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米津玄師『BOOTLEG』インタビュー
2017年11月1日、米津玄師がニューアルバム『BOOTLEG』をリリースする。前作『Bremen』から約2年ぶりとなる今作には、その間に発表した「LOSER」「ナンバーナイン」「orion」「ピースサイン」のシングル4曲に加え、約4年ぶりにハチとして制作した初音ミクとのコラボレーション楽曲「砂の惑星」のセルフカバー、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌「打上花火」のセルフカバー2曲を含む計14曲が収録されている。
ボーカロイドシーンから飛び出すや否やロックシーンを含む様々なフィールドで評価され、音楽チャートを席巻するようになっただけでなく、イラストレーションやダンスなど他ジャンルでも才能を発揮し続けている米津玄師。これまで孤高の印象が強かった彼だが、今回の『BOOTLEG』は他者の存在を強く感じさせる色彩豊かなアルバムとなった。どうして今そのような表現方法を選んだのか? そして今どんな想いを抱え作品を発表するのか? Billboard JAPANではこれが初のインタビューとなるが、自身が産まれてから『BOOTLEG』の生まれるまで、そして現在から思い描く未来までもを率直に告白してくれた。
一回やってみろ精神というか、そういうものでずっとやってきた
--Billboard JAPANでは初めましてのインタビューになります。まだ米津玄師をよく知らないという人、そして今現在の米津玄師について知りたいという人のために、ご自身がどんなアーティストだと思っているのか教えていただけますか?
米津玄師:なかなか特殊な環境から出てきてるなって思います。ニコニコ動画でボーカロイドを使った楽曲を作り続けてきて、それから自分で歌うようになった人間なので。そういう人はいなくはないと思うんですけど、個人的にはあまり共感を覚える人がいないですね。--共感を覚える人がいないっていうのは、「ああいう人を目指そう」とか「このルートを辿ろう」という人がいないということ?
米津玄師:例えば自分と似た道を辿ってきて、色々なことを考えながらやってきてる人はいても、自分と同じことを考えてる人があんまりいない。もちろん、そういう人のことは大事だなって思うし、負けたくないとも思うんですけど。ただやっぱり周りを見渡してみても、ちょっと特殊なところから出てきた人間のような気がします。--ボーカロイドシーンから外の世界に飛び出した人の中でも、米津さんは特にロックシーンなどの音楽シーンでも評価されていますよね。これは元々目指していた部分でもあるんでしょうか?
米津玄師:そうですね。ボーカロイドをやっているときに一つの区切りだなって感じた瞬間があって。次になにをやろうって考えたときに、昔から好きだったのは邦楽ロックのバンドとか、自分の声で、自分の形でなにかを歌う人だったんですよね。そこに憧れて音楽を志したので、バンドっていう形式でこそないですけど、そういうところに出て行って音楽を作ってみてもいいのかなって。--そして実際に出て行ったら、米津玄師っていうアーティストだったり、米津玄師の音楽だったりを受け入れてくれる人ってたくさんいたわけじゃないですか。
米津玄師:嬉しいですよね。そうありたいと思ったし、自分はポップな音楽がやりたい、あえて言うのであればJ-POPを作りたいってずっと思ってきた人間なので。今そういった多くの人が聴いてくれるようになって、それは完全に嬉しいです。まあ、運がよかったなって思うところもあるし。--今現在の米津玄師って世間的にはどう映ってると思います?
米津玄師:なんですかね。なんだろう……まあ、暗い奴だなって思われてるんじゃないですか(笑)。なんかよくわかんねえな、みたいな。うーん。自分ではよくわかんないですけど。--色々な見方をされるアーティストですよね。音楽だけではなくイラストだったりダンスパフォーマンスだったり、表現の幅も広いので。例えば今回のアルバム『BOOTLEG』の収録曲でもある「ナンバーナイン」は、ルーヴル美術館特別展【ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~】のテーマソングですが、この展示にはイラストも描き下ろしました。なんでも具現化してしまうスタイルと感性っていうのは、どうやって培われていったものなんでしょうか?
