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楽園おんがく Vol.35: 野原廣信 インタビュー~「古典音楽といっても、時代によって少しずつ変化している」
旅と音楽をこよなく愛する、沖縄在住ライター 栗本 斉による連載企画。今回は、古典音楽の有名曲ばかりの『琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~』をリリースした野原廣信の貴重なインタビューをお届け!
伝統的な沖縄音楽というと、たいていの方は沖縄民謡のことを想像するだろう。しかし、琉球王朝時代に繁栄した琉球古典音楽も、無視できない重要なもの。例えば、沖縄の結婚式で必ず歌われるという「かぎやで風節」(舞踊の場合は「かぎやで風」)は、古典音楽の代表的な唄だ。ゆったりとしたリズムや抑揚の少ないメロディは、古きよき王朝時代の優雅な雰囲気を今に伝えてくれる。
そんな琉球古典音楽の入門編とでもいうべきアルバムがリリースされた。『琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~』と題されたアルバムは、古典音楽の有名曲ばかりを集めたタイトル通りの決定盤だ。唄と三線を担当するのは、野原廣信。伝統藝能選考会(コンクール)などでの数々の受賞歴を誇るベテランであり、野村流古典音楽保存会伝承者として沖縄県指定無形文化財にも認定されている。いわば、現役演者のなかでも最高峰といっていい存在である。
彼が自ら楽曲をセレクトした本作は、たんに名曲集というだけではない深い意味も持っている。 それぞれの唄の裏には命の尊さや平和への願いが込められており、優雅な調べを聴きながらそのメッセージを嗅ぎとるのも本作の醍醐味である。ここでは、今回の『琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~』を軸に、琉球古典音楽の魅力と、なぜ今聴くべきなのかを伺ってみた。
沖縄の人だけでなく内地のちょっと古典に興味がある
という初心者の方に聴いていただければ
−−『琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~』 をじっくりと聴かせていただきましたが、入魂の作品という印象があります。
野原廣信:いえいえ、もっと歌えるんですけれどね(笑)。古典音楽は、とにかく唄い込まないとダメなんですよ。今回も、1月から毎日唄い込んで、4月にレコーディングしました。それでもまだ録り直したいくらい(笑)
−−代表的な楽曲が多いので、このアルバムは古典音楽の入門編になるんじゃないでしょうか。
野原:そうですね。古典をマニアックに聴くんだったら、もっと大先生のCDも出ていますからね。どちらかというと、自分のはそうではなくて、沖縄の人だけでなく内地のちょっと古典に興味があるという初心者の方に聴いていただければと思っています。曲目もそこを意識していますし。
−−そもそも、琉球古典音楽ってどういうものなんですか。
野原:琉球王朝が、中国や薩摩藩からやってくる偉い人をもてなす音楽だったんです。当時は船で何日もかけてやって来るから、命がけなんですよ。だから、そういう彼らをもてなさないといけない。そういうこともあって、中国から三線が来て、唄や踊りも生まれていったわけですよ。 そういったものを組み合わせてできていったのが、組踊(くみおどり)という無形文化財になっている舞台芸術ですね。琉球王朝では三線奉行とか踊奉行という役割があって、侍は必ず三線や舞踊、あとは空手なども教養として義務教育だったんです。でも、農民や商人は逆に禁止されていて、楽器なんてタブーだったんです。
−−じゃあ、民謡とはまったく別物ですね。
野原:民謡は本来、 三線は使わなくて手拍子だけをバックに歌うんです。有名な「安里屋ユンタ」も、実は手拍子だけで唄うものなんですよ。あと、「節」とつく曲は三線を弾くことが前提なんです。だから、基本的に民謡では「節」という言葉は使わない。古典音楽のものなんです。 逆にいえば、古典音楽は「~節」という曲ばかりです。
−−じゃあ、古典音楽には必ず「節」がついているんですか。
野原:新しく出来た創作古典なんかには「節」がついていないものもあるけど、基本的にどの曲も「節」はつきますね。 9割5分くらいはそうじゃないかな。そして、そういう曲は三線で作られた曲なんです。年貢を納めたりする奉行っているじゃないですか。ああいう人達もみんな三線が弾けたんですよ。彼らが、少しずつ農民に唄や三線を教えていって、そこから農民の生活の苦しさなどが歌われるようになり、民謡が出来たんです。民謡は新聞みたいなもので、「あの奉行が村一番の美人娘と一緒になった」とかいうのを、村の青年たちが恨んで唄にするんですよ。あとは、「年貢を収められず苦しい思いをしている」とか。そういうところが民謡の面白さなんですよ。
