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【再掲】特集:萩原健一~デビュー50周年!日本随一のロックンローラー

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 日本を代表する俳優でありながら、カリスマ的なロック・シンガーでもあるショーケンこと萩原健一。その演技力同様に、歌の表現力でも誰にも真似出来ない唯一無二の個性を放ち、熱狂的なファンを獲得してきた。グループサウンズ・ブームの真っ只中に登場してから、2017年でデビュー50周年。ここでは、日本随一のロックンローラーとしてのショーケンにスポットを当ててみよう。

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▲『ファースト・アルバム』

 萩原健一は1950年生まれ、埼玉県出身。彼のキャリアは、中学生の時にまで遡る。1965年に結成したばかりのザ・テンプターズが、あるパーティーでヴォーカリストが来れなくなってしまった。その時、急遽代役としてステージに経ったのが、そのパーティーでクローク係をしていた萩原だったという。そのまま彼はバンドのヴォーカリストに抜擢され、都内のディスコなどでライヴ活動をスタート。かまやつひろしや堺正章らが在籍していたザ・スパイダースのリーダー、田邊昭知に気に入られたこともあり、弟分バンドとして同じプロダクションに所属した。

 1967年の10月にシングル「忘れ得ぬ君」でデビューしたザ・テンプターズは、折からのグループサウンズ・ブームに乗り、一躍スターへの道を駆け上がる。翌1968年には、「神様お願い」と「エメラルドの伝説」という大ヒットを飛ばし、萩原もザ・タイガースの沢田研二と並ぶアイドル的な存在として人気を得ることになった。ただ、実際のザ・テンプターズは本格派バンドで演奏力が高く、リーダーである松崎由治のオリジナル・ナンバーをメインに、ザ・ローリング・ストーンズなどのブルージーなロックンロールをカヴァーすることが多かった。そのため、自然と萩原もソウルフルな歌いまわしを身に付けていくことになる。

 しかし、グループサウンズのブームはあっという間に衰退していった。ザ・テンプターズも「おかあさん」や「純愛」など数曲のヒットを飛ばしたあと、終息へと向かっていく。ただその頃には、萩原もシングル「雨よふらないで」の作詞を手がけ、一介のシンガーだけではない評価を高めていった。また、1969年にはバンドとしての4作目のアルバム『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』を米国録音するが、本作は実際には萩原が単身渡米したもので、実質上のソロ・アルバムだった。当時の売り上げは低かったが、後に萩原の歌唱力を打ち出した作品として評価されている。

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▲『PYG!』

 1970年にザ・テンプターズを解散。この年には、ザ・タイガースやザ・スパイダースなども解散しており、グループサウンズのブーム完全に終焉した。翌1971年には、その3バンドからのメンバーによって、PYGを結成。萩原と沢田研二の2人がフロントマンというスーパーグループだったが、アルバム『PYG!』はそれほど売上も伸びなかった上、元グループサウンズというレッテルによってライヴでは罵声を浴びせられるような状況だった。加えて、萩原の興味は徐々に映画へと向かい、音楽活動のかたわら役者としての道を歩むようになる。

 1972年にはPYGの活動も実質上の解散となったが、テレビドラマ『太陽にほえろ!』に出演したことで俳優として大ブレイク。『勝海舟』、『風の中のあいつ』、『傷だらけの天使』などのテレビドラマで主役を務めただけでなく、『約束』、『股旅』、『青春の蹉跌』といった傑作映画でも主演し、いつしか日本を代表するアクターとなった。そんななか、1975年にシンガーとしての活動を復活し、アルバム『惚れた』をリリースする。テレビドラマの挿入歌「前略おふくろ」や河島英五の「酒と泪と男と女」のカヴァーを含み、演歌風のテイストも感じられる内容だった。その後も、俳優活動を軸足にしながらも、並行してその存在感に溢れる歌声を聞かせてくれることになる。

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▲『Nadja~愛の世界』

 1977年からはNadja3部作として、『Nadja~愛の世界』(1977年)、『Nadja2~男と女』(1978年)、『Nadja3~エンジェル・ゲイト』(1979年)を発表。PYGから続く井上堯之や大野克夫とのタッグの集大成ともいえる内容で、シンガーとしての存在感を徐々にアップしていった。そして、1979年に発表した初のライヴ・アルバム『熱狂雷舞』で、ロック・シンガーとしての立ち位置をしっかりと築くことに成功する。

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▲『DONJUAN LIVE』

 1980年には新たなコンセプトでアルバム『DONJUAN』を発表。フラワー・トラヴェリン・バンドの石間秀機やザ・ハプニングス・フォーの篠原信彦を始め、日本のニューロックを支えてきたメンバーを選抜してレコーディング。そのメンバーはそのままDonjuan Rock'n Roll Bandとなり、ライヴ・アルバム『DONJUAN LIVE』(1981年)もリリース。その後も、彼のフェイク的な歌唱法を完成させた『D'erlanger』(1982年)、インドでのコンサートと武道館ライヴの模様を収めた『SHANTI SHANTI LIVE』(1983年)、プライベート色が濃厚な『THANK YOU MY DEAR FRIENDS』(1984年)といった傑作を生み出し続けた。

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▲『アンドレ・マルロー
・ライブ』

 1985年には自身のバンドをDonjuan Rock'n Roll Bandからアンドレ・マルロー・バンドへとアップデート。井上堯之、速水清司、ミッキー吉野といった豪華なメンバーでライヴ・アルバム『アンドレ・マルロー・ライブ』(1985年)を発表した。代表曲「愚か者よ」を含むアルバム『Straight Light』(1987年)、アンドレ・マルロー・バンドとしての完成形ともいえる『Shining With You』(1988年)とリリースを重ねるが、80年代の終わりとともに彼は音楽活動を休止。2010年にはセルフ・カヴァー・アルバム『ANGEL or DEVIL』のリリースがあったり、何度かライヴは行っているものの、基本的には俳優活動をメインに音楽シーンからは遠ざかってしまった。

 そんな状況ではあるが、萩原健一のシンガーとしての人気はいまだに非常に高く、再評価されることも多い。本格的な活動再開を熱望するファンも多数存在するはずだ。折しもザ・テンプターズとしてデビューから50周年を迎えた2017年に入り、ビルボードライブでのステージが決定した。およそ4年ぶりとなるワンマン・ライヴであり、メンバーも、Air Sculpturesのギタリストでもある瀬田一行や、ジャズからロックまで幅広く活動するベースの五十川博など、ベテランから中堅の実力派ミュージシャンを従えた特別編成。孤高の歌い手である萩原健一の魅力が全面に押し出されたライヴで、ぜひ日本のロックの凄みを体感してもらいたい。

萩原健一「LAST DANCE」

LAST DANCE

2017/10/25 RELEASE
XQKZ-1032 ¥ 3,850(税込)

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Disc01
  1. 01.Ah! Ha!
  2. 02.ぐでんぐでん
  3. 03.PM10時すぎ逢いたくて... (DON’T YOU KNOW)
  4. 04.ホワイト&ブルー
  5. 05.大阪で生まれた女
  6. 06.エメラルドの伝説
  7. 07.酒と泪と男と女
  8. 08.どうしようもないよ
  9. 09.泣くだけ泣いたら
  10. 10.愚か者よ
  11. 11.Shoken Train
  12. 12.58年9月、お世話になりました (Thank You My Dear Friends)
  13. 13.ラストダンスは私に (Bonus Track)

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