米津玄師:そもそも絵を描くのは好きで、昔は本当に漫画家になりたかったんです。たぶん親の影響だと思うんですけど。でも小学校高学年から中学生にかけて音楽っていうものを強く意識するようになって、自分で音楽を作るようになってからはずっと音楽をやってきてっていう感じだったので、その時点で自分の中には表現方法が二つあったんですよね。次にニコニコ動画に出会ったんですけど、そこで上手いこと二つの表現方法を組み合わせることができた。自分の使える武器を100パーセント使える環境があったっていうことが、運のよかったと思う要因でもあります。だから音楽家だったら音楽しかやらない、イラストレーターだったらイラストしかやらない、みたいな価値観が自分の中にはまったくなかった。やりたいことがあるならやればいいじゃん。やってだめだったらだめでいいし。一回やってみろ精神というか、そういうものでずっとやってきた気がしますね。
気がついたら自分はここにいたっていうのが一番美しい
--ダンスはなんでやろうと思ったんですか?
米津玄師:「LOSER」っていう曲に映像をつけるってなったときに、俺が「かっこいい映像が作りたい」って監督に言って、でも“かっこいい”ってすごく抽象的だったから、例としてダンサーが一人で踊ってる映像を提示したんですよね。そしたら監督が「こういうのを「LOSER」でやるなら、踊ってるのが米津玄師だったら“かっこいい”よね」っていう話になって。--結果、ご自身が踊ることに。
米津玄師:はい。でもダンス自体には昔から興味はあったんです。高校生くらいのころにダンスがすごく好きな友だちがいたんですけど、踊ってるのを傍から見てかっこいいなって思ってて。ちょっと教えてもらってやってみても全然できなかったんですけど、こういう動きできたらかっこいいなっていうのはあったんですよ。だから「LOSER」っていうタイミングで伏線が回収されたっていう。そんな感覚です。--いきなり突拍子もなくやり始めたことはあまりなくて、実は全部ルーツがあったっていう感じですね。とは言え、ダンスとなると練習が必要になると思うんですけど。
米津玄師:「LOSER」のときは2週間みっちり練習しました。そのとき指導してくれたのが、【シルク・ドゥ・ソレイユ】とかでも踊ったことがある有名なダンサーの辻本知彦さんという方だったんですけど、未だに週1くらいで練習は続けてるんです。辻本さんにダンサーとして買ってもらえてる部分があって、「ある面において日本一狙えるよ」とも言ってもらえたりして。自分では全然って思うんですけど、そこまで言っていただけるのであればやりたいと思う。音楽と絵っていう二つの表現があったところに、また一つ、ダンスっていうのが生まれつつあるので。いつまでやるのかわからないし、もしかしたら途中で止めちゃうのかもしれないけど、出来る限り続けていこうとは思ってます。--実際にその高みへ行けるのかどうかっていうのは、やっぱり試してみたくなりますよね。
米津玄師:そうですね。辻本さんとか、辻本さんの周りにいるダンサーの人には、ダンサーとしての審美眼っていうのがあるわけじゃないですか。でも彼らと話していても全然ついていけない。どこかに美しい世界があって、その美しさをちゃんと感じることが出来る人間がすぐそばにいるのに、自分には上手く理解出来ない部分がある。それってやっぱり悔しいじゃないですか。だから理解したいなと思って。もちろん時間のかかることだし、小手先で出来ることじゃないんですけど、とにかく色々なダンスを吸収していきたいですね。--多々ある表現方法に対して、理解出来ないことや体現出来ないことが悔しいって思うのであれば、今はやっていない表現にも取り組む可能性がある?
米津玄師:漫画とかアニメを描きたいとは思いますけど、いかんせん時間との勝負というか。今自分がやるべきことがなんなのかっていうのをちゃんと見定めなきゃいけない。でも色々やりたいなとは思ってます。--となると、一回の人生では足りないかもしれないですね(笑)。ちなみにそうやって色々なことをやっていく中で、何者になれたらいいなと思いますか?