−−三線というと、「工工四(くんくんしー)」という独特の譜面がありますよね。
野原:三線奉行が侍たちに教える時に、楽譜のような物があれば便利だといってできたのが、工工四ですね。碁盤の目になっているのは、当時の王様が囲碁が好きだったというのが理由らしいけれど(笑)
−−工工四はいつ頃に出来たんですか。
野原:せいぜい200年くらい前だから、そんなに古いものではないですね。何人かの人が工工四を作っています。例えば、野村安趙(のむらあんちょう)という人がいて、その人は王様から依頼されて野村流という流派で、飛び抜けて素晴らしい工工四を作ったんです。今は宮古島のレストランに祀られているんですよ。三線ひとつとってもいろいろと物語があるんです。いずれにせよ、工工四ができる前は口頭で教えていたから、教える人によって少しずつずれてくるわけですよ。それが、いろんな流派になったんですね。本来は王朝の音楽だから、元は全部同じなんですけれども 。
−−じゃあ、今残っている古典音楽というのは、すべて工工四に記録されているんですか。
野原:そうなりますね。 野村流だけで、200曲以上あるといわれています。野村流の工工四は全部で4冊もあるんですよ。
リリース情報
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ライター
Writer:栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベントなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
Interviewer: 栗本 斉
「お前の親父は三線弾くのに、お前はなんで弾けないの」
−−古典音楽と琉球舞踊はセットのようなものだと思うのですが、踊りもたくさん流派があるんですよね。
野原:ありますね。新しく流派を作るということは、たいていは暖簾分けして個別に創作していくわけだから、オリジナルとは微妙に違うんですよ。舞踊で3曲続けて踊るうちの2曲目と3曲目を入れ替えたりするから、もうめちゃくちゃなわけです。家元制だからどんどん分かれていっていますね。三線には家元制はなくて、保存会などいろんな組織があるんですけれど。
−−三線も保存会などによって弾き方が違うんですか。
野原:違いますね。厳密にいうと、工工四の記譜自体は共通なんですが、そこに使う記号が縦とか横とか、保存会によって微妙に違う。今回のアルバムには、野村流保存会の工工四を付けましたが、ちゃんと許諾を取らないといけないんです。工工四にも著作権があるし、裁判で訴えられたらとんでもない賠償金を取られてしまうから(笑)
−−琉球王朝時代の古典音楽も、今、野原さんが演奏されているような唄三線だったんですか。
野原:そうですね。基本的には唄と三線はセットです。今回のアルバムでは琴と笛も入っているんですが、琴自体は内地から流れてきたはずだから、そんなに古いものではないと思います。江戸時代以降じゃないかな。胡弓や笛は、合奏では古くから演奏されていたようですが。
−−今回収録された曲も、基本的に独唱なんですか。
野原:独唱がほとんどですね。基本は唄三線。あと、琴が入ることはまれにあるけれど、笛は珍しい。合奏や舞踊には笛は入るけれど、独唱に笛が入ることはないんです。だから笛が入った古典音楽の独唱アルバムは、このCDが初めてかもしれない。
−−笛を入れた理由はなんだったんですか。
野原:笛が入ると華やかになるんですよ。あと、昔はあまり笛の上手な人がいなかったから、一緒にやると全部音を潰していたんです。でも、今はそういうことはない。仲田治巳という奏者がとにかくプロフェッショナルだから、新しい試みとして一緒にやってみたんです。 ただ、笛の入った独唱は今まで聴いたことがないから、賛否両論出てくるかもしれないですね。
−−今回は入っていませんが、太鼓も昔からあるものなんですか。
野原:あれも最近ですね。家元制になってからだから、それほど古いものではないんじゃないかな。古典音楽ではもともと使ってないので、少しずつ取り入れていったんだと思います。 太鼓は舞踊曲向けだから、独唱に入れることは基本的にはないですね。
−−古典音楽は、おもてなし音楽だとおっしゃっていましたが、歌詞の内容はどういうものが多いんですか。
野原:それもいろいろです。例えば、有名な「かぎやで風節」は、「今日の喜びは何にも変えられない。蕾だったのがぱっと花が咲いたようだ」という風に歌われるから、縁起のいい曲として歌い継がれているんです。でも、これはもともと組踊に組み込まれている曲なんですよ。王様の長男が声が出せなくて、王位継承できないかもしれない。それで、次男に引き継いだ方がいいという話も出てきたため、長男の家来が「一言でいいから声を出してください。でなければ切腹します」といったら、声が出たという話があるんです。その時に歌うのが、この「かぎやで風節」なんですよ。でも、それ以外にもいろんな物語に組み込まれている有名曲ですね。
