Special
フジファブリック 『虹』インタビュー
昨年メジャーデビューを果たし、その多彩な音楽性とノスタルジーを刺激する懐かしくも暖かい世界観で瞬く間に要注目アーティストの先頭に踊り出たフジファブリック。通称“四季盤”と呼ばれる4枚のシングル、そしてアルバム『フジファブリック』から感じ取れる懐の深さは、彼らがフロックではない事をそのまま証明し、更にニューカマーと呼ぶに相応しくないだけの音楽性で周囲を圧倒する程の名盤となった。そして6月、フジファブリックが次なるステージへと向かう事を宣言するかのように発売されたシングル『虹』にはどんな想いが込められているのか。初登場という事で、フジファブリックの作詞作曲を手掛けるボーカル・志村正彦にその全容を語って頂きました!独特の語り口調と物腰で、淡々と語る彼の言葉、是非読んでみて下さい!
PAGE 1
--まずは2004年から簡単に振り返ってもらいたいのですが、昨年はフジファブリックにとって激動の一年になりましたね。
志村正彦:そうですね、やっぱりデビュー年っていうのもあるし、激動のイメージはありますね。初めての事が多かったので、それに一個一個向かって行くというか、そういうのが多かったですね。まあそれは今も続いてますけど。
--では音源を中心に振り返って行こうと思うのですが、2月にプレデビュー盤『アラモルト』をリリースしました。この一枚はインディー時代の楽曲を再録した7曲が収録されていました。この中でも特に印象深い曲などありますか?
志村正彦:どれも思い出深いですね、『アラモルト』の曲は。
--この一枚からフジファブリックはメジャーシーンに移っていった訳ですが、デビューが決まった時の思い出などは?
志村正彦:所謂“メジャーデビュー凄い!!”みたいのはまったくなかったですね。インディーズの頃にレコード会社の人がライヴを観に来て「もしかしてメジャーデビュー!?」みたいな話になった時はドキンとしましたけど(笑)。みんなするべくして動いているバンド、デビューするべくしていうより、デビューした以降に何をしたいかとか何をできるのかっていうのをちゃんと考えていたバンドなんで、そういう気持ちはなかったですね。
--その時に考えていた目標ややろうと思っていた事っていうのはどういう物ですか?
志村正彦:とりあえず自分たちの音楽をやるっていう。あんまり考えたくないんですけど、インディーズの頃は際立っていた存在のバンドがいたとしても、メジャーに行って音楽性が変わったりとか地味になったりとかするバンド、その人たちの方向性がよく分からないバンドって多いと思うんです。けどそういうバンドになりたくないなっていうより、フジファブリックはメジャーに行くにせよ新しい事をするにせよ、自分たちらしいもので自分たちがいいと思えるものだったらいいなって。そういう物を作っていけるバンドにと。
--シーンが変わる事で悪く変化する事はないという自信はありましたか?
志村正彦:ありましたね。それで変わるぐらいだったら、そんな大したものはなかったって事ですから。っていうような事を思ったりしながら今、必死にならないように頑張って(笑)。
--シーンを移してから1年程経ちますが、変わってしまう気持ちであったり流れに気付かれたりはしましたか?
志村正彦:そんなに無いと思うんですけどね。やっぱりその、メジャーデビューしてドカーンと売れたりした訳でもないですし。ホント、メンバーや周囲の人達全員が一歩一歩やっていってる感じが凄いしてるので、その点の不安は少ないですね。例えばフジファブリックの音楽はフジファブリックが勿論作っているんですけど、色んな人に聴いてもらったり意見を言ってもらったりとか、みんなで作ってる感じがするんですよね。そういうのがいいですよね。
--4月に発売した春盤『桜の季節』もそうした変わらないフジファブリックの良さが出てましたよね。昨年から今年にかけて季節に分けての、いわゆる“四季盤”4枚をリリースしました。こうした発想はどこから生まれたんですか?
