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熊木杏里 『流星』 インタビュー
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--こうして熊木さんにインタビューするのは『無から出た錆』のリリースタイミング以来、約1年3ヶ月ぶりになるんですが、この期間は熊木杏里のミュージックライフにおいて実に印象的な出来事がいくつもあった期間でもあったと思うんですけど、自分ではどう思いますか?
熊木杏里:前は内面的なところばかり見ているところがあったんですけど、もっと広く世界を見ることができるようになってきた。『無から出た錆』を作っている頃から自分自身、そういう風になるだろうなとは思っていたんです。ここからもう一歩、次に抜け出すためのアルバムだったので。でも去年の初のワンマンライブをやった頃にはまだそういう風にはなれていなかったんです。あのワンマンライブですごく感じたことは、まだこのキャパの人たちを受けとめるだけの心を持っていない。そこまでの余裕もないし、自分の中でのプライドもあって。でもその受けとめることができない自分がすごく恥ずかしく感じて。それをそのときには感じなかったんですけど、少し時間が経ってからすごく感じて。ちょうどその後に『離島医療にかけるDr.コトーたち』の曲、今回のシングルに入っている『しんきろう』っていう曲を作る話が決まったんですけど、私はその診療所の先生のことも分からないし、その先生が暮らしている島の景色も分からないので、行ったんです、その島に。甑島(こしきじま)という離島なんですけど、そこに行ったことで、そこで出逢った人によって『しんきろう』は生まれたんです。そういう意味では、人からもらった曲なんです。私、それまでは、自分のためだけのモノを作ってた。なのでライブで歌っているときも一人で歌っている気持ちになることがよくあったのですけど、歌は誰かに聴かせるためにあるのだし、声は届けるためにあるのだし、『しんきろう』を歌うことによって私が見た甑島の景色だったり、そこに行かないと感じられないものをそのままそこにお届けできたらいいなって思うようになったんです。そういうのって今まではあんまりなかった気持ちでした。
--なぜそういう風に自分が変わっていけたと思います?
熊木杏里:前は、心を閉ざしていたと思うんです。言葉で言うとすごく簡単だけど、要するにそういうことだと思う。自分にだけ心を開いていたから、なんか、逃げることにも前向きみたいな感じ(笑)。でもそれだと時間ばっかりが過ぎていってしまうと思って「やめよう」って。だってそんなのつまらない。なので実際に自分のラジオ番組とかでも、どこかへ行ったり、何かを見て感じたことを話すようになってきてますし、もちろんすごく悩んでいるときは、内面に逃げている自分について喋ったりもするんですけど(笑)外と内、その両方が自分の中に存在するようになってきた。そんな気持ちになれたのは、誰かの舞台とか、何かにおいて輝いている人たちとか、いろんなものを見たり、いろんな人と会ったからだと思うんです。すごく面白い人がいて、宝塚に憧れているんだけど男の人なんで入れないんです。なので自分でお金を集めて自分なりにいろんなことをずっとやっている人なんですけど、そういう人と会って「すごいな」と思って。「でも楽しいんだろうな」とか。だんだんそういったいろんな人たちと会っていく中で、自分とその人たちを対比させたときに「違いってなんだろう?」って考えるようになってから、「歌よりも先に自分の生き方を変えてみよう」と思ったんです。そこからはその瞬間を生きるようになって、“その瞬間を生きる”っていうことは、心にいろんなものが残っていくってことなんですね。内面だけ見て街とか歩いても何もかも通り過ぎてしまう。でも「私はここにいます」って意識を持って街を歩いてみると、いろんなものが見えてくる。「あ、こんなところにこんなものがあったの」みたいな。それって「大きいことだ」と思う。
--じゃあ、今はひとつひとつのことに発見があったり、感動があったり。
熊木杏里:そうそう。意識的にそれをやろうと思って、その内、それが身に付いていくだろうと思うんです。今はちょうどそこの変わり時だと思う。それから、「あ、私こうだったのかな?小さい子供の頃は」って思って。ただいろいろなことがあって、ちょっとこの現実から逃れていたいような自分がいたのかもしれない。で、だんだん「自分はそこにいないからいいや」って、自分の内側に逃げ込んでいたような気がして。今はそこから抜け出して「次は何を作るか?」「自分はどうやって生きるか?」っていうところへ向かってるんですけど、「周りはいろんなことを言うけど、でも自分はどう思うの?」っていうのをもう少し冷静に、あと芯強く思える自分でいたい。
--日々成長している感じなんですね?今は!
