク』はストーンズ史上最悪のアルバムだった……次のアルバムが出るまでは!

――『スティール・ホイールズ』(1989)はそんなに悪いアルバムでもないですよね……?

スティーヴ:いや、『スティール・ホイールズ』は最悪だよ。『ダーティ・ワーク』は「ワン・ヒット」が悪くなかったし、「ハーレム・シャッフル」もそこそこの出来だった。でも『スティール・ホイールズ』にはそんな些細な救いの要素もなかった。彼らのその後のアルバムは聴いていないから分からない。


――1985年の【ライヴ・エイド】ではキース・リチャーズ、ロニー・ウッド、ボブ・ディランの共演が実現しましたが、彼らの演奏は賛否を呼ぶものでした。その背景について教えて下さい。

スティーヴ:【ライヴ・エイド】は『ダーティ・ワーク』を作っている最中だったんだ。ストーンズのレコーディングというのは午前1時に始まって、午前7時か8時に一段落するというローテーションだった。世間のサラリーマンとは昼夜逆転していたんだ。まあ、ロックンロールの世界では珍しくもないけどね。確か【ライヴ・エイド】の直前の水曜日だったと思う。ボブ・ディランがキースに電話してきて、フィラデルフィアでやるコンサートで共演することを打診してきたんだ。キースは「はぁ? 何の話だ」という感じだったけど、他ならぬボブから誘われたんで、やることにした。ミックは別ルートからの誘いでティナ・ターナーと一緒に出演することになっていて、入念なリハーサルをしていた。でもキースはまったくリハーサルしていなかったんだ。スタジオ作業を午前8時に終えて、「ロニー・ウッドの家で当日の午前11時に集合。直前のリハーサルをやる」ということになった。それで全員でニューヨークのマンハッタンのアッパー・ウェスト・サイドにあるロニーの家に行った。ボブ、キース、ロニーが居間でリハーサルしたけど、素晴らしい演奏だったよ。その場にいる全員が放心状態になったほどだった。

――まさに歴史的ライブの前兆ですね!

スティーヴ:ロニーの家の前にリムジンが連なって、我々は【ライヴ・エイド】の会場があるフィラデルフィアに向かったんだ。到着したのが午後2〜3時ぐらいで、出番がその7時間後だったから、まあ……飲み始めるよね(苦笑)。彼らがステージに上がる頃には、すっかり出来上がっていた。それでとんでもなく酷い演奏を世界に見せることになったんだ。もし、あのリハーサルを再現出来ていたら、ロックンロールの歴史は変わっていた。今思えば、残念だよ。まあ、みんな酔っ払っていたから仕方ないんだけどね。


――あなたがプロデュースするバンドには、個性的なサウンドのギタリストがいることが多いですね。ジ・エッジ(U2)のディレイとカッティング、スチュアート・アダムソン(ビッグ・カントリー)のバグパイプのようなサウンド、チャーリー・バーチル(シンプル・マインズ)の幾重も重ねたテクスチャーなど……

スティーヴ:彼らの個性的なサウンドは、私と一緒にやる以前から確立されていた。私がやったのは、その個性を判りやすい形で表現することだったんだ。今、君が挙げた中で、シンプル・マインズはギターよりもベースとキーボードが曲をリードしていたと思う。(ここで「奇跡を信じて(Promised You A Miracle)」を鼻歌で歌う。)チャーリーはロックのリード・ギタリストではなかったけど、バンド全体のサウンドに貢献していた。シンプル・マインズは全員がひとつの目的に向かって進む、ミュージシャンシップを持ったバンドだった。U2よりもミュージシャンとしては巧かったよ。

――あなたのSNSへの書き込みを読んでいたのですが、「トゥールの『フィア・イノキュラム』はデイヴ・マシューズ・バンドの『クラウデッド・ストリート』以来のプログレッシヴ・ロック最高傑作」という発言がありました。あなたは常に新しい音楽を聴いているのですか?

スティーヴ:『フィア・イノキュラム』は1、2回通して聴いただけなんだ。CD1枚に収まらないぐらいの長いアルバムだからね。でも本当に凄いと思った。普段、仕事以外で音楽を聴くことは滅多にないんだ。「ソーセージ工場で働いているとソーセージを食べない」って言うだろ? オフのときにも音楽を聴くぐらいだったら、サッカーのチェルシーFCの試合を観るよ。

NEXT PAGE
  1. < Prev
  2. 若いプロデューサーが最前線でやるべき……
    とか言っていると、U2が泣きついてきたりする
  3. Next >

関連キーワード

TAG