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山口ゼミ特別講座「ヒロイズム(her0ism)に訊く~LA最新音楽事情」レポート
音楽プロデューサー・ヒロイズムの一時帰国タイミングで開催された【山口ゼミ特別講座「ヒロイズムに訊く~LA最新音楽事情」】のレポート。山口ゼミ塾長・山口哲一と音楽プロデューサー・伊藤涼が聴き手となり、実際にLAで生活をしていないとわからない貴重な話を聞くことができた。
音楽プロデューサー・伊藤涼による序文
伊藤涼:ヒロイズムと最初に出会ったのは、私がジャニーズのNEWSというグループのプロデューサーをしている頃でした。まだ粗削りだけどセンスの光るデモ音源が手元に届いて、「おっ、いいな。これ誰だろう?」と気になったところからでした。実際にヒロイズムに会ってみるととてもクレバーだしユニークだし、ひたすらにナイスガイ。私がジャニーズを辞めてからも彼とは音楽仲間として、よき友人として付き合うようになりました。クリエイターとして活躍の場を広げて行く姿を見守っていたし、それだけで満足せずに積極的に海外に目を向け、大きな夢を掲げLAに移住するまでになったことを嬉しく思っています。ヒロイズムと出逢ってから今日までをみていて思うことは、自ら行動して刺激を受けることで成長していっていること。そしてその成長のスピードが半端なく早くて、今となってはどこまで行くのかわからないくらい。今回、そんなヒロイズムのLAでの音楽活動のアップデイトを聞き出したいと思っています。
海外コーライティングのきっかけ
山口哲一:早速なのですが、海外コーライトのきっかけは伊藤さんだったと聞いています。
ヒロイズム:時期的には、伊藤さんがJohnny's Entertainmentを辞めてフリーになった頃だったと記憶しています。
伊藤涼:そうですね。自分がフリーのプロデューサーになってヨーロッパに行き始めて暫くたった頃。ヒロイズムと話をしていて、どんどん海外に行った方がいいよ!みたいな感じで出版社の人を紹介しました。
山口哲一:最初に海外行ったのはどこですか?
ヒロイズム:最初はドイツですね。
山口哲一:それはキャンプで?
ヒロイズム:Reeperbahnのライティングキャンプでした。大勢で集まって書く感じです。
山口哲一:どんな経験でしたか?
ヒロイズム:その時はライティングキャンプのことは何にも知らずに行ったんです。そもそも代打の代打みたいな感じで(笑)。行くはずだった先輩が急遽行けなくなったので、「なんなら行くか?」くらいのノリだったんです。その話が来た時にもう「将来が変わりそうだな」みたいな予感を感じたんですよ。行ってみたら当然日本人は僕一人で、周りは世界中から来ていました。みんな世界で実績を持っているプロデューサーだとか、アーティストでしたし、結構なプレッシャーでしたね。彼らにとって日本人は宇宙人だったし、一体どんなことをやるんだ?と試されている感じでした。それでも、プレッシャーも好きなので楽しんでやっていました。それが結構いいスタートになったし、そこでのコネクションは今でも繋がっています。
山口哲一:ドイツのキャンプってどんなやり方をするのですか?
ヒロイズム:そのあと、ヨーロッパ各地に行って色々なキャンプを経験することになるんですけど、今思えばドイツでのキャンプはとてもベーシックなキャンプでした。例えば韓国は、S.M. Entertainmentのチームが来てプレゼンをしました。「次はこういうアーティストをデビューさせます!」という、パワーポイントでしっかりとした資料を作ってくるんです。そんな、曲を書かせたくなるようなプレゼンテーションを見た後に曲を書き始める感じでした。ターゲットは1つではなく、ヨーロッパ各地からのアーティストもいました。斬新だったのは、曲の決定権のある人が集まって生産的な、かつクリエイティブな場所を作っているということでした。
伊藤涼:チーム分けは誰が行うのですか?
ヒロイズム:チーム分けは、毎回主催者がいて、それぞれのプロフィールを見て、トラックとトップライナー2人、あとアーティストを入れるかどうかでした。だいたい3人か4人です。それが基本的な組み合わせ方でした。
伊藤涼:どのくらいのペースで作曲をするの?1日に1曲?
