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ZAZEN BOYS 『すとーりーず』インタビュー
ZAZEN BOYSが、実に4年ぶりのアルバムを完成させた。
バンド史上初めて連番以外のタイトルが付いた本作は、過去に発表してきた作品と同様に、またしてもロックミュージックの最長不倒を更新するだろう。削ぎ落とされた剥き出しの音で、4人それぞれに革新的なリズムやフレーズを生み出しながら、ひとつの塊となって鼓膜を脳髄を襲う。
そんな2012年を代表する大傑作について、全曲の作詞作曲とボーカルギターを担当する向井秀徳に話を訊いた。敬愛するレッド・ツェッペリンについても改めて!
“新作出せよ……”というムードが分かる(笑)
--ZAZEN BOYSは日頃のライブからアレンジの変更や新たな展開の追加など、既存曲が常に進化します。リピーターでも毎回、新鮮な気持ちでライブを楽しめる。ファンには嬉しいアプローチです。
向井秀徳:前作『ZAZEN BOYS 4』から4年経っているんですけど、その間に新作を出してないもんだから、ライブのセットリストはあんまり変わり映えがしない。何回も来てくれるお客さんに、“そろそろ新作出せよ……”というムードが漂ってくるのが分かる(笑)。
『ZAZEN BOYS 4』には無機質な打ち込みの音がたくさん入ってましたが、バンドサウンドで演っていくことで楽曲が血肉化していく。それがライブの醍醐味ですかね。おのずとZAZEN BOYSのバンドサウンドに進化していった。そういう進化を踏まえて今回の作品を作ったんです。
--今までのアルバムが連番のタイトル(※1)だったのに対し、今作は『すとーりーず』と初めて収録曲名がタイトルに冠されました。
向井秀徳:まず、今まで横文字を使っていた各曲のタイトルが、全て漢字やひらがなになったんですね。これまで日本語のタイトルでもアルファベットで表記することに面白味を感じていたんですけれども、飽きてきまして。そこで曲のタイトルも連番ではないものにしようかなと。特に大きい意味はそんなに無いかもしれないですね。
--レッド・ツェッペリンに倣ったタイトルなのかと思っていました。
向井秀徳:レッド・ツェッペリンの4枚目は便宜上“レッド・ツェッペリン4”と呼んでいるだけで、実際は変な文字(※2)ですから。タイトルが付いていない。
さらに言えば5枚目は『Houses of the Holy(邦題:聖なる館)』ですけれども、このアルバムには「Houses of the Holy」という曲は入っていない。次の『Physical Graffiti(邦題:フィジカル・グラフィティ)』に収録されている。おかしなことになっとる。今回は『すとーりーず』ってアルバムタイトルですけど、「すとーりーず」って曲は入ってますから。ツェッペリンの法則を真似するなら「すとーりーず」を次回作に入れなければいけない(笑)。
--以前プロフィールで各メンバーが一番好きなツェッペリンの作品を1枚ずつ挙げていて、向井さんは『III』を選んでいました。それは今も変わらない?
向井秀徳:1枚選べと言われたら『III』を選びますかね。どの作品も非常にクオリティが高い、それぞれの良さがもちろんあるんですけれども、一番不思議な、面白い作品だと思って。ツェッペリンは本当に個性的なバンドですけれども、スタジアムクラスのハードロックバンドが『III』では大半の曲でアコギを使っている。凄い不思議な……、不思議ですね。
--向井さんは“向井秀徳アコースティック&エレクトリック”名義での弾き語りによるソロ活動も行っていますが、ZAZEN BOYSではアコギを使わないですよね?