米津玄師:『何者』ってういう映画もありましたね(笑)(※中田ヤスタカ「NANIMONO(feat.米津玄師)」が主題歌)。何者になるんですかね。ただ今は美しいもの……いい曲を作りたい、いい絵を描きたい、いいダンスを踊りたいっていうものしかなくて。ちゃんとしたビジョンがあった方がいいのかなって思うところはあるんですけど、こういう人間になりたいって言って、そこを目指してやっていくのって、それはそれで面白くない。自分が想像だにしていなかったところに辿り着いたらいいな。実際、小学生くらいのころの自分が今の自分を見たら、「ダンス踊ってるの!?」ってめっちゃびっくりすると思うんですよ。だからあえてあんまり考えずにいる。2017年において、自分が楽しいって思える感覚がなんなのかを逐一考えながらやる。気がついたら自分はここにいたっていうのが一番美しいんじゃないかなって。--ここまで語っていただいたところまでも全部そうですもんね。やろうと思ったっていうか、気づいたらやってて、それが次のなにかに生かされていてっていうような。それを発信したいって思うようになったきっかけは?
米津玄師:子どものころ「絵を描くのが上手いね」って言われて嬉しかった記憶が残ってるんですよね。人に認めてもらうってことだと思うんですけど。承認欲求っていうんですかね。それって一つのコミュニケーションじゃないですか。コミュニケーションの方法として、絵を描いて、音楽を作って、ダンスもやって。なんでそこに執着してるのかって言われたら、それは自分が歪な人間だったからだと思いますね。もっと簡単に人と繋がれる人間だったら、そういうことはしていなかっただろうなと思うし。まあ、どっか怪我の功名みたいなところがあるのかな。--その歪さみたいなものは、早い時点から自覚していたんでしょうか?
米津玄師:20歳を超えてから知ったんですけど、自分は生まれた瞬間から4,500gくらいあって、結構でかくて、ちょっと歪な形をしていたらしいんですよ。だから自分の中で、生まれる瞬間からそうだったんだなって合点がいった。生まれた瞬間からそういう自覚があったのかもなって。そういう人間だからこそ肥大していく自意識もあったりして。--様々な表現をしたり作品を形にしていく中で、その歪さも今は肯定できていますか?
米津玄師:うーん。そんな単純なことではないですけど、それがあったからこそ美しい世の中を作りたいと思える自分がいるわけだし、色々な人との出会いがあって幸福な時間を過ごせていると思う瞬間もあるにはある。ただ、歪さなんてなければない方がいいじゃないですか。そこは自分の中に矛盾と言うか、アンビバレンスな感覚がありますね。常にそことせめぎ合いながら生きてるんだなっていう。- 昔に比べたらライブに対してネガティブな感覚は抱いてない
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Interviewer:平賀哲雄&佐藤悠香
昔に比べたらライブに対してネガティブな感覚は抱いてない
--そんな米津さんに魅了される人が増えているのは事実です。活動の規模もみるみる大きくなっていって、今年7月に行われた初のホールワンマンライブ【RESCUE】に繋がりました。
米津玄師:そこからさらに『BOOTLEG』にも繋がりましたね。あのライブは自分にとってもあんまりない大きな規模で、楽しかったですし、新たに見えてくる部分もあって。【RESCUE】があったからこそ、今回のアルバムがこういう形になったと思います。--そもそもはどんな場にしようと思ったライブだったんでしょう?
米津玄師:うーん。これまで『BOOTLEG』へ向けた色々な曲があって、色々な方法を使って構築してきたんですけど、それがあったからこそ先にある場所を示唆するような場ですかね。今米津玄師はこういう感じで、その結果、今米津玄師の音楽はこういう感じでっていう、そのときのムードを色濃く出したかったんですよね。レコーディングしたばかりだった試作の新曲を演奏したのも、前のアルバム『Bremen』と今回の『BOOTLEG』とのちょうど中間にある空気感を表現したかったからで。--ちなみにその新曲というのは「春雷」と「fogbound」ですが、実際にお客さんの前で演奏してみてどうでしたか?
