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アート・オブ・ノイズ、オリジナル・メンバー来日記念インタビュー ~リブート・ツアーで再集結したダドリー、ジェクザリック、ランガンの3人が語る30年の真相
英国随一のスーパー・プロデューサー集団、アート・オブ・ノイズのオリジナル・メンバーが、昨年30周年を迎えた名盤『イン・ヴィジブル・サイレンス』のリブート・ツアーで2017年9月に来日を果たした。今回の来日を記念し、アン・ダドリー、J.J.ジェクザリック、ゲーリー・ランガンの3人にインタビューを敢行。名盤『イン・ヴィジブル・サイレンス』を軸にZTT時代のアメリカでの反響、30年前の日本公演、都市伝説ともなっているサンプリングの真相、また今年5月にリリースされたアン・ダドリーの『プレイズ・アート・オブ・ノイズ』など、色々と語ってもらった。
すごくオリジナリティにあふれているし、いま聴いても新鮮だった
−−発売から30年経ったいま、『イン・ヴィジブル・サイレンス』のデラックス・エディションを発売しようと思ったきっかけはなんだったのでしょう?
ゲイリー・ランガン:正確に言うと30年ちょうどじゃない。30年ちょっとだ。
――はい(笑)。
JJ・ジェクザリク:以前から『イン・ヴィジブル・サイレンス』の再発を望む声は聞こえてきていたんだ。とくに日本やヨーロッパで。SNSやYouTubeでもこのアルバムの曲は人気だったし。
アン・ダドリー:私たちは、近年、SNSでつながるようになって、ひさしぶりに会ったりもしたの。そこで話題になったのが、この『イン・ヴィジブル・サイレンス』がスポティファイやアップル・ミュージックなんかのストリーミング・サービスにない!ということ。ダウンロードですら配信されていなかった。
−−CDもずっと廃盤でしたよね。発表当時すごくヒットしたアルバムだし、おっしゃっているようにいまでも人気もある、なぜなんでしょう。
JJ:レコード会社の誰かの怠慢だ!(飲み物のコップをガラステーブルに乱暴に置く)
ゲイリー:おい!レコーダーにノイズが入るぞ、それでもエンジニアの端くれか!
JJ:すみません。
アン:(笑)とにかく、これはなんとかしなきゃいけないと思ったので、再発に動くことになった。30年ぶりに聴き直してみたら…。
ゲイリー:30年ちょっと。
アン:はいはい。30年ちょっとぶりに聴き直してみたら、すごくオリジナリティにあふれているし、いま聴いても新鮮だった。せっかくだからアルバムをそのまま出すのではなく、リマスターした上で当時のシングルのヴァージョンやリミックス、未発表のテイクも発掘して2枚組にすることにしました。
JJ:さっき、ストリーミングやダウンロードにこのアルバムがないと言ったけど、正直なところ、我々はMP3などの圧縮音源はあまり好きではなくて、CD音質で聴いてもらいたいからリマスター再発をしたというところもある。今回のリマスターで当時のレコードやCDよりもかなりいい音になっているはずだ。
ゲイリー:ストリーミングもみんなタイダルのような高音質になればいいのにな。だからまずはストリーミングはタイダルからスタートさせようと思っている。
JJ:タイダルだとスポティファイよりもアーティストへの還元が多いというのも重要なポイントだ(笑)。
−−ヒット曲の「レッグス」の12インチ・ヴァージョンなどのCD化もファンはみんな待っていたと思いますよ。
アン:1990年代からしばらく、80年代的なものはダサいという風潮が強くて、80年代のヒット曲や12インチ・ヴァージョンの復刻やCD化もされていなかった。アート・オブ・ノイズの作品だけじゃなく、いまは80年代の偉大な作品が再び評価されているのはいいことだと思う。
JJ:今回、リマスターのために『イン・ヴィジブル・サイレンス』を聴き直してみると、いい意味ですごく80年代的なアルバムだと思ったな。どの曲もパワフルで明るくてアルバムとしてまとまっている。あとユーモアにあふれてるね。
▲The Art of Noise - Legs (Inside Leg Mix) [Official Video]
−−このセカンド・アルバムでは、匿名的かつカルト的な雰囲気があったZTT時代とちがい、みなさん3人のキャラクターや個性も前面に出ていますものね。
ゲイリー:そのとおり。ZTT時代はやりすぎだった。匿名的な存在でやるというのは、最初はいいアイデアだと思っていた。しかしそれを継続するというのは無理だったんだ。
アン:そう。とくにポップ・ミュージックのバンドの場合はイメージをちゃんと確立させることが大事になる。レコード会社を移籍してセカンド・アルバムであるこの『イン・ヴィジブル・サイレンス』の発表をきっかけに、私たちもちゃんと自分たちを前面に出すことにしたの。
JJ:だいたい、ZTTで匿名的にやっていたとき、我々はアメリカのビルボード紙で「最優秀黒人音楽賞」をもらったぐらいなんだ!
−−え?
JJ:つまりアメリカ人は当時、アート・オブ・ノイズのメンバーはみんな黒人だと思っていたんだ!(笑)
ゲイリー:実際、アメリカにプロモーションに行ったときも、「君たち、本当にアート・オブ・ノイズ?だって全員白人じゃないか」って疑われたほどだった。
アン:ライヴ会場も見事にブラック・ミュージック系の箱ばかりがブッキングされていたわよね。
JJ:あのときはカオスだった。ある会場ではアンが使うためのピアノの使用が許可されなかった。理由が「君たちがピアノをチェーン・ソウで破壊するパフォーマンスをすることは知っているんだ」だった。
−−(笑)たしかに初期のプロモーション・ビデオにそういうシーンがありましたけど(笑)。
JJ:だろう?匿名的だってことはそういうことなんだ。本当の自分たちではなく、ヴィデオとか作られたイメージだけが独り歩きしていた。
アン:ライヴでピアノを壊すわけないのに(笑)。
▲Art of Noise - Close (To The Edit) Version 1 (ZTPS 01)
−−(笑)話を戻すと、当時アメリカでアート・オブ・ノイズがブラック・ミュージックだと思われていたのはおもしろいですね。みなさんはアート・オブ・ノイズ以前にマルコム・マクラレンの「バッファロー・ギャルズ」というヒップ・ホップのトラックを作っているし、アート・オブ・ノイズの音楽もヒップ・ホップに大きな影響を与えていると思います。
ゲイリー:たしかに、いまの若いブラック・ミュージックのアーティストの作品を聴くと、この子は親にアート・オブ・ノイズのレコードを聴かされて育った可能性があるぞなんて思うことはあるね。
JJ:自分たちも多くのブラック・ミュージックの影響を受けているから、お互い様だけどね。
ゲイリー:そして、トレヴァー・ホーンと一緒に作った「バッファロー・ギャルズ」はたしかにアート・オブ・ノイズの始まりだったかもね。
アン:マルコム・マクラレンの、理屈にとらわれずにとにかくなんでもやってみようという姿勢にも影響された。フォーク・ミュージックとアフリカ音楽をひとつの曲の中でミックスしてみたり、ヒップ・ホップをサンプラーで作ってみたり。そういうジャンルレスに音楽を作るという点がすばらしかった。
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