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プリンス『オリジナルズ』 特集 ~スザンヌ・メルヴォワン最新インタビューを交えつつ、プリンス秘蔵の“裏ベスト・アルバム”を解説!
6月7日に、生きていれば61歳の誕生日を迎え、改めてその功績と音楽が世界中で偲ばれているプリンス。その死後も多くの秘蔵音源が日の目を浴び、リスナーたちを大いに喜ばせているが、その中でも特に注目したいアルバム作品が、6月21日にリリースされる。プリンスが、他アーティストに提供した楽曲の、プリンスによるオリジナル・ヴァージョンを集めた、その名も『オリジナルズ』。14曲の未発表トラックを含む15曲(日本盤ボーナス・トラックは全16曲)を収録した、プリンスの「裏ベスト・アルバム」とも言うべき作品だ。
自身の名義の偉大な作品の数々に加えて、プリンスは楽曲の提供者やプロデューサーとしても、素晴らしい作品の数々を残してきた。だが、その本人版が、これほどのボリュームでリリースされるというのは、多くのファンにとって驚きであったに違いない。その真価を、“プリンス・ファミリー”の一人であるスザンヌ・メルヴォワンの最新インタビューの内容を交えつつ、プリンスに関わる数々の仕事でも知られる音楽ライターの内本順一氏に綴ってもらった。
そのクオリティに圧倒される「デモ音源」集
想像以上にやばいブツだ。プリンスがほかのアーティストに提供した楽曲の、プリンス自身によるオルジナル・デモ音源を集めたアルバム『オリジナルズ』。出ると知ったときから「うわ!」と思ったが、実際に聴いて驚愕&大興奮。果たしてここで聴けるものをデモ音源と呼んでいいのか。デモと呼ぶにはあまりにもしっかり作り込まれ、あまりにも完成されているではないか。なんなんだ、このクオリティの高さは。「そりゃあ、だってプリンスだから」と頭ではわかっていても、実際聴くとやはりそう驚かずにはいられないアルバムなのだ。
全15曲。「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」は昨年4月に先行で配信されていたが、あとの14曲はここで初めて聴くことのできるもの。全米2位のビッグヒットになったバングルスの「マニック・マンデー」、全米7位(ダンスチャート1位)のヒットとなったシーラ・Eの「グラマラス・ライフ」など広く知られている曲もあれば、プリンス好きなら知っていて当然の曲――アポロニア6の「SEX・シューター」、ザ・タイムの「ジャングル・ラヴ」などもあり、さらにプリンス好きであっても「おおっ、この曲も! しかもこんなふうに!」と驚いてしまう曲――ケニー・ロジャースの「ユーアー・マイ・ラブ」、タジャ・シヴィルの「ラヴ・トゥ・ラヴ・ミー」なんかもある。
▲「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」
時期としてはマルティカが91年に発表した「愛が全て(LOVE...THY WILL BE DONE)」を例外として、どれも81年から85年までに録音されたもの。ということは即ち『戦慄の貴公子(Controversy)』『1999』『パープル・レイン』『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』を出していた時期であり、それらを作りながら(なおかつツアーをやって、映画も撮りながら)これだけ完成されたデモ制作~提供曲作りを行なっていたという事実に、超多作な人であることを承知していようとも「プリンス、どんだけ~」と言わずにいられない。そしてそのクオリティの高さもさることながら、聴いていて胸が高鳴るのはなんといってもプリンスのヴォーカル。へぇ~、こういう歌い方をすることもあるんだ?!といった意外性が非常に新鮮な曲があれば(例えば「ユーアー・マイ・ラブ」)、こんなにも歌い手のキャラと声質に寄せて歌っていたのかとニヤけてしまう曲もあり(「ジャングル・ラヴ」がまさに!)、その声と歌唱法の使い分けに感嘆する。そう、『オリジナルズ』はプリンスのヴォーカル表現の幅に改めて驚かされるアルバムでもあるわけだ。
リリース情報
Text:内本順一 Interview:染谷和美
スザンヌ・メルヴォワン最新インタビューで解き明かす『オリジナルズ』
と、ここまでは基本的な情報だが、ではプリンスは実際どのようなやり方、どのような作業工程でこれらのデモ音源を作っていたのか。当人に訊くのが一番だが、それは叶わない(そもそもこのようなものが世に出ることに彼が同意したかもわからない)ことなので、ならば近くにいた人に証言してもらうのがいいだろう。ということで、当時もっともプリンスの近くにいた女性に電話インタビューを行なった。スザンヌ・メルヴォワン。当時のプリンスの恋人であり、ザ・ファミリー(ザ・タイムの残党を中心に結成され、プリンスのプロデュース/アレンジ/コンポーズのもと85年にアルバム・デビューしたが、すぐに解散)のヴォーカルのひとり。ザ・レヴォリューションのギター、ウェンディ・メルヴォワンの双子の妹だ。スザンヌはまず、『オリジナルズ』を聴いた感想を次のように話してくれた。