米津玄師:どうなんですかね(笑)。まあ、俺の見た限りでは、ちゃんと受け止めてもらえたような気がしてます。新曲を演奏することで今の自分を提示して、それを受け止めた人が楽しそうにしてて。ポジティブな気持ちを持って帰ってくれたんだったとしたら、自分で間違ってなかったんだなって思います。--デビュー直後などは、ライブのことはあまり考えていないとおっしゃっていた記憶がありますが。
米津玄師:まあ、徐々に徐々にですけど、ライブというものが自分にとっての表現の場になってはきています。以前は訓練の場っていう意識が強かった。やらざるを得ないことっていう意識がすごく強くて。--望んではいなかった?
米津玄師:未だに望んではないっていうところはあるんですけどね(笑)。でもポジティブにやれる感じになってる。経験を重ねるごとに、どうすれば上手く自分の音楽を表現出来るのか、っていうのがわかってきて。昔に比べたらライブに対してネガティブな感覚は抱いてないです。--観ている人が楽しんでくれるっていうことに対しては、単純に喜びみたいなものもあります?
米津玄師:観に来てくれるんだったら絶対に楽しんでいってもらいたいと思います。それが叶ったかどうかっていうのは判断が難しいところではあるんですけど。ただ、あのライブはすごく今までの中で一番満足のいくライブだったんで、そういう意味ではすごく充実感がありました。--映像や「orion」でのミラーボールの使い方なども印象的な公演でした。米津さんは演出にも携わっているんでしょうか?
米津玄師:そうですね。アニメーションの加藤隆さん、グラフィックアートのHouxo Que(ホウコォキュウ)さんは昔からずっと一緒にやりたかった人たちで。ようやく今回一緒にやることができて、そういう意味でも楽しかったです。--最近は様々なアーティストの方と絡んでいますよね。『BOOTLEG』にセルフカバーとして収録されている「打上花火」は、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌だったこともあり、米津玄師を知らない人にも突き刺さっていったと思いますが、あの状況にはどんなことを感じたりしてましたか?
米津玄師:自分でも人に伝わりやすいものを作りたいと思ってきたんです。出発点からそういう意識はあったので、大勢の人が観に行く映画っていうものに耐え得るだけの強度を持った曲にしたかった。結果、それが上手くやれたのではないかって思ってるので、一安心ですよね。
結果的に救われる人がいて、またそれによって救われる自分もいる
--そのほかにもアルバムでは「砂の惑星」の初音ミクさん始め、「fogbound」では池田エライザさんと「灰色と青」では菅田将暉さんとコラボレーションしてます。これはどういう経緯で?
米津玄師:同じことやっててもつまんないじゃないですか。色々な人間と一緒になにかを作るっていうことを、それこそゲストヴォーカルとか、わかりやすい形で入れることはまだなかったし。それをやることによって、また自分の中にどういう新しい文脈が生まれるのかなっていう興味もあった。色々な人が関わることによって、自分がどういう人間かっていうのがより浮き彫りになる感じもある。それはこのアルバムにおいてはものすごく効果的に機能してるんじゃないかなって。--ご友人も多く関わっていらっしゃるんですよね。
米津玄師:そうですね。今回のアルバムは友だち同士で作るみたいな感じが自分の中では強くて。「爱丽丝」のタイトルは友だちが作ったタトゥーシールから影響を受けたものだし、レコーディングも同世代の飲み友だちとやったんです。アレンジとギターをやってくれてる常田大希くん(King Gnu)、ベースのマーガレット廣井くん(八十八ヶ所巡礼)、ドラムの矢尾拓也くん(ex.パスピエ)。あと「fogbound」の池田エライザさんや「灰色と青」の菅田くん、「灰色と青」や「orion」のMV監督を頼んだダッチ(山田健人)も同世代で。若い世代たちでなにかを作り上げるっていう、そういうニュアンスも欲しかったんです。--以前は誰かとものを作るっていうのが苦手とおっしゃってましたが、心境の変化があったんでしょうか?
