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NU/NCインタビュー 田中義人(ギタリスト)×山崎晴太郎(アートディレクター) ―未だ見えない風景の記憶を「今、この瞬間」に描く



インタビュー

 ギタリストの田中義人と、アートディレクターの山崎晴太郎によるサウンド・アートユニットNU/NCが、初音源となる「recollection / 或る風景の記憶」をデジタル配信した。

 本作は、山崎が描いた図形譜(五線譜ではなく、図形などを用いて書かれた楽譜)を基に田中がサウンド・メイキングを施し、そこからインスピレーションを受けた山崎がフィールド・レコーディングを行うという、「往復書簡」のような形で作られたシンプルかつアブストラクトなミニマル・ミュージック。ユニット名の由来はラテン語で「今」を意味する「nunc」だが、未だ見えない風景の記憶を「今、この瞬間」に描くことを目指したそのサウンドスケープは、聴き手の想像力を自由に投影する「未完成の余白」にこそ、意味があるようだ。

 大沢伸一(MONDO GROSSO)や様々なアーティストとともに数多くの名曲を生み出してきた田中と、コマーシャルとファインアートを行き来しながら様々なデザインを手掛けてきた山崎。そんな2人の異色とも思えるコラボレーションはどのようにして誕生し、どこへ向かおうとしているのだろうか。

山崎「義人くんとは「なんかやろうぜ」が最後まで駆け抜けた」

−−まずは、お二人がNU/NCを結成した経緯を教えてもらえますか?

山崎晴太郎:僕がメインパーソナリティを務めているFMヨコハマの番組『文化百貨店』に、義人くんがゲストに来てくれたんです。それで意気投合したのがきっかけでしたね。ラジオをやっていると様々なジャンルの人たちとたくさんお会いする機会があっても、「なんかやろうぜ」って話には時々なっても、そこから先に進むことって滅多になくて(笑)。でも、義人くんとはその「なんかやろうぜ」が最後まで駆け抜けたんです。

田中義人:とにかく晴太郎くんとは、話していると共感ポイントがたくさんあったんですよね。特にラジオで彼がかけている音楽が、かなり自分とツボが似てるなと。

−−ツボというのは、例えば?

山崎:僕は例えばシネマティック・オーケストラやピーター・ブロデリック、ヨハン・ヨハンソンのような、ポスト・クラシカルやミニマル・ミュージックが好きで。中でもピアノを主体とした詩的な音楽が好きなんですが、それに対して義人くんが「だったらギターを主体としたこんな音楽はどう?」みたいな感じで教えてくれて。今までギターってそんなに得意じゃなかったんですけど、彼が薦めてくれる音楽はどれもすごく心地良かったんです。

田中:PAPA・Mの『Live From A Shark Cage』や、ダニエル・ラノアの一連の作品を薦めましたね。とはいえ僕自身も、ギタリストでありながらも気づいたらピアノ主体の音楽を聴いていることが多くて(笑)。僕自身キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』とか、僕の中で5本の指に入るくらい影響を受けたアルバムなのですが、そこも一緒だったりして。「これは何か、面白いことが出来るんじゃないかな」と、僕の方でも思っていたんですよね。

−−田中さんというと、世間的にはやはりbirdやMonday満ちるへの楽曲提供など、主に大沢伸一さんとのお仕事が知られていますよね?

田中:そこが活動の原点と思われているようですが、実はその前にドラマーの楠均さん(KIRINJI)が「カイバレス」名義でバンド活動をしていた時、エマーソン北村さん、松永孝義さん、坂田学さんと一緒に僕も参加して1枚だけCDを出したことがあって。それが本格的な音楽活動の始まりでしたね。

元々は14歳か15歳の頃、4つ上のいとこの影響でギターを始めたんです。ちょうどバンドブームで、BOØWYやTHE BLUE HEARTSなどがものすごく人気があって。僕も最初はBOØWYのコピーなどもやっていたのですが、始めた途端に彼らが解散してしまうんです。それで聴く音楽がなくなってしまい、なぜかハードロックやヘヴィメタルへ流れていって(笑)。ギターをテクニカルに追求したのはその頃ですね。それでギターの先生に師事するんですけど、その先生がいろんな音楽に詳しい方で、ジャズやブルースなどを教えてくれました。

−−特に影響を受けたアーティストはいますか?

田中:絞り込むのは難しいのですが、ギタリストとしてというより「クリエーター」として、ジミ・ヘンドリクスにはすごく影響を受けました。彼の作品は、ギタープレイももちろん素晴らしいけど、例えば逆再生サウンドを曲の中に取り込んでみるなど、エンジニアリング的な実験によってそれまでの音楽の定義を広げたと思うんですよ。そのあたり、中後期ビートルズにも近いところにいるなと。

−−ギターを「ギター」として捉えず音響的なアプローチに取り組むところとか、まさにジミヘンとビートルズはイノベーターとして共通するものがありますよね。

田中:まさに。ジミヘンはギターを持ってステージに立っていても、なんとなくそこには奥行きというか。必ずしも彼はギター“で”表現したかったわけではないんじゃないかなと思っています。たまたま使っていたツールがギターだっただけというか。そこにシンパシーを感じますし、僕自身の表現も似ているところあるなと思います。今回のプロジェクトNU/NCへの影響も多々ありますね。

−−山崎さんは2018年からアーティスト活動を始めたそうですが、そもそもはどのような経緯でデザインの道に進むようになったのでしょうか。

山崎:もともとやりたいことが多いんですよ。表現の原点は、3歳から大学卒業までやっていた舞台活動でした。その舞台を作る中での演技と演出を通して自分の「表現」という軸が出来上がった気がします。大学では写真を専攻して、今度はそれ(写真)を動かしてみたくなってニューヨークに留学して、映画を撮っていました。代理店に入社したのは帰国後で、そこからクリエイティブの戦略立案などに携わりました。

ただ、若かったのもありますが、社会やクライアントの要望に合わせていくだけだと、表現者としての「軸」がなくなるような気がして。それで一般の人がお金を払うようなクリエイティブを学ぼうと思い、次に建築の道に進んだんです。

−−本当に、色々なことに挑戦されてきたのですね。

山崎:はい。それで大学院まで行って、そのプロセスの途中で独立して「株式会社セイタロウデザイン」を立ち上げた。なので、演者と裏方の体験を両方とも活かし続けられたらいいなと思っていました。そしたら僕をマネジメントさせて欲しいと言ってくれる会社が現れ、ラジオパーソナリティとしての活動も始まって……っていう感じで今に至ります。パーソナリティとしてのキャリアは今年が5年目かな。

アーティストとしての活動は、まず「日本のクリエーションを世界に発信していきたい」「世界と戦うためにアイデンティティを背景にした『軸』を通そう」という想いがすごく強くなって、30歳になった頃に水墨画家の師匠に弟子入りしたんです。それをさらに追求するため、生け花も始めました。なので、毎週ここ(事務所)で生け花教室とかもやっているんです。そうやって「型」みたいなものを自分の中に取り込んでいき、ある程度価値観が咀嚼出来るようになったかな、というタイミングが、アーティスト活動を始めたときと合致したんですよね。技術はまだまだですけど、(笑)。



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