「『オリジナルズ』は、もらってすぐに、延々と車を走らせながらじっくり聴いたわ。とにかく素晴らしい。あれは最高のプリンス・レコードよ。ケニー・ロジャースの“ユアー・マイ・ラヴ”なんかは、しまい込んでいたものが日の目を見たというパターン。彼が曲をしまい込むときは、彼なりの理由があった。そのままお蔵入りになることもあったと思う。“マニック・マンデイ”はそもそもバングルスのために書かれた曲じゃなくて、アポロニア6のレコードに入るはずだったのよね。でも最終的に彼はバングルスに渡した。先方から頼まれたのか、彼の興味が移ったのか、実際何があってそうなったのか私は知らないけど」
▲The Bangles「Manic Monday」
「とにかく、どの曲もそのあとで歌ったアーティストの雰囲気にすごく近いでしょ? 彼は曲を提供する相手を厳選していたし、自分で歌入れをした上で渡して、それに従うように具体的な指示を出していたから。ほとんどのアーティストはそれに異を唱えず、“その通りに歌います!”ってなっていた。まあ全員というわけではなくて、シーラ・Eは曲作りの段階から立ち会って一緒に作っていたけど」
「ここに収録された曲を彼が書いて録っていたとき、たいてい私はそこにいた。プリンスは自分の作った曲たちを“マイ・チルドレン”と呼んでいたわ。ささっと書いてすぐに誰かに渡すようなことはしなかった。じっくり時間をかけて考えながらの作業で、それを誰に渡してどう命を吹き込んでもらうかということに、とても慎重だったの。この子供を育てるには、どの親に託すのがいいか、どの家に住まわせるのが相応しいか、という考え方をしていた。それくらい書いた曲に対する思い入れが強かったから、書き捨てるなんてことはしなかったわ。満足いかずにお蔵入りにすることはあったけど、ぞんざいに扱って適当に誰かに渡してしまうようなことは絶対にしない人だった」
「こうして1枚のアルバムにまとまったものを聴いて改めて思うのは、彼の音楽性の豊かさと華やかさ、それから信じられないくらいの能力の高さね。彼って、そういう人なの。あ、ごめんなさい、私ったら彼が今も生きてるかのように喋っているけど……。彼っていろんなことを同時にさばいちゃうの。私自身もシンガーでソングライターだからわかるけど、普通はあれもこれもと同時に進めるなんてできないこと。でも彼にはできる。きっと音楽的な透視能力のようなものが備わっていたのね。そこにいながら必要なもの全てに自在にチャネリングして、思いのままに情報を収集し、現実のスタジオに戻ってそれを実際の音に移し替える。本当にそれができた人だったのよ」
「私は全部聴いていたし、スタジオへの出入りも自由だった。彼がドラムマシーンをいじってプログラミングをし、それが一段落するとベースを持ち出して、それからキーボードのパートに取り掛かって……というような作業工程を間近で見ていたわ。たいていはドラムパターンを決めるのが最初で、そこに楽器を乗せていくの。彼は別に閉ざされた場所にこもってやっていたわけではない。親しい人であればあるほど、彼が自分の意思を伝えるのは音楽でだったから、その扉はいつも開け放していた。ただ、唯一立ち会うことを許されなかったのがヴォーカル録り。彼が歌うとなったら、全員スタジオの外に出ることになっていた。もちろん一緒に歌う人は別だけどね」
では、プリンスがほかのミュージシャンたちの意見を聞いて取り入れることは、どのくらいあったのだろう。
「彼は誰の意見でも聞く人ではなかった。でも一緒に仕事している人の話にはちゃんと耳を傾けていたわ。エリック・リーズとか、私の姉のウェンディとか、リサ・コールマンとか。それにシーラ。そういう人たちの意見をよく聞いていたし、アイデアも取り入れていた。それは彼の音楽世界を形成する重要な一部だったと思う。もちろん私も彼のレコードにはずいぶん関わっていたしね。だけど私たちも、その場の思いつきであれこれ言ったりはしないから。ある程度吟味した上で彼に申し出ると、彼も“じゃあ、やってみようか”ってなるわけ。で、やってみてダメならダメ。そもそも彼は何をどうしたいのか、大体の場合はわかっているからね。どうしていいのかわからない、なんてことはまずないから。でも、意見を聞かないってことはなかったの」
リリース情報
Text:内本順一 Interview:染谷和美
「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」への特別な思い