熊木杏里:(笑)。そうですね。楽しいです。いろんなものを吸収できるようになって、急激に今自分の感覚が変わってきていると思います。
--そんな風に熊木杏里が変わっていくひとつのキッカケとなった、昨年9月30日に行われた初ワンマンライブ。正直あの日のライブ、前半は結構観ていて戸惑う感じがあったんですよ、僕の中で。それはなんでかって言うと、今までの熊木杏里のライブからは感じることのなかった「楽しさ」とか「熱さ」みたいな要素が強く打ち出されていたからなんですけど、それをひとつひとつ消化するのが結構大変でした。
熊木杏里:私もそれは感じていました。自分だけ熱い!みたいな(笑)。誰も取り込めてない感じ。だから客席側は寒かったと思う。それは多分、私の余裕の無さだし、やりたかったことなんだけれども、ちょっとまだ早かった。
--でも、それらの要素は逆に言えば、先の「ここからもう一歩、次に抜け出すため」に必要な要素だったわけだよね。
熊木杏里:そうそう。でもみんなで歌うとか、気持ちの問題だと思うんですけど、ちょっとやり方を間違えたのかなって思います。もうちょっとそういう歌に関しては「そういう歌ですよ」っていう自覚があったら良かったのかもしれないですね。とにかく私の心の余裕、隙間が本当に狭くて、人ひとり入れられないぐらいだったんだと思う。これからそこは広げていきたい。
--あと、あの日は『長い話』を弾き語りで披露しましたね。かなり大変そうな表情を何度か覗かせていましたが(笑)あの日のために結構練習したんですか?
熊木杏里:はい。前から決めていたので。
--実際やってみてどうでした?
熊木杏里:やんなきゃよかったかな(笑)。でも、あれは温かい目で見てもらっていいコーナーかなと思っています。あそこだけは。ただ歌がちょっと乗ってなかったかな。『長い話』は、結構私を紹介するには良い歌なんですけれど、それを「ヘタ」って感じで伝わっちゃたのは勿体なかった。それは申し訳なかったかなって。だって、あれをちゃんと聴きたかった人もいたかもしれないですし。
--捉え方によってだと思うんですけど、個人的にはあの不慣れで危なげな感じが『長い話』の内容とリンクして、何かあの曲をよりリアルな物語として聴くことができましたよ。
熊木杏里:それは良かった!ただギターの弾き語りは、自分のワンマンだけでやっていこうと思ってます。へたれな、「現在こんな感じ」というような、そういうところを見るコーナーとして。それをもしかしたら今言ってくれたみたいに私の中の要素のひとつとして捉えてもらえるかもしれないですから。
Interviewer:平賀哲雄
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--あの日のライブはその弾き語りの後、吉俣良さんと二人でCD未収録曲の『君』『朝の夜ふかしのテーマ』『こころ』の3曲を披露してましたが、今や吉俣さんのピアノだけをバックに歌うのは、もっとも熊木さんにとって歌いやすい形だったりするんじゃないですか?