米津玄師:まあ、色々あるとは思うんですけど、どんどん開けてきたっていうか。ニコニコ動画っていうところから始まって、インターネットの中で巻き起こるところから、少しずつ身体性を得ていって、自分になかった新しいものを取り入れながら少しずつやってきて。その一貫ではありますね。今までやってこなかったことをやりたい。それによってしか成立しないことは絶対にあって、自分が見逃していた美しさとか、そういうものも自分の中に蓄積されていくと思う。自分の活動がルーチンワークみたいになるのだけは嫌だし。だから、なんだろうな、楽しいこと。--なるほど。そこに辿り着くためにはいろんなアクションが必要になる。
米津玄師:楽しいことをやるために、面倒くさいことやってるっていう感じ(笑)。面倒くさいって言うと関わってくれる人に対して申し訳ないですけど、自分としてはポジティブな考え方なんです。リスペクトもあって、それと同時に自分自身のためにもなるから。--そもそも誰かと作品を作っていくっていう思いがあったけども、それが見てわかりやすい形になってきたっていう感じ?
米津玄師:今までずっと自分一人で作ってきたって言ったところで、もちろん完全に一人ではないんですよ。周りには色々な人間がいて、少しずつ影響を受けながらそれを自分のものとして受け取りながら、それを音楽として昇華してきた。そういう意味では100パーセント自分一人で作った音楽なんて一つもないし、自分一人でコントロールしてきたっていう意識もあんまりない。なにかしらと関わり合う中で生まれた「米津玄師」っていうものを使って、要は肉体労働を一人でやってたわけですけど、そこに至るまでのプロットというか、青写真みたいなものは、色々な人の影響によって出来上がってるので。自分が歳をとるにつれて、作品が増えるにつれて、そういう感覚がどんどんダイレクトに、よりビビットに表れ始めのかな。それを出来るだけの体力が自分についたってことだとも思うんですけど。--そこはライブでも感じましたね。これまで「米津玄師」という概念的だったものが、目に見える形として提示され始めた印象があったので。そういう意味も含めて、あれは「RESCUE YOU」でもあるし、「RESCUE ME」でもあると感じたんですが、ご本人としては、自分が救っているという感覚か救われているという感覚、どちらが大きいですか?
米津玄師:それはどっちもありますね。それこそライブに来てくれる人とか、SNSを通して言葉を投げてくれる人もいて、そういう人たちにとっては自分がなにかを救っている存在なんだろうなと思う。そういう人たちに向けて音楽を作ってるっていうのは紛れもない事実だし。ただ結局は自分のために、自分が美しいと思うもの、自分が圧倒的に美しいと言えるものを作ってるんですよね。それによって結果的に救われる人がいて、またそれによって救われる自分もいる。そういう風にお互いの心地いい距離感みたいなものを探り合いながら、いい具合に影響しあえたらいいなって。俺の言うことなすこと全部肯定しろとは思わないし。自分が音楽を作ることによって、絵を描くことによって、ダンスを踊ることによってなにかを投げかけて、それを受け止めた人がその人なりの解釈で救われたり、はたまた傷ついたりする。その気持ちを自分に返してくれる。ライブに来てくれる。この距離感や関係性にはものすごく救われてると思います。
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Interviewer:平賀哲雄&佐藤悠香
未来は過去の集積によって出来るものだっていうのを忘れてはいけない
--ちなみにライブでもおっしゃってましたが、最近は昔のことを振り返ることが増えたとのことで。ライブレポートでは米津さんを「かつての孤独な少年」として書かせていただいたんですが、実際はどんな学生時代だったんでしょう?
米津玄師:学生時代……。--学校は楽しかったですか?
米津玄師:いや、学校が楽しかったらこんな音楽作ってないでしょ(笑)。まあ、そのころに培ったディスコミュニケーションっていうか、人と繋がれない部分っていうのは自分の音楽によく還元されてると思う。その当時は不安だとか、怒りだとか、学校生活を送るにあたって色々な感情があって、それに対して焦燥感を抱いていた自分もいたし。心地いいものではなかったですけど、そういう感覚があったからこそ、今の自分があるんだろうなっていう風に思うと、あのころ抱いてた気持ちに対して、ありがとうございますっていう。そう思わせてくれてありがとうございますっていう、ちょっと皮肉っぽい言い回しにはなりますけど。--「ピースサイン」や、そのシングルのカップリング曲である「Neighbourhood」も昔のことを考えて作った曲とのことですが、同じように作ったアルバム曲はあります?