向井秀徳:ZAZEN BOYSの作品、およびレコーディングでアコースティックギターを使ったことはないですね。バンドの中でアコギを鳴らしても全く聴こえないんですよ、アコギだけ凄く遠い世界に行ってしまう(笑)。物理的に成り立たないですね。
それぞれのプレイヤーが放つ音の役割が凄く大事な訳で、それぞれの個性がぶつかりあったり混ざり合ったり。で、最終的にバンドの塊になる。そういうのをずっと目指してやってきましたね。
--1曲目「サイボーグのオバケ」では、『II』以降の作品と同じ“繰り返される諸行無常”という口上で期待感を煽る所から、単音のシンプルなギターリフにコミカルな歌詞が重ねられていく。この展開から落語の枕に似た雰囲気を感じました。
向井秀徳:ほう。アルバムジャケットは落語の噺家さんのビジュアルなんですけど、ジャケットについて考えていた時、ずっと一緒にやっているデザイナーが“『すとーりーず』っていうタイトルと作品全体の印象として落語っぽい”と。“すとーりーっていうのは落語の噺じゃないか?”と言ってきまして。落語を作っているつもりはないんですけど、そう考えてこのビジュアルでいくのは面白いかもしれないと思いまして、この形になりましたね。
--例えばZAZEN BOYSという名前からも、日本古来の文化や芸能、日本独自のサウンドに対する意識を感じさせます。
向井秀徳:日本独自のロックを作ろうという目標はそんなにないですね。むしろ自分個人の、自分たちならではのバンドサウンドを作る。私がアメリカ人だとしても、中国人だとしてもそう思ったと思う。日本人だからこうするああするっていうのは意識したことないです。それに日本と海外との距離も最近は非常に近くなっていますから、海外に向けてっていう目線も前ほどはないかもしれないですね。
ゆるふわの方が最近はモテるからね
--これは今作に限った話ではないのですが、全ての楽器が凄い音を出していて、一縷も乱れない鉄壁のアンサンブルがある。これは並の鍛錬で辿り着けるものではないと思います。
向井秀徳:そうですね(笑)。でも鍛錬とか訓練とか修行とか、あんまり好きな言葉じゃないんですよ。あと試験勉強とか、凄く嫌いな言葉です。
試験の1週間前。
何も、何も勉強をしていない状況だ。
試験の3日前。
まだ何もやってない――
凄く辛い思い出ですから、できればあんまりそういう訓練とかはしたくない(笑)。受験生が大学の受験で合格するために、スポーツマンがタイムを縮めるために、試合に勝つために。そういった明らかな目標があれば勉強や練習、鍛錬をするんでしょうけど、バンドには勝ち負けとかないですから。そういった意味での目標は無い訳ですよ。
単純に自分たちが手応えを持てる演奏をしたいというのはありますけど、自分たちの目的は作った曲を人に聴いてもらって、最終的には歓んでもらう。それは音楽をやっている絶対的な目的ですから。
“かっこいいね!”と言ってもらうために、さらに言えばモテるために。そのためにはある程度、練習をしないとダメですよね。ちょっとガタガタな、もしくはユルユルなサウンドだったらモテません。ユルい所にモテの要素があるのなら、私は間違ってますけど。
--……ユルいのもモテるかもしれませんよ?(笑)
向井秀徳:ふわっとした感じの方がモテるか! それは私の大きな勘違いですね。ゆるふわの方が最近はモテるからね。あんまりガチガチにしてたら人が寄ってこないか……。
--そんな話から繋げるのもアレですが、そういえば今作にはインプロ(=即興)的なプレイがありませんね。
向井秀徳:非常にシンプルな音作りになったですね。毎度リフを主体にしているんですけれども、さらにリフをメインにしたバンドサウンドになっています。一発リフができて、自分的にかっこいいと。何よりこのリフを弾いたら気持ちいい。じゃあ何回も繰り返そう。それで形になったかもしれません。
「はあとぶれいく」という曲は、完全にひとつのリフが回転していくだけの曲で、一回も展開しない訳ですよ。そこにメロディを乗せて、どれだけ感情豊かな曲にできるのか。そういう意図があるかもしれませんね。
--先ほど演奏に関してシンプルという表現をされましたが、今作は歌詞も非常に削ぎ落とされた言葉が選ばれていますね。
向井秀徳:シンプルですね。思いつきの言葉を連呼していますから。そこに深い意味があるかどうかは誰にも分からない。私にも分からないし何か意味があるかもしれない。そういったフレーズや言葉を、よりそのまま曲に乗っけたってことですかね。
--ただ、「はあとぶれいく」から4曲目「破裂音の朝」、5曲目「電球」という流れに、震災以降の歌詞という感覚を覚えました。
向井秀徳:歌詞は色んなフレーズの集合体です。常に私の大学ノート(※3)に思いつきの言葉が書き記されているんですけど、この4年間の集合体ですね。私は曲を作る時は、頭の中に渦巻いているものを言葉だったりリフだったりを表現しているつもりなんですけれども。そういった意味では今までの経験、思い出、妄想、現実的な日常。全てに影響されてますので。
--「破裂音の朝」と「電球」は2012年現在のバンドサウンドにおいて間違いなく最高峰、ロックの最高値を更新した革新的なサウンドだと思いました。こうした鉄壁のアンサンブルは阿吽の呼吸で生み出せるのでしょうか?
向井秀徳:阿吽の呼吸ではできないかもしれないですね。「破裂音の朝」に関してはキーとなるコードが何処にあるかよく分からない曲なんですね。音階を出す楽器、ギター2本とベースがそれぞれリフを弾いて、ひとつひとつは非常に不思議な音階になっていたりする。ある意味、音楽的に成り立ってなかったりする場合もある。その3つの音にビートが合体した時に、さらに歌のメロディが乗った時に初めて成り立つ。
そのハーモニーをどう組み立てるのかっていうのは、非常に試行錯誤しましたね。だから曲をパッと聴くと不思議だと思います。何処にコードがあるのか一聴して分かり難い。でも、不快なものではない、非常に心地良いものにしたいというのがありましたからね。
--歌まで含めた全ての楽器が時に奇妙なフレーズを奏でていながら、ひとつの曲としてハイクオリティに成立しています。
向井秀徳:それぞれの音の主張が激しいのは良いんですけれども、バラバラの方向になってしまうととっ散らかりますから、一丸となってまとまりたい。でも、それぞれは非常にうるさい。ギャーギャー言ってる。
みんな同じ方向を見ていることが成り立てば、聴こえ方としては凄くポップになるハズなんです。いびつだったり複雑だったり主張が激しかったりするんだけれども、何故かポップなものになっている。それを目指した所はあります。
それは音楽が生まれた時から変わってない
--ただ、そのためには強烈な音を的確に鳴らしていく力量が各メンバーに求められる。少しでもタイミングが崩れた時に瓦解してしまう曲は多いですよね?