熊木杏里:その通りです。この前、博多のどんたくで歌ったんですけど、そのときはカラオケで歌ったんです。で、その後に吉俣さんのピアノで歌ったんですけど、全然そっちの方が自分の歌が届いているような気がした。確かに平賀さんが言うとおりなんですよ。なんか、落ち着くっていうか。ただそこは、保留にしておきたいんです。それが私の基本スタイルでもいいと思うけど、どんな形でも歌える自分でいたいから。そこは課題だと思う。これからはいろんなスタイルの曲を歌っていくかもしれないし、アコースティックの熊木杏里と派手な熊木杏里の両方を歌っていける可能性があるかもしれない。そのときに「アコースティックの方が好きだね」って言ってくれる人がいてもいいし、でも「弾け飛んでる曲の方が良い」って言ってくれる人がいたらそれも嬉しいし。弾け飛んでる曲は弾け飛んで歌わないといけないんですよ、世の中に向かって歌うのであれば。手を広げてないのに手を広げているような歌はやっぱりコケるだろうから。去年のワンマンはそこに無理があったんだと思う。ピアノで歌うのは、徐々に確立できてきていると思うし、「人に届いているな」っていうのも実感としてあるし。今後はそこじゃないところも磨いていきたいですね。
--ライブの話が続きますが、更にあの日はビッグなゲストが多数出演されていました。まず堀内孝雄さん。【愛・地球博】で行われたフォークの祭典【青春グラフィティコンサート】で彼のステージを観てえらく感動したのをキッカケに共演が実現したんですよね?
熊木杏里:そうですね。堀内さんも私の歌を聴いてくれていたみたいで、「一緒に歌いましょう」と言ってくれたんです。あの日は堀内さんの『秋止符』を一緒に歌わせていただいたんですけど、気持ち良かった。自分の曲を歌っているときより余裕があったかもしれない。武田鉄矢さんが出てきたときとか、対誰かがいると余裕が出るんですよね。なので『秋止符』を歌ったときの感じで自分の曲も歌えればいいのになって思いました。そう思うぐらいフッと息抜きができるコーナーでもありましたね。
--そして今話に出た事務所の大先輩、武田鉄矢さんもトークゲストみたいな形でステージに登場していましたが、もうちょっとした親子の会話を聞いているような感覚でしたよ(笑)。
熊木杏里:正に親子みたいな感じでしたね。で、私がちょっと親をナメてる子供みたいな(笑)。でも「さすがだな」と思いました。「なごましてくれた!」と思って。それは後から気付いたんですけど、空気作りがすごいですね。
--武田さんはあの日『私をたどる物語』について「もうこの曲を自分で歌うことはできない、これはもう彼女の曲だ」と感じた話をしていらっしゃいましたが、熊木さんの中であの曲は今どんな曲になっています?
熊木杏里:今までの私が出してきた曲の中の代表曲。そういった認識を今は持っていてもいいのかなって思います。これからはまた変わっていくと思うんですけど、今は『私をたどる物語』を代表曲ということにして、ちょっとでも耳を傾けてもらえる、足を止めてもらえる曲を作っていきたいと思っています。
--またあの日のライブの最後に熊木さんは「私にしか出来ないことをやっていきたいと思います。」という言葉を残していました。あの言葉にも今までにはなかった意思表示だなという印象を受けたんですが、そういった想いも『無から出た錆』以降に明確に芽生えていったものだったりするんですか?
熊木杏里:そうかもしれません。あのときの未来予想図に今はいるんじゃないですかね。私のやってることは私にしか多分できないことだから、それに対する責任とか自覚を持ってやりたいなって思います。
--そんな熊木さんの意思、想いがしっかり反映されたシングルが今年の1月にリリースされた『戦いの矛盾』だと感じているんですけど、まずリードトラックとなった『戦いの矛盾』、あの曲を作ろうと思った背景に何があったのか教えてもらえますか?