『オリジナルズ』の話からは少し逸れるが、かつてプリンスはスザンヌのアイデアから、自身のサウンドにおいて重要なある人物と出会うことにもなったそうだ。プリンスの名曲のほとんどのストリングス・アレンジを手掛けていたクレア・フィッシャーその人である。
「私とプリンスはよく一緒にルーファス(若き日のチャカ・カーンが在籍したシカゴのバンド)の音楽を聴いていたんだけど、ルーファスの初期のレコードにクレア・フィッシャーのストリングスが使われていてね。実は私の父はジャズのコンポーザー兼ピアニストでセッション仕事をいろいろしていて、クレアと知り合いだったの。なので私はプリンスにストリングスを入れる提案をして、“父に電話してクレアに関心があるかどうか聞いてもらうわ”と言って、で、クレアに24トラックのテープを送り、それをクレアが気に入ったことからプリンスと一緒に仕事をするようになった。ザ・ファミリーのアルバムにはクレアがアレンジしたストリングスがふんだんに使われいるんだけど、それにはそういう経緯があったの」
因みにスザンヌが在籍したザ・ファミリーのアルバム『ザ・ファミリー』収録曲で、クレア・フィッシャーのオーケストレーションがとりわけ効果的だったのが「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」。それを聴いて感銘を受け、自ら歌いたいと申し出てカヴァーしたシネイド・オコナーのヴァージョンは、1990年にリリースされて世界の多くの国でチャート1位を獲得した。そしてその名曲が、プリンスがスザンヌをモデルにして書いた曲だということも比較的知られた話だ(但しエンジニアのスーザン・ロジャースはこのことについて異なる見解を示していて、この歌詞はかつてプリンスの家で働いていたサンディ・シピオニという女性をヒントに書かれたものであろうと話している。が、当時つきあっていたスザンヌとプリンスが別々に住むようになり、プリンスはスザンヌが恋しかったのも確かだろうとのことだ)
▲シネイド・オコナー「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ)」
「やっぱりあの曲には特別な思い入れがあるわ。私と彼との関係を別にしても、あの曲はとても“プリンスらしい”ものに感じられるし、あの曲で彼は素の自分を曝け出していると思う。そんな曲を私を思って書いてくれたことを、あとになって改めて感謝したの。“オリジナルズ”に収録された曲の大半は彼が具体的なアーティストを想定しながら書いた曲だけど、“ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー”は私と彼の会話になっている。そう私は理解しているわ。彼はこの曲に本当の自分を託しているように感じるの。一緒に歌っているところなんかは特に、互いに互いを思って歌いかけている感じで。それは聴いてもらえれば、わかるんじゃないかしら」
その「ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー」には、「あなたがあなたの愛を終わらせてから、私はしたいことがなんでもできる/ステキなレストランでディナーをとることもできる」という一節がある。食に関する関心がまったくといっていいほどない人、というのが我々のイメージするプリンスだが、実際はどうだったのだろう。ふたりで一緒にステキなレストランでディナーをとるなんてことはあったのだろうか。
「まず彼は小食で、食べるなら胃に負担のかからないものを選んでいた。でも甘いものは好きだったわ。お菓子にケーキ。紅茶も砂糖を入れて甘くして飲んでたし。キャンディやクッキーを好んでいたのは、手軽に食べられてすぐに元気が出るから、というのも大きかったと思う。私がスタジオに顔を出したとき、たま~にハンバーガーを食べることもあったけど、そんなのはごく稀なことだったわね。ディナーに行ったこともあるし、家で一緒に料理して食べることもあったけど、いずにしても彼はあんまり食べないの。少なくとも私が一緒にいた頃、彼は食に対してあまり興味がないようだった。当時、専属の女性シェフがいてね。彼女の作る料理は素晴らしかったんだけど、それでも彼はあまり食べなかったわ。彼の好みに合わせて彼女が作った特別なパスタとサラダとドリンクを並べて、私たちは一緒に食卓に向かうんだけど、彼は早く音楽の作業に戻りたくてしょうがないという感じだったわね(笑)」
そんな様子も想像しながら『オリジナルズ』を聴けば、より一層味わいが深まるかもしれない。
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Text:内本順一 Interview:染谷和美
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