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「チャート自体に大きな宣伝力がある」牧村憲一(音楽プロデューサー)インタビュー
大貫妙子、竹内まりや、加藤和彦、フリッパーズ・ギターなど……、数々の有名アーティストと共に名盤を世に生み出してきた音楽プロデューサー、牧村憲一。2016年12月10日に刊行された『「ヒットソング」の作りかた――大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』(NHK出版新書)をもとに、音楽をプロデュースするために必要なこと、そして音楽チャートの重要性について話を聞いた。
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チャートにこだわりすぎた結果、リスナーのシンパシーを失ってしまった
−−私達はセールス、ダウンロード、ストリーミング、Twitter、ラジオ、GYAO!、YouTube、ルックアップという8つのデータを使って日本版ビルボードチャートを作っています。まず『「ヒットソング」の作りかた』のお話を聞かせていただく前に、(今年の年間チャート)をご覧いただきたいと思いますが、いかがですか。
牧村憲一:素晴らしいですね。納得できるチャートです。RADWIMPS「前前前世」は年間2位なんですね。彼らがヒットしたのは映画『君の名は。』の効果もありますが、誠実にバンド活動を継続してきたからこそ、今日のヒットがあったのだと思います。
−−RADWIMPSの「前前前世」はシングルカットされていないためセールスチャートには、チャートインしませんが、1年を通してダウンロードやYouTubeで数多く聴かれました。
牧村:それと、星野源さんは年間3位だったんですね。星野源さんは、もともとインディーズで活動していましたが、所属していたインディーズ・レーベルの決断もあって、メジャーに移籍し、ここまでのヒットを生みました。ピコ太郎も年間6位だったんですか。今年は、外せませんからね。AKB48のCDが売れているのは事実ですから、チャートに入るのは当然としても、CDが売れている曲だけでチャートを作ると、現実とは乖離した偏った結果になってしまいます。ダウンロード数やYouTubeでの視聴数が、こうやってチャートに反映されるのは健全なことですね。
−−そもそもチャートは必要だと思われますか?
牧村:成果を実証するためには、重要なものの一つです。チャートで1位をとるということには色々な意味があります。かつてアメリカでは、ラジオのDJにお金を渡してラジオで優遇してもらうなど、結果的にチャートを買いに行く、不法行為が起こったことがあります。チャート自体に大きな宣伝力があるからです。でも昨今はチャートにこだわりすぎた結果、リスナーのシンパシーを失ってしまったように感じます。
−−今のお話を踏まえて『「ヒットソング」の作りかた』の内容に入っていきたいと思いますが、牧村さんはこれまで音楽プロデューサーとして、加藤和彦、竹内まりや、フリッパーズ・ギターなど数多くのミュージシャンの名盤を手掛けてこられました。最初からプロデューサーではなかったとありましたが?
牧村:ええ、仕事を始めたころ、例えば大滝詠一さんや山下達郎さんが話している会話が、よく分かりませんでした。僕の知らないアーティスト、ヒット曲、あるいはチャートの話などに異常に詳しくて。そういうことが重なり、悔しい思いもあったので3年間毎日3枚のアルバムを聴くことを自分に課しました。それが全て血肉になったかどうかは分かりませんが、約3,000枚近くのアルバムをとにかく無性に聴いた結果、やっとついていけるようになって、これは今でもやっておいて良かったと思います。
でもそうして仕事をするようになったある日、朝妻一郎さん(フジパシフィック音楽出版 代表取締役会長)に「牧村くんはいい音楽を作るけれども、売れないね」、加藤和彦さんからも「プロデューサーは1位をとること」だよって言われたんです。それまでは良い音楽を作りたいという一心で仕事をしてきて、勉強して、素晴らしいミュージシャンと出会って、彼らにとって最高の環境を作るのがプロデューサーの仕事だと思っていました。なのに、信頼している朝妻さんや、一緒に仕事をしている加藤さんから立て続けに言われました。はじめはムッとしましたが、そのおかげで闘争心に火が付いた。結果的にはすごくありがたかったと思っています。そういう経緯を経て、やっと「プロデューサー」に届いたと思えるようになりました。
−−音楽の知識が豊富な人を目の当たりにすることで音楽の素晴らしさを体感し、その後、音楽をビジネス化することの重要さを気付かされた。この順番も、良かったのかもしれませんね。
牧村:もちろん売れれば何でも良いというわけではありません。でも売上げが上がらないとプロデューサーもミュージシャンも音楽は続けられても、音楽の仕事を続けることができません。仕事をする上で、大事なことの1つは「続ける」こと。そのためには適正な利益を上げないといけない。プロデューサーというのは、クオリティが高いものを作ることに加えて、たとえミュージシャンと意見が異なったとしても、場合によっては、ヒットチャートを意識したプランニングをしなければならないと気付かされました。
−−どのようなプランニングをされたのでしょうか。
牧村:1972年に吉田拓郎さんがアルバム『元気です』で、瞬時に40万枚以上を売り上げて話題になりました。ところが翌年には井上陽水さんのアルバム『氷の世界』が100万枚を売り上げて、日本初のミリオンセラーを達成しました。当時のレコード会社は軒並み「フォークのレコードがこんなに売れる時代になったんだ」と沸き立ちました。その後、僕がプロデュースするアルバムの売上げは最大で7万枚が限界でした。7万枚が売れればレコード会社には、まずまず利益が出ますし、決して悪い数字ではありません。僕にとっては7万という人数は、どんなリスナーなのかが想像できる数でもありました。どんな暮らしをしていて、どんな体験をしてきたのか……。そこから「どういう風に広げていけば良いのか」というトライを続けていきました。
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リリース情報
『「ヒットソング」の作りかた
~大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
- 牧村憲一
- 2016/12/10 RELEASE
- [799円(tax in.)]
牧村憲一 1946年、東京都渋谷区生まれ。音楽プロデューサー、「音学校」主宰。加藤和彦、竹内まりや、フリッパーズ・ギターら数々のアーティストの歴史的名盤の制作・宣伝を手がけ、現在も活躍中。著書に『ニッポン・ポップス・クロニクル1969-1989』、『未来型サバイバル音楽論』(津田大介との共著)がある。
関連リンク
- 牧村憲一Twitter
取材:高嶋直子
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