熊木杏里:『無から出た錆』を作り終えてもまだ虚しさを感じていたんです。で、なんか意味もなく京都とか行ったりしていたんです。それでもやっぱり虚しくて、自分が何かに根付いて生きている実感がなかったりして。どうしていいか分かんなくって。多分、自分を客観的に見ることができてなかったと思う。その中で困惑していて、世の中にはもっと自分より苦しんでいる人や生きたくても生きられない人がいるのに!みたいな発想になっていって、それは私が本質的に持っていた感覚だったからだと思うんですけど。引きこもっている人たちは、多分そういうことを思っていたりするんだと思う。テレビがあるし、情報は絶対に入ってくるから、世の中のことは見ているんだけれど、どっかでひねくれるから、それにおいて正面から取り組んでいけなかったりして。「どうせ自分は」と思って引き込んでいくんだと思うんですよね。それか外に出ていくかどっちか。私はどっちかっていうと「どうせ自分は」とまではなれないけど、それを叱り飛ばす要因にしてしまおうって考える。自分のことを励ます要因にした方がいい。ちょうどイラクのニュースとかも盛んにやっていたし、その戦争や自衛隊のニュースを見たときに衝撃はあったし、「将来の夢はアメリカ人を殺すことだ」って言ってる子供の映像が流れたりして。でもその子供の目は輝いているわけです。それが夢だから。それを見て「これはいけない」とさすがに思って、さっき言った自分を叱り飛ばしたい気持ちもあって、自分の考えていることをさらけ出してみようって。
--「私は満たされすぎている」というフレーズがこの曲にはありますけど、あの感情は、それこそ『二色の奏で』を作った頃から熊木さんの中でしっかりと渦巻いていた感情だったと思うんですけど、その想いをそのまま詞や歌に乗せるっていうのは、かつての熊木杏里だったら出来ていなかったと思うんですよ。そう歌ってしまうことに迷いや戸惑いがあったんじゃないかなって。自分ではどう思いますか?
熊木杏里:その通り!本当にあったんです、『二色の奏で』のときから。でも、上手く形に出来てなかったんです。だから人も振り向かなかったんだろうし、そこまで突き詰めてこのテーマを書くことができなかった。だから今回『戦いの矛盾』のようなタイプの曲ができたのは、そのときの後悔があったからこそで、シングルになったのもそういうことだと思う。これまでも「私は満たされすぎている」と思う瞬間はいっぱいあって、それを拾い集めていたら「私は満たされすぎている」というフレーズが出てきて、『戦いの矛盾』ができた。家とかは無理にしても「ほしいな」と思えるものは買えるし、それって贅沢なことじゃないですか。で、「私はそれを買えるに値する自分なのか?」みたいな反省の念はあったので。
--どんな曲もライブなどで歌って行くにつれて成長していくものだと思うんですが、特にこの『戦いの矛盾』はそういった部分が顕著に見られる曲な気がするんですけど、実際にはどうですか?
熊木杏里:すでに変わり始めています。私がこういう気持ちになっているというのもあるので。この『戦いの矛盾』の中の歌詞は一度自分が思ったことなので、それをライブで歌っていく度に振り返ることができるのは良いことだと思うし、残っていくものはあると思う。
Interviewer:平賀哲雄
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--続いて、そのシングル『戦いの矛盾』の2曲目に収録されていた『囃子唄(はやしうた)』。あの曲はどういった経緯で生まれていった曲なのか、改めて聞かせてもらえますか?
熊木杏里:沖縄に行ったんですけど、ウチの社長が「行くからには一曲作れ」と言っていて(笑)。そういった背景があって、私はその使命感を持って沖縄に行ったら、やっぱりいろんなものを見ようとするし、吸収しようとする心になっていたんです。それがキッカケですね。「沖縄に行くんだから心を開けとかなきゃ」って思えていたんですよね。だから沖縄に降り付くときから心を開けていたから、楽しいことも悲しいことも感じることができて。でも私は、どっちかって言うとマイナスな考えを持った人だから、ちょっと暗がりの方ばっかり見てしまうんですけど、でもそういうことの方が大事だと思って。それで“ひめゆりの塔”とか“平和祈念公園”のお墓に行ったりして。あとは沖縄の生活にちょっと触れ合えたりもしたんです。家の前でお酒と三味線を出して空に向かって何か歌ってる場面にも偶然巡り会えて、もうそんな感じでいろんなことが心の中に留まったから『囃子唄(はやしうた)』は書けたのだと思う。その歌はもちろん自分の中を通ってできたものなんですけど、そこにあんまり自分というものはないんです。見てきたものを素直に歌っている。そこは『戦いの矛盾』と『囃子唄(はやしうた)』の大きな違い。『囃子唄(はやしうた)』はいつでも歌える。『しんきろう』と一緒で、もらいものだと思っているので。それをそのまま届ける感じです。
--そしてその『戦いの矛盾』や『囃子唄(はやしうた)』に劣らず良い曲があのシングルには収録さていました。『いつか七夕』、あの曲は熊木さん的にどんな想いを込めた曲だったりするんですか?