志村正彦:これは季節ごとに出したいから曲を作ったとかじゃなくて、インディーズで出した曲もそうなんですけどフジファブリックの曲は季節感のある曲、といいいますか季節をモチーフにした曲が多くて。それだったら季節ごとに出せたら面白い活動が出来るんじゃないかなって。どうせ同じようにシングル、シングル、シングル、アルバムって出して行くんだったら、何かしら自分たちの面白さみたいな物を出せたらいいなって。
--フジファブリックの曲はどの曲も色がはっきりしているイメージがあるんですが、やはり季節にも色がありますよね。
志村正彦:やっぱりそういう物を(前面に)打ち出して売っていくんじゃなくて、曲を作る時に・・・。作るっていうのはその時にピンときた物、感じた物しか書けない訳じゃないですか。そういう中で季節っていうのは凄い想像力、創作意欲を掻き立てられるものですよね、物を作るっていうのに繋がらなくても何にもしてなくても心が感傷的になったりとか。そういう季節っていうのが好きですね。
--また、GREAT 3の片寄明人さんのプロデュースもこの時からですよね。片寄さんからの影響や学べる事ってたくさんあると思うのですが、あえてひとつあげるとすれば?
志村正彦:心に来るもの、良い物を作ろうっていうのが凄い大きい方ですよね。やっぱりインディーズからメジャーに行くといい音で録りたいとか、より声の綺麗な感じで録りたい、演奏も安定しているのを録りたいっていうのがあるんですけど、そういうのはそういうのでいいんだけどとりあえず曲を聴いてぐっとくるものを作ろうっていう。フジファブリックの曲を作って片寄さんに聴いてもらって色んなアドバイスを受けた時に、その中でフジファブリックが悩んでたりすると色んなアドバイスをくれるんですけど、結局「心にくるものを作ろう、そういうのを作っていれば何でもいいんだ」っていうのを教えてもらった気がします。
--『桜の季節』は特にそうだと思うのですが、フジファブリックの器用で幅広い音楽性と、志村さんの詞にある不器用でちょっと後ろ向きな感覚との対比の面白さ、というのもフジファブリックの魅力のひとつだと思うのですが?
志村正彦:曲は色んな事というか、色んな刺激のある曲、様々なタイプの曲を書きたいなっていうのがあるんですけど、歌詞は普通に言って色んな事を言えるような、そこまでの人間じゃないっていいますか。歌をうたう時は自分が思ってない事だったりとか、リアルじゃない事っていうのはうたえない気がするんですよ、胡散臭いというか。自分っぽくないっていうのは一応うたえるんですけどこっ恥かしい。という訳で自分の歌える事とかワードを今探しているんですけど、自分らしく歌えるのが今の歌詞なんですよね。
--続いて7月に発売した『陽炎』ですが、この曲は志村さんの少年性が強く出た作品だと思いました。そもそも志村さんの少年時代というのはどういった感じでしたか?
志村正彦:ホントにもう何処にでもいる感じだと思うんですけどね。僕は生まれも育ちも山梨県なんですけど、僕は山梨県の感じが凄い出ていると思うんですけど、富士山の麓っていうか(笑)。たまにゲームセンターにいって自転車で友達の家に遊びに行って、たまに悪さをしてって、ホントに普通な。
--この曲をはじめフジファブリックの楽曲を聴いていると、志村さんにとって少年時代が輝かしい物だったのかなと感じるのですが?
志村正彦:ありますね。実際に輝かしいものだったのかは分からないですけど、やっぱり今の自分(勿論今、好きな仕事につけていると思いますけど)から見ると輝かしいものというか、憧れてるものというか。知り合いのミュージシャンの方とかと話をしてると、「戻りたくない」とかって言う人って結構いるんですけど、俺はもう戻りたくてしょうがないんです!今は今で凄く楽しいんですけど、やっぱりアレは二度と体験できないんだなって憧れがもの凄く強くて。
--その当時は音楽っていうのは?
志村正彦:まったく聴いてないですね。テレビで流れているのを聴く程度で。中3から高1くらいにかけて奥田民生さんの音楽を知って、「世の中にこんなに気合の入ってない音楽があってもいいのか!」って気になって聴いていたらその内にハマってしまいまして。民生さんが雑誌で「Sly & the Family Stoneが好き」って言ってたら実際に聴いて分析したりとか。
- < Prev
- NEXT PAGE
- Next >
Interviewer:杉岡祐樹
1