−−そういうことだったんですね。
野原:古典的な組踊では、人の情けとか長寿について歌ったものが多い。とくに長寿繁栄を歌うのが、ゆったりとした古典ではとても多いんです。『谷茶前(たんちゃめー)』や『花風(はなふう)』なんかは恋物語だったりするけれど、ああいうのは雑踊(ぞうおどり)といって、明治時代以降の比較的新しい創作舞踊。もともとあった古典に、芝居師がいろんなアイデアを出して、お客さんを呼びこむために創作していったんです。
−−あと、曲ごとに「本調子」とか「二揚」とかいう表記がありますが、これはどういうものなんですか。
野原:あれは、西洋音楽でいう調のことですね。三線は3弦しかないから、それで調整していったんですよ。ギターは6弦あるからある程度音を上げても大丈夫だけど、三線はそういう訳にはいかない。だから、チューニングを曲によって上げたり下げたりするんです。
−−同じ曲でも、いくつか種類がありますよね。
野原:例えば、歳を取って高音が出にくくなった時に、音を下げて歌ったりするんだけど、そういう熟練の人たちのためのものなんです。それもまた味があっていいんですよ。二揚で若い人が声を張り上げて歌ったとして、今度は長老が同じ唄を落ち着いて本調子で歌う、なんてこともあります。
−−歌い回しも決まった型があるんですか。
野原:もちろん、工工四に指定されているから、その通りに歌わないといけないんです。ただ、その通りといっても完璧にできないし、ちょっとしたズレが自分の個性になる。その範囲内で息の長さが変わったりするのは、よくあることです。その微妙な速さや表情は個人差があって味を出せるから、そこがその人の実力ですね。習う時はもちろん忠実にやるんですが、あくまでもそれは基本。声と感情をどう活かして行くかは本当に難しい。
−−野原さんご自身のお話も聞きたいのですが、唄や三線を始めたきっかけはなんだったんですか。
野原:もともと親父が三線を弾いていたし、製作者でもあったから、三線には馴染みはあったんです。でも、あまり興味がなかった。実際に始めたのは遅くて、26歳からですよ。それでも当時は20代で三線弾く人なんていなかった。大体40代とか50代からかな。今は沖縄の芸大では専攻もあるし、20代で古典をやる人も珍しくなくなりましたけれどね。
−−じゃあ、幼い頃はあまり古典には触れなかったんですか。
野原:親父の楽器の品評会で少し踊ったことはあるけれど、本格的にはやっていないですね。それまでは、ビートルズやグループサウンズに夢中だったし、エレキ・ギターを弾いていたんですよ。タイガースとかブルー・コメッツとかのGSや、外国のポップスだと、エルヴィス・プレスリーとか、トム・ジョーンズとか、エンゲルベルト・フンパーディングとかね。
−−じゃあ、どうして古典音楽の道に入ったんですか。
野原:ある日、友だちから「お前の親父は三線弾くのに、お前はなんで弾けないの」なんていわれてね。そういうプレッシャーもありましたね。結婚して会社でサラリーマンをしていたんですが、隣の家がたまたま三線教室だったんですよ。それで、教えてもらうんですが、本格的にやるんだったら「ちゃんと先生についたほうがいい」っていわれて、先輩と一緒に師匠の元に通うんです。それからずっと続いているという感じです。
−−始めた頃は楽しかったんですか。
野原:面白いってほどではないけど、まあ、仲間が集ってワイワイやるからね。ただなんとなく続けていたという感じかな。でも、どんどん目の前に課題曲がやってくるし、それをやったら選考会もあるし。追われながら特訓しているうちにのめり込んだということでしょうね。ただ、当時は30名くらい仲間がいたけど、今は僕しか残っていない。
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ライター
Writer:栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベントなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
Interviewer: 栗本 斉
古典音楽といっても、時代によって少しずつ変化している
−−実際に人前で弾けるようになったのはいつ頃ですか。
野原:大体先輩が一緒だったから、初心者の頃から結婚式に呼ばれて演奏したりというのは同じグループでよく行っていましたね。あとはたくさんの人が出る会などがあって、そこで鍛えられたという感じかな。
−−民謡ではなく古典だったんですね。
野原:たまたまそうでしたね。民謡は習おうとは思わなかった。周りにいなかったというのもあります。みんな古典の大先生だったから。
−−自信を持てるようになったのはいつ頃ですか。