熊木杏里:北朝鮮の拉致被害者の母親の横田早紀江さんの本を読んだんです。それを読んだときに私が一番最初に思ったことが、自分は“自分が日本人だという意識”をあんまり常日頃持ったことがないってことで。同じ日本人なのに随分違う生き方をしていると思ったんです。同じ日本人でもいろんな苦労をしている人がいる。それはすごく『戦いの矛盾』の気持ちの流れがどこかに流れていたからだと思うんですけど、それで“座り込み”に行ってみようと思ったんです。そこで誰かに触れ合って話を聞くことができなくても様子を見に行こうって。そしたら偶然話し掛けてくれた人がいて「ねぇちゃん、何で来たの?」って話しかけてきてくれたんです。私は「横田早紀江さんの本を読んで来ました」って答えたんですけど、「こういうことに興味があんの?」って言われて。「興味」って言われたことにカチン!ときたんですけど(笑)。若者は「興味」に見られるんだなって。でも社会的なニュースとかそういう問題って「興味でいいのかもしれないな」と思って「はい」って答えて。そしたら「君みたいな若い子が来てくれるだけでも充分良いよ」って言われたんですけど、ヘタレな私は次の日には行けなくて。そこまで行っちゃったら自分はもっと関わっていかなきゃいけない責任を負う必要があると思ったので「それよりは一曲作ろう」と思って。それで“会いたいけど会えない”状態が「七夕」に繋がって、「いつか会えるといいな」という気持ちを込めて。ただこの曲もなんか、歌いにくい。語ってないでしょ?私。本質を語ってないから、並んでいる目次だけを歌っている感じなんです。だからその間を繋ぎ合わせる気持ちが難しい。ただその間を読んだりとか、背景を知っている人には分かると思う。「それでいいかな」と思って。要するに私がそれぐらいの知識しかないし、深く突っ込むこともできなかったから。ただこの曲を通じて拉致被害者のことをちょっと知れたことで、「あれからどうなっているんだろう?横田さん」と思うようになりましたし、そういうことだけでも私にとっては良かったのかなって。自己満足かもしれないですけど。
--で、その3曲入りのシングル『戦いの矛盾』が1月にリリースされて、それに続くニューシングル『流星』が5月24日にリリースされるわけですけど、この間の4ヶ月間はどんな動きをしていたんですか?
熊木杏里:「曲作らなきゃ」って焦っていました(笑)。でもね、「明るめの歌を作らないと」っていう気持ちだけはどっかにずっとあって。なんでほとんど曲作りですね。だけどなかなかできなくて。そしたら『奥さまは外国人』というバラエティ番組のタイアップが決まって、そのエンディングテーマになるものを作ることになって。
--なんで今の質問をしたかと言うとですね、今回ここまで希望に満ちた曲を熊木杏里が生んだことに驚いていてですね、これは何か熊木さんの人生に転機となる大きな出来事があったに違いないと勝手に想像していたんですけど(笑)、実際のところはどうなんですか?