向井秀徳:そうですね。まあ、基本的に我々は長くやっているもので、息の合わせ方みたいな所の根本はできあがってますから。あとは……、頑張るしかない(笑)。幾ら練習した所で、息が合わない時は合わないですからね。
主張が激しいのはいいんだけれども、その主張が自分本位なものだと合わない。よくいるでしょ、エゴイスティックなギタリストとか。そういう心持ちだと、我々のバンドではできないですね。もっと言えば、我を出すのは私だけでいい(笑)。“独善的なのは向井だけ”。結局そうなるかと(笑)。
--例えば「気がつけばミッドナイト」の特徴的なリズムも、曲として成立させるためには生半可の鍛錬では不可能だと思います。
向井秀徳:これは酔っ払いの歌ですから、酔っ払いのビート感を表現してるんじゃないですか?(笑) メロディは完全におかしなことになってますから、ある種の不協和音というか、旋律のキースケールがフォーマットに沿ってない。ズレてる訳です。それも酔っ払いの鼻歌を表現してるんじゃないですか、分からないけれども(笑)。
--9曲目「泥沼」と10曲目「すとーりーず」は、同じ歌詞が出てきたりと繋がりを連想させられる楽曲です。
向井秀徳:物語が繋がっていってる印象はありますよね。「泥沼」と「すとーりーず」の世界が繋がっている。でも、それはこの2曲だけではなくて、アルバム全体が同じ世界で繋がっているってことですね。その世界の中で色んな物語が生まれている。そうするとおのずとアルバムタイトルも「すとーりーず」になる。世界の中で色んな場所で色んな物語が始まっているというか。
--そうしたアルバムの最後を締め括るのが11曲目「天狗」です。この楽曲はラップ的な歌唱法も含めたロックミュージックにおけるひとつの頂点だと感じました。
向井秀徳:やっぱりライブとかでよりスケールが壮大になっていく予感はあるね、分からないけど。ただ、曲順っていうのはあんまり深く考えないですからね、今日日は。曲の集合体であるアルバムなんですけれども、あんまり流れみたいなものを考えないかもしれませんね。
--昨今は様々な技術の発展や進歩の中で、市場における音楽の価値が変化している時期に差し掛かっていますが……
向井秀徳:音楽の価値を考えることは無いんですけど、それは音楽が生まれた時から変わってないと思います。人によって感覚は違う訳ですから、その人にとってなくてはならないものが音楽だとしたら、それでいい。それは昔もこれからも変わらないと思いますね。
一か月くらい殆ど何も食べていないが、やっとマンモスを狩ることに成功した村の男たち。
力を合わせて、やっとマンモスを仕留めた。
半年ぶりの肉だ。
雄叫びを上げて踊り出し、物をぶっ叩いて盛り上がる。
歓びを表現する――
そこで鳴らすビートというのは、村の男たちにとって非常に大切なものですよね。
80年代のワンレンの女子大学生が、DCブランドの男にフラれた。
失恋してしまって毎晩枕を濡らして立ち直れない。
そこでラジオから流れてきた竹内まりやの「元気を出して」を聴いて、救われた気持ちになる。
元気を出そう――
これもその女子大学生にとって大事な音楽体験ですよね。
音楽を商売にしている我々としては、商売にならないと生活ができないという現実的な問題はありますけど、何か変わるとか変わらないとか、そういうものではない。
--ただ、その商売が成り立たなくなっている人が増えています。
向井秀徳:どこまで成り立ってないのかが分からないですよね。私は音楽を作って演奏するというビジネスをしている。誰かが作った音楽を売ったり横流ししたりしてビジネスにしている人もいます。そういう人たちが成り立たなくなっていくとしても、ビジネスの才能があるビジネスマンだから他の商売をやるんじゃないですか?
--逼迫している音楽家は多いですし、最近はバンドの解散も非常に多いと思います。もちろん、これまでが異常で今が正常という捉え方もできるのですが……
向井秀徳:分からないですよね。私が作る、そして演奏する立場の人間としていつも考えているのは、曲を作るにしても自分が納得するものでないと。下手なものを作ったり、自分が納得できない演奏をライブハウスにしにいっても、お客さんはゼロですよ。
結局、自分たちの責任というか、自分が本当によくできたと、是非とも人に聴かせたいという気持ちを持ってますもんで、その気持ちがあれば誰かに届くのではないかと思ってるんですね。これはもうバッチリできた、最高だと、自分でそうは思っているんだけれども、人にはそれが伝わらない。そんな状況もあるかもしれないですけど、それはしょうがない。残念であるとしか言いようがない(笑)。それはしょうがないです。
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