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米津玄師『BOOTLEG』インタビュー
2017年11月1日、米津玄師がニューアルバム『BOOTLEG』をリリースする。前作『Bremen』から約2年ぶりとなる今作には、その間に発表した「LOSER」「ナンバーナイン」「orion」「ピースサイン」のシングル4曲に加え、約4年ぶりにハチとして制作した初音ミクとのコラボレーション楽曲「砂の惑星」のセルフカバー、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌「打上花火」のセルフカバー2曲を含む計14曲が収録されている。
ボーカロイドシーンから飛び出すや否やロックシーンを含む様々なフィールドで評価され、音楽チャートを席巻するようになっただけでなく、イラストレーションやダンスなど他ジャンルでも才能を発揮し続けている米津玄師。これまで孤高の印象が強かった彼だが、今回の『BOOTLEG』は他者の存在を強く感じさせる色彩豊かなアルバムとなった。どうして今そのような表現方法を選んだのか? そして今どんな想いを抱え作品を発表するのか? Billboard JAPANではこれが初のインタビューとなるが、自身が産まれてから『BOOTLEG』の生まれるまで、そして現在から思い描く未来までもを率直に告白してくれた。
一回やってみろ精神というか、そういうものでずっとやってきた
--Billboard JAPANでは初めましてのインタビューになります。まだ米津玄師をよく知らないという人、そして今現在の米津玄師について知りたいという人のために、ご自身がどんなアーティストだと思っているのか教えていただけますか?
米津玄師:なかなか特殊な環境から出てきてるなって思います。ニコニコ動画でボーカロイドを使った楽曲を作り続けてきて、それから自分で歌うようになった人間なので。そういう人はいなくはないと思うんですけど、個人的にはあまり共感を覚える人がいないですね。--共感を覚える人がいないっていうのは、「ああいう人を目指そう」とか「このルートを辿ろう」という人がいないということ?
米津玄師:例えば自分と似た道を辿ってきて、色々なことを考えながらやってきてる人はいても、自分と同じことを考えてる人があんまりいない。もちろん、そういう人のことは大事だなって思うし、負けたくないとも思うんですけど。ただやっぱり周りを見渡してみても、ちょっと特殊なところから出てきた人間のような気がします。--ボーカロイドシーンから外の世界に飛び出した人の中でも、米津さんは特にロックシーンなどの音楽シーンでも評価されていますよね。これは元々目指していた部分でもあるんでしょうか?
米津玄師:そうですね。ボーカロイドをやっているときに一つの区切りだなって感じた瞬間があって。次になにをやろうって考えたときに、昔から好きだったのは邦楽ロックのバンドとか、自分の声で、自分の形でなにかを歌う人だったんですよね。そこに憧れて音楽を志したので、バンドっていう形式でこそないですけど、そういうところに出て行って音楽を作ってみてもいいのかなって。--そして実際に出て行ったら、米津玄師っていうアーティストだったり、米津玄師の音楽だったりを受け入れてくれる人ってたくさんいたわけじゃないですか。
米津玄師:嬉しいですよね。そうありたいと思ったし、自分はポップな音楽がやりたい、あえて言うのであればJ-POPを作りたいってずっと思ってきた人間なので。今そういった多くの人が聴いてくれるようになって、それは完全に嬉しいです。まあ、運がよかったなって思うところもあるし。--今現在の米津玄師って世間的にはどう映ってると思います?
米津玄師:なんですかね。なんだろう……まあ、暗い奴だなって思われてるんじゃないですか(笑)。なんかよくわかんねえな、みたいな。うーん。自分ではよくわかんないですけど。--色々な見方をされるアーティストですよね。音楽だけではなくイラストだったりダンスパフォーマンスだったり、表現の幅も広いので。例えば今回のアルバム『BOOTLEG』の収録曲でもある「ナンバーナイン」は、ルーヴル美術館特別展【ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~】のテーマソングですが、この展示にはイラストも描き下ろしました。なんでも具現化してしまうスタイルと感性っていうのは、どうやって培われていったものなんでしょうか?
米津玄師:そもそも絵を描くのは好きで、昔は本当に漫画家になりたかったんです。たぶん親の影響だと思うんですけど。でも小学校高学年から中学生にかけて音楽っていうものを強く意識するようになって、自分で音楽を作るようになってからはずっと音楽をやってきてっていう感じだったので、その時点で自分の中には表現方法が二つあったんですよね。次にニコニコ動画に出会ったんですけど、そこで上手いこと二つの表現方法を組み合わせることができた。自分の使える武器を100パーセント使える環境があったっていうことが、運のよかったと思う要因でもあります。だから音楽家だったら音楽しかやらない、イラストレーターだったらイラストしかやらない、みたいな価値観が自分の中にはまったくなかった。やりたいことがあるならやればいいじゃん。やってだめだったらだめでいいし。一回やってみろ精神というか、そういうものでずっとやってきた気がしますね。
気がついたら自分はここにいたっていうのが一番美しい
--ダンスはなんでやろうと思ったんですか?