ヒロイズム:1日で1曲か2曲ですね。
山口哲一:ドイツに初めて行った時は何日くらいキャンプだったのですか?ストレスとかはなかった?
ヒロイズム:その時は3日間でした。でも、メンタルは相当強くないと厳しいと思います。日本人というだけでマイノリティーだし、なかなかハードです。逆にいうと鍛えられる場ではあるので、どんな環境でも良い曲を作る、という今のスタイルに繋がっていると思います。良いスタジオを自分で構えて、ここでなら作れる、というのは割と誰でも出来るんです。だけどラップトップを持って移動して、スピーカー等の設備も慣れない環境の中でも良い曲を作るという事は・・・、今思えば10年以上前からヨーロッパ人はやっていましたね。
山口哲一:日本で成功していながら、去年から本格的にLAに移ったきっかけ、思い、動機、モチベーション等。その辺のお話を伺ってもいいですか?
ヒロイズム:そうですね。最初はなんとなく行きたい、という思いでした。みんなの憧れている場所がLAだったし、各国で1位を取ったアーティストも、プロデューサーもみんなLAに行きたがってましたから。でも、なかなか曲を書けるチャンスはない、というのも聞いていました。そんなことを聞かされると、余計に行きたくて。その頃から色々な人に「行きたい、行きたい!」という話はしていましたが、なかなかきっかけはなくて…。上手くいかなくて帰っていった友達もいっぱい見ていたので、慎重にというか、タイミングは考えたいなとは思っていました。ヨーロッパでのカット(※編集部注:楽曲が採用されること)も決まり出していた事もあり、今思えば自然な感じでした。具体的なきっかけは、何回か話をさせて頂いている、ドイツ人の親友のAlex Geringasという、グラミー賞をとったプロデューサーがいるんです。彼と一緒に書いたMs.OOJAの「Be...」という曲がヒットしてくれて、彼も喜んでくれました。それで、Alex Geringasのマネージャーが、たくさん成功を収めている伝説的なプロデューサーを紹介してくれて、最初の切符を手に入れたという流れですね。
山口哲一:やはりヨーロッパの作家は、LAが本拠地なんですか?
伊藤涼:本拠地というよりも、憧れ…最終地点じゃないのかな?
ヒロイズム:ヨーロッパでやっていてもアーティストがいないんですよ。話が飛びますけど、基本的にLAではアーティストと一緒に曲を書くことが多くて、アーティストと書かないとなかなか決まらないんです。だからLAに行かなきゃ仕方がない。今でも多くの友人たちはLAに通っています。もしLAのうちのスタジオに彼らを招待するって言ったら全世界から来て2週間くらいのスケジュールはすぐ埋まっちゃうんじゃないかな。
山口哲一:つてを頼って、ヒロイズムみたいな人のところに来て、コネクション作りつつ。実力を、自分の力を見せつけていくというやり方が一般的なのですか?
ヒロイズム:そうですね。コネクションを辿って行って、やりながらアーティストと出来るチャンスを見計らう感じです。ビッグチャンスってそんなには転がってないんです。そのチャンスが来た時に良い曲が書けないとそれで終わり。ですから、それ以外の時間は準備ですね。コーライトも、自分で曲を書くときもそうなのですが、良い曲を書くのは当たり前。「これを決めなきゃダメだ!」という瞬間って、音楽に限らず人生でいっぱいあると思うんですけど。その時にちゃんと決められるかどうかみたいなものの、すごくレベルの高いバージョンが海外アーティストとのコーライトなんですよ。全く無名のアーティストでもレベルが違うんです。歌はもちろん、トップラインとかも、同じ人間とは思えないような感覚。最近よく、日本の有名なアーティストの方もうちのスタジオに来てくださるのですが、まず「けちょんけちょんにされたい!」という気持ちが入り口にあります。レベルの違いというか、日本の音楽と全く違うという事をそこで体感して。僕自身、今もそうですし、目の前に食らいついて、自分にしかできないこともあるんじゃないかな、という挑戦の仕方ですね。
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