米津玄師:そうですね。「灰色と青」とか「Nighthawks」もそう。結構多いです。--その一方、「飛燕」<ずっと 羽ばたいていた 未来へ向かう 旅路の中>、「かいじゅうのマーチ」<あなたと迎えたい明日のために>、「Moonlight」<イメージしよう 心から幸せな未来>など、先へ進む意志を感じさせる言葉が多いのがすごく印象的で。以前からお好きな言葉として「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉を挙げていますが、未来へ進むために過去を捨てる必要はあると思いますか?
米津玄師:まあ、それは捉えようの問題っていうか。少なくとも未来は過去の集積によって出来るものだっていうのを忘れてはいけない。ただ、しがみついてはいけないとは思っていて。それが生産的なものなのか、ただの自己満足なのかっていうのを自己批判しながら、選び取っていくっていうのは大事。変わっていく時代に対して、ついて行くのか行かないのか、それもまた一つの選択だとは思うけれども、今世界でどういうことが巻き起こっていて、それに対してどうリアクションするのか、はたまたしないのか。そういうことをちゃんと見据えないまましがみつく過去っていうのは醜いと思うし。だから、もしそれがちゃんと見据えたもので、それが過去なんだとしたら、それはそれでいい。ただ俺は自分のやり方として、新しい文脈とか、ものの捉え方とか、そういうものを周りの人間とか巻き起こってる出来事とかに教えてもらいながら作品を作っていきたいんですよね。それが一番向いてるし、それが一番美しいものだと思うから、そういう作り方をしてます。--ちなみにアルバムを作る上で軽やかに手放したものってなにかあります?
米津玄師:軽やかに手放したもの(笑)? なんだろうな。使わなくなった方法とかはたくさんありますけどね。昔やってたけど今は全然やってない細々としたエッセンス。ギターのニュアンスだとか、リズムパターンだとか、BPMだとか。あとは、色々な人と関わり合いながら作りましたけど、それもつまりは「色々な人と関わらずに作る」っていうことを放棄したっていうことで。なにかを得るってことはなにかを失うってことでもある。それで言うと、俺はたくさんのものを失ってるんだろうなと思います。でもそれが自分が選び取ったものであって、それによって今にしか出来ないこと、2017年の米津玄師にしか出来ないことがこのアルバムにはすごく詰まってる。--そのジャケットなんですけど、描かれてるのは曲のタイトルにもなってる夜鷹(Nighthawks)でしょうか?
米津玄師:いえ、これはフクロウですね。--あ、フクロウなんですね。夜鷹かなと思ったのは、20世紀のアメリカの画家でエドワード・ホッパーという方がいまして。同じ「Nighthawks」というタイトルの絵があるんですけど、ジャケットのタッチにも近いものを感じたんですよね。
米津玄師:曲のタイトルはそこからもらいました。ジャケットを描いたとき、知人に見せたら「エドワード・ホッパーっぽいね」って言われたんです。そのときは知らなかったんですけど、調べてみたら確かに似てるよなって。一番有名な絵の「Nighthawks」ってタイトルにすごく惹かれて、そのとき作ってたこの曲にも合うなと思ったんです。
自分に対してもコラージュというか、スクラップみたいな感覚がある
--そのエドワード・ホッパーは光がもたらす効果に関心のあった画家ということで、「Nighthawks」もそういう絵なんですけど、『BOOTLEG』のジャケットでもドアから僅かに光が射してます。こういう陰と陽の対比っていうのは米津さんの楽曲のテーマとしても多くあると思うんですが、今回の『BOOTLEG』というアルバムタイトルも一見ネガティブですよね。これはどういった意図で?