米津玄師:「LOSER」っていう曲に映像をつけるってなったときに、俺が「かっこいい映像が作りたい」って監督に言って、でも“かっこいい”ってすごく抽象的だったから、例としてダンサーが一人で踊ってる映像を提示したんですよね。そしたら監督が「こういうのを「LOSER」でやるなら、踊ってるのが米津玄師だったら“かっこいい”よね」っていう話になって。--結果、ご自身が踊ることに。
米津玄師:はい。でもダンス自体には昔から興味はあったんです。高校生くらいのころにダンスがすごく好きな友だちがいたんですけど、踊ってるのを傍から見てかっこいいなって思ってて。ちょっと教えてもらってやってみても全然できなかったんですけど、こういう動きできたらかっこいいなっていうのはあったんですよ。だから「LOSER」っていうタイミングで伏線が回収されたっていう。そんな感覚です。--いきなり突拍子もなくやり始めたことはあまりなくて、実は全部ルーツがあったっていう感じですね。とは言え、ダンスとなると練習が必要になると思うんですけど。
米津玄師:「LOSER」のときは2週間みっちり練習しました。そのとき指導してくれたのが、【シルク・ドゥ・ソレイユ】とかでも踊ったことがある有名なダンサーの辻本知彦さんという方だったんですけど、未だに週1くらいで練習は続けてるんです。辻本さんにダンサーとして買ってもらえてる部分があって、「ある面において日本一狙えるよ」とも言ってもらえたりして。自分では全然って思うんですけど、そこまで言っていただけるのであればやりたいと思う。音楽と絵っていう二つの表現があったところに、また一つ、ダンスっていうのが生まれつつあるので。いつまでやるのかわからないし、もしかしたら途中で止めちゃうのかもしれないけど、出来る限り続けていこうとは思ってます。--実際にその高みへ行けるのかどうかっていうのは、やっぱり試してみたくなりますよね。
米津玄師:そうですね。辻本さんとか、辻本さんの周りにいるダンサーの人には、ダンサーとしての審美眼っていうのがあるわけじゃないですか。でも彼らと話していても全然ついていけない。どこかに美しい世界があって、その美しさをちゃんと感じることが出来る人間がすぐそばにいるのに、自分には上手く理解出来ない部分がある。それってやっぱり悔しいじゃないですか。だから理解したいなと思って。もちろん時間のかかることだし、小手先で出来ることじゃないんですけど、とにかく色々なダンスを吸収していきたいですね。--多々ある表現方法に対して、理解出来ないことや体現出来ないことが悔しいって思うのであれば、今はやっていない表現にも取り組む可能性がある?
米津玄師:漫画とかアニメを描きたいとは思いますけど、いかんせん時間との勝負というか。今自分がやるべきことがなんなのかっていうのをちゃんと見定めなきゃいけない。でも色々やりたいなとは思ってます。--となると、一回の人生では足りないかもしれないですね(笑)。ちなみにそうやって色々なことをやっていく中で、何者になれたらいいなと思いますか?
米津玄師:『何者』ってういう映画もありましたね(笑)(※中田ヤスタカ「NANIMONO(feat.米津玄師)」が主題歌)。何者になるんですかね。ただ今は美しいもの……いい曲を作りたい、いい絵を描きたい、いいダンスを踊りたいっていうものしかなくて。ちゃんとしたビジョンがあった方がいいのかなって思うところはあるんですけど、こういう人間になりたいって言って、そこを目指してやっていくのって、それはそれで面白くない。自分が想像だにしていなかったところに辿り着いたらいいな。実際、小学生くらいのころの自分が今の自分を見たら、「ダンス踊ってるの!?」ってめっちゃびっくりすると思うんですよ。だからあえてあんまり考えずにいる。2017年において、自分が楽しいって思える感覚がなんなのかを逐一考えながらやる。気がついたら自分はここにいたっていうのが一番美しいんじゃないかなって。--ここまで語っていただいたところまでも全部そうですもんね。やろうと思ったっていうか、気づいたらやってて、それが次のなにかに生かされていてっていうような。それを発信したいって思うようになったきっかけは?
米津玄師:子どものころ「絵を描くのが上手いね」って言われて嬉しかった記憶が残ってるんですよね。人に認めてもらうってことだと思うんですけど。承認欲求っていうんですかね。それって一つのコミュニケーションじゃないですか。コミュニケーションの方法として、絵を描いて、音楽を作って、ダンスもやって。なんでそこに執着してるのかって言われたら、それは自分が歪な人間だったからだと思いますね。もっと簡単に人と繋がれる人間だったら、そういうことはしていなかっただろうなと思うし。まあ、どっか怪我の功名みたいなところがあるのかな。--その歪さみたいなものは、早い時点から自覚していたんでしょうか?
米津玄師:20歳を超えてから知ったんですけど、自分は生まれた瞬間から4,500gくらいあって、結構でかくて、ちょっと歪な形をしていたらしいんですよ。だから自分の中で、生まれる瞬間からそうだったんだなって合点がいった。生まれた瞬間からそういう自覚があったのかもなって。そういう人間だからこそ肥大していく自意識もあったりして。--様々な表現をしたり作品を形にしていく中で、その歪さも今は肯定できていますか?
米津玄師:うーん。そんな単純なことではないですけど、それがあったからこそ美しい世の中を作りたいと思える自分がいるわけだし、色々な人との出会いがあって幸福な時間を過ごせていると思う瞬間もあるにはある。ただ、歪さなんてなければない方がいいじゃないですか。そこは自分の中に矛盾と言うか、アンビバレンスな感覚がありますね。常にそことせめぎ合いながら生きてるんだなっていう。- 昔に比べたらライブに対してネガティブな感覚は抱いてない
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リリース情報
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Interviewer:平賀哲雄&佐藤悠香
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