熊木杏里:そんなに大きい出来事はない(笑)。ちびちびと重なってきたものが今回形になったんだと思う。なのでそこにそんなに満足めいたものはないんですよ。そこに私の言いたいことを入れたのかというと違うし、ただ『奥さまは外国人』のエンディングテーマとして流れるのはいいだろうし、私の中でこういう歌があってもいいと思う。最初から最後まで前向きな感じで、幸せな空気がずっと流れている曲が。言葉遣いとしては、サビじゃなくって、Aメロとかの方が「私っぽいな」とは思う。サビは、すごく考えました。「流星に飛び乗って」っていう言葉が出てこなくて、あれを出すにはすごく時間が掛かっているんです。そもそも私のような内向的な人間にとって「流星に飛び乗って、無重力の旅に出る」という感覚はすごく掛け離れたところにあるから。でもその言葉が出た時点で、新しい自分が現れて。ひねり出したところを広げた感じで。なので満足感なんてものは常に無くてもいいだろうって。それはこの曲を作ってすごく思った。なぜならば、これがシングルになったということは、自信になっていいと思うから。世の中で流れてて、人が聴いて「いいね、明るい感じで」って言われるだけでも、私の中では「よしっ!」って感じなので。『戦いの矛盾』ぐらい満足感を得られる曲を作っていくには、ああいう出来事が起きるか、あと病気になるとか、そういうことがない限り、とてもじゃないけど一曲の歌で自分のすべてを満足させることなんてできないから。だからいっぱい人は歌をうたうんだろうし、その中の瞬間をフッと切り取ることができれば、どんどん次に行った方がいいかもしれない。
--熊木さんはデビュー曲『窓絵』の中でも歌っていましたけど、心が晴れる日がなくて、だけどそこから生まれるエネルギーみたいなものが熊木さんに音楽を作らせ、歌をうたわせている部分がこれまではあったと思うんですね。でも『流星』の詞を見る限り、そこに留まることをやめた印象があったんですね。
熊木杏里:かもしれないです。それは別に明るい人間になるっていうことではなくて。悲しいことを忘れるということでもない。悲しいことが目に付かないわけでもないだろうし、でも「自分の心は晴れてない」って最初からそういう自分でいることをやめたんです。
--そういう意味では、この曲を作り始めてから完成するまでの行程って、常に新鮮な感覚だったんじゃないですか?
熊木杏里:そうですね。今までに使ったことない音もいっぱい入っているし。ずっと「いいな」と思っていたミュージシャンがいっぱいいて、ただ自分の音楽には使えないかもと思っていたんです。でも今回「いいな」と思っていたサックスプレイヤーの方にも、私の音楽に新しい曲調が出てきたおかげで参加してもらえることになったりして、それが嬉しい。
Interviewer:平賀哲雄
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--実際に『流星』を歌ってみてどんな印象を?
熊木杏里:まだ晴れきってない歌い方だなって。歌っている最中は「子供たちと手を繋いで、踊ろう!歌おう!」って感覚でいたんですけど、でも振り返ってみると「あれ?」って(笑)。歌の歌詞ほどに私の声が晴れてないなって。でもそれはもしかするとずっと変わらないものかもしれない。どっかで晴れきっていない。まぁそれを決めつけたくはないけど(笑)そういう歌い方をするから。最初はそれを人に言われて気付いたんですけど。「孤独な感じで歌ってますよね」って。それで聴き直してみたら、大勢なんだけれど一人で歌っている感じっていうのは確かにあって。でもそのギャップが良い感じだなと思って。曲は賑やかなんだけれど、ちょっと寂しげに歌っている感じが。
--今後も『流星』のような希望に満ちた前向きな曲は作っていけそう?
熊木杏里:そういう気持ちはありますね。晴れきっているのもいいかなって。その瞬間を生きるのならば、その瞬間だけ曇っていない自分がいるのならば、そういう歌ができるだろうって。まぁ作れたらですけど。ただいつもいつも明るいところの空気を感じないまま「ふぅー」って家に帰るのはやめようと思ってます。その瞬間に明るかったんだったら、それを感じれば、そういう歌は多分できると思う。今まではそれがなかったから。ベクトルだけ作ったりはしていたけど、これからは本当に自分がそこで生きて感じていられれば、そういう歌は自然にできると思うんですよ。そうすると、あんまり浮き足立って説得力のない感じにはならないだろうし、それができれば、またライブで一人っきりにはならなくて済むと思うし(笑)。