米津玄師:まあ、色々あるんですけど、昔から「オリジナリティ」って言葉の使われ方に気味の悪いものを感じる瞬間っていうものがあるんですよね。本当に見たことがない、根源的な意味で誰もやったことがないものしか認めないって言ってるようにしか取れないような使い方をする人が多い。過剰なオリジナリティ信仰みたいな。ただ、それって突き詰めて考えていくと、ノイズミュージックみたいなものにしかならないと思うんですね。そこにある美しさを否定するつもりはないですけど、自分がやりたいのはそういうものじゃなくて普遍的なものだから。--J-POPを作りたいってずっと思ってきたんですもんね。
米津玄師:そう。で、普遍的なものってなんなのかを考えると、懐かしいものだと思うんです。どこかで聴いたことがあるもの。そもそも音楽には、バロックとか、ジャズとか、HIPHOPとか、そういう型があって、その中で自分がどれだけ自由に泳ぐことが出来るのかっていうことを、意識してるにせよしてないにせよ、みんな頑張ってやってる。本来、オリジナリティってそういうものだと思うんですよ。だけどもそういう使い方はあんまりされない。本当に独創的なのか否かっていう極端な考え方で、その中間は一切認めないというような。でも、その考えをずっと持ったままでいくと、色々な文化的な面白さを放棄してしまうと思うんです。今回のアルバムでも「Moonlight」っていう曲はほとんどサンプリングで作られてるんですけど、過剰なオリジナリティ信仰を持ってしまうと、そういう面白さを見過ごしたまま進んでいってしまう。それが自然になってほしくないっていう考えがありました。自分が色々なものの寄せ集めで出来上がったっていうのもあるし。--その「Moonlight」には<本物なんて一つもない>という歌詞もありますが、アルバムだけでなくご自身も?
米津玄師:色々な人間のエッセンスを、色々なところで少しずついただきながら、それを繋ぎ合わせて今の自分が出来たわけで。だから自分に対してもコラージュというか、スクラップみたいな感覚がありますね。でも、どこかで見たことがあるようなものの寄せ集めで出来上がっている自分だけども、出来上がった作品はこれだけ美しいものなんだっていう。また少し皮肉めいた言い方になってしまったところがあるんですけど、それによって『BOOTLEG』っていうタイトルに落ち着いたっていうところが大きいです。--米津さんがかつて抱いていた孤独感だったり焦燥感だったりを含め、本当に色々なものが昇華されてアルバムが出来上がったんですね。
米津玄師:子どものころに孤独な自分がいて。それはおそらく周りの人間より人一倍強く思うところがあったんですけど、だからこそ、孤独ってなんだろうって深く考える機会もあった。そういうことを考えてきた結果、自分は孤独だけども、孤独なりに人との関わり合いの中に自分を見出しながらやってきて、関わり合いこそが一番美しいものって考えるようになった。自分が音楽を作って世に発表しているっていうのも、それはさっき話したようにコミュニケーションの一つだし、そういう根源的なところを無視したまま音楽を作ることは不可能だとも思うようになったんですよね。そうやって歩みを進めてきたので、ありもしないオリジナリティみたいなものに対して、違和感を覚えるようになったのかもしれないです。--そんな『BOOTLEG』の発売日となる11月1日からはリリースツアーもあり、来年1月には初の武道館ワンマンライブが2DAYSあります。米津玄師が武道館でどういう世界を作り上げるのか気になっている人はいっぱいいると思うんですが、現時点でイメージは見えてるんでしょうか?
米津玄師:全然見えてないですね(笑)。なんとなくのイメージはあるんですけど、具体的に装置だとか、どこまで可能かどうかっていうのも検証しながら考えていかなきゃいけない。それがどういう風に着地するのかっていうのは自分でも楽しみであるし、単純に間に合うのかって思うところもあるし(笑)。--武道館に立つっていうこと自体はどういう風に考えてますか?
米津玄師:特になくて。自分の原体験がないので。--たぶんそういう答えが返ってくるんじゃないかっていう予感はしてました(笑)。
米津玄師:でも、武道館でやるって発表した瞬間に、たくさんの人から「おめでとう」って言われるところがあったりして、だからものすごく力のあることなんだなあって。それに見合ったライブにしたいとは思ってます。
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