--楽しみにしてます。続いて、2曲目の『しんきろう』。この曲は先程も触れてましたけど、ドキュメンタリー番組『離島医療にかけるDr.コトーたち』のお話がありつつ、作った曲なんですよね。
熊木杏里:はい。甑島(こしきじま)に二日間だけ行ったんですよ。すんごい寂しい離島で。私は一人暮らしし始めてからホームシックになったことがなかったんですけど、そこで初めてホームシックになりましたから。しかも家じゃないところで。本当に寂しくて。何が寂しいって、道を歩きながら写真を撮っていても人が写り込んでくれないんです。まるでロケ中にカメラに写り込まないように人をどかしたみたいに人が写り込まない。写り込んだとしても、徘徊しているおばあちゃんの後ろ姿だったりして。でもおばあちゃんたちはみんな話し掛けてくれて「ちょっと家寄ってきなよ!」って。その辺から滅多に東京ではない、なんか知らないけど人の家に呼ばれてジュースもらって買えるみたいな体験をして(笑)。全然知らない人にもすれ違ったら「こんにちは」ってみんな言うんですよ。あと、水平線に沈む夕陽を見に行こうと思っていたら、そこで知り合った島の人がたまたま私の『私をたどる物語』を知っていて、島を車で案内してくれたんです。それで夕陽を見える場所に行ったら、おじいちゃんが一人でそこで夕陽を見ていて。そこでそのおじいちゃんが「何を考えてるんだろう?」と思ったり、『離島医療にかけるDr.コトーたち』の先生はあの夕陽を見ながら「何を思っていたんだろう?」って考えたりして。で、その先生は実際に往診の帰りと行きに海の向こうに蜃気楼を見るんですよ。その蜃気楼のように見えるのは、もしかしたら離れた家族だったかもしれないし、鹿児島かもしれないし、そんなことを考えたり、感じたりして、二日間その島をじっくり味わって、それで『しんきろう』ができました。
--続いて、3曲目の『君』。この曲にはどんな想いやイメージを?
熊木杏里:この曲は、作曲がプロデューサーの吉俣良さんなんです。鹿児島のMBC(南日本放送)開局50周年記念のキャンペーンソングの話があって、ちょうど吉俣さんの曲でメロディがすごく好きな曲があったから「この曲に歌詞付けましょうよ」って言って。それで鹿児島の放送局の記念ソングだから、桜島を「君」と名付けて、鹿児島の人が呼びかけるようにしてみようと。で、「君」はいつも変わらずに自分を見守ってくれる存在で、その存在に語りかけている孤独な人。そういうイメージで詞は書きましたね。自分の気持ちもすごく入っていますけど。ちょっと唱歌というか、学校で歌うようなイメージだから、あまり深いことは書かずに。
--「あの時走らせた 夢のつづきに ぼくは今 立っているのだから」という最後のフレーズは熊木さん自身の今の感覚でもあるんじゃないですか?
熊木杏里:ありますね。
--さて、今年はすでに熊木杏里というアーティストの明らかな変化を感じさせるシングルを二枚リリースしたわけですが、今後はどんな展開が予定されていたりするんでしょう?
熊木杏里:この後はアルバムですね。今はまだ歌詞が全部できていないこともあって、全体像はまだ見えてないんですけど、でも、『殺風景』とも『無から出た錆』とも全然違うアルバムになると思う。今日話した通りの流れのアルバムができると思う。あと急に『流星』で明るくなったことに驚いた人も「なぜそういう風になったのか」という経過も感じられるんじゃないかな。それによって私みたいな人がちょっとでも気持ちの切り替えができたらいいかなって。そうなるといいなぁ。「駆け出し中」みたいな(笑)。夢見がちの中で動いていたのが『殺風景』で、『無から出た錆』は完全に時が止まっていて、次は駆け出していく感じ。予定としては今年の秋頃のリリースになります。
--それでは最後に、―――ブログも書いてもらっていることですし―――、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
熊木杏里:ブログは本当に好き放題書いてるので、そっちは気楽に読んでもらって、笑ってもらえればいいです(笑)。あと『流星』に関しては、私のことを詳しく知っている人の中にはビックリする人もいると思うけど、私みたいなちょっと暗がりにいた人とかは、ちょっとでも「流星に飛び乗って」って感じで、夢を見れる部分があっていいと思うし、あってくれるといいなと思う。「喜びも悲しみも同じように乗り越えていこうよ」っていう、そういう気持ちに反応してくれるといいな。あと、これからも私の行き先を見守っていてほしいと思います。
Interviewer:平賀哲雄
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