野原:今もまだ自信は持ってないですよ(笑)。だから、今も先生のところに稽古に行っている。小さな蓄積が芸になりますからね。自信というよりも、日頃の積み重ねで舞台に出ているという感じですね。いつでも緊張はするけれど、冷静にはなってきているかな。自信ではなく経験だと思いますね。
−−今はお弟子さんもいらっしゃるのに、 それでもまだ先生について稽古をされているんですね。
野原:弟子はたくさんいますよ。師範を取っている人もいます。それでも、まだまだ教えてもらいたいことはあるんです。CDも出しているのに、出来ないことがまだあるなんていったら恥ずかしいですけれど(笑)。師匠の城間徳太郎先生は人間国宝だから、そこにはまだまだ及ばないですからね。
−−今回のアルバム『琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~』の選曲は、野原さんがされたんですか。
野原:全曲私が決めました。いずれも 独唱曲の名曲中の名曲を選んでいます。こういう世相だから平和をテーマにした古典音楽を選びました。古典七踊りという10分以上かけて演奏されるような曲もあるんですが、それらは福寿長寿、五穀豊穣というテーマなので、平和とはまた別のメッセージだから選んでいません。
−−平和がテーマとなると、ますます唄の意味を知りたくなりますね。
野原:唄には、言葉通りの意味ではないニュアンスも含まれているんですよ。恋愛物なら木や花や蝶に例えることが多くて、自分の考えを自然を使って表現するんです。例えば、「辺野喜節」では、イジュっていう真白い花が咲く木があるんですが、その白さを人の肌に例えている。自分の旦那さんが西原の女のところに浮気に行く。それで、「私もあの女のように肌が白くて美人だったら、旦那さんも浮気しに行かないのに」っていうやきもちを焼く唄なんですよ。
−−そういう意味だったんですか。ただたんにきれいな花のことを歌っているだけではないんですね。
野原:そうです。たいていの唄には2、3の意味がありますから。民謡だとストレートに色恋の唄になるんだけど、古典はそうやって比喩表現を使うんです。「仲風節」で歌われる「かたりたや、かたりたや」というのも、明け方まで話をしたいという意味。もっと裏を返せば、戦争ををしていても、話し合えば夜明けが来るという意味にも捉えられる。とことん理解し合えるまで話し合いをしなさいってね。
−−そういう解釈もできるんですね。
野原:月や山にも例えるんですよ。月はどこの世界から見ても一緒。そういう意味がある。紛争地で見ても沖縄で見ても、月は一緒なんです。子どもたちはみんな平等だよって。仇討するんじゃなくて、どこかで和解しないといけない。じゃないとテロもなくならないですからね。僕はそのことを古典音楽を通じて表現したいと思っています。
−−たしかに、じっくり解読するとそう感じられますね。
野原:「恩納節」も、毛遊び(昔の男女の集い)を禁止するという札が立っているという唄なんですが、遊びは禁止できても、人の恋する気持ちまでは止められない。そういった皮肉をこめているんですよ。禁止令は出せても、人の喜びまでは禁止できるわけがないでしょって。だから、直訳は本などに書かれているけれど、裏にある意味はいくらでもあるんです。
−−これらの曲は、組踊にも使われているんですか。
野原:そうです。ほとんど使われていますね。組踊の物語のなかでもこういうメッセージは込められているんですよ。いちばんの聞かせどころやメッセージが、全部唄に入っていますね。
−−得意な曲やお気に入りの楽曲はどれですか。
野原:例えば「赤田風節(あかたふうぶし)」は私の先生の専門だったから大切な唄ですね。ただ、今回のはもうちょっと上手く歌えたのになんて思うけれど(笑)。 あと、「仲村渠節(なかんかりぶし)」というのは久米島の歌なんですが、面白い唄ですよ。女性が男性をこっそり部屋に招き入れるのに、すだれを掛けて合図するっていう内容なんですが、今思うとこんな女性がいるなんてすごいですよね(笑)。今だとメールでやりとりすればいいけれど、すだれだからね(笑)。「干瀬節(ふぃしぶし)」もユニークですよ。寒い冬の夜に泊まるところがなくて家を尋ねたら、女性がひとりいて「どうぞ上がって語らいましょう」といわれるんです。そこだけ取ると色っぽい唄なんですが、組踊の芝居のなかでは、そのことに逆にびっくりして逃げ出したところ、女が鬼になって追いかけてくるんです。今でいうストーカーですよね(笑)。こういう裏の話は尽きないですよ。歴史もあるから、いくら学んでも足りないし、どんどんはまっていきますね。
−−このアルバムを聴いたら、もっと古典を聴きたくなりますし、理解したくなりますね。
野原:次は、舞踊の五穀豊穣や長寿の歌を集めてCDを作ってみたいですね。これらは独唱ではなく、3、4名で歌うんですよ。でも、聴きやすくするのなら、ひとりで歌ったほうがいいかもしれない。最近はひとりで歌うことも多いですからね。だから、古典音楽といっても、時代によって少しずつ変化しているんですよ。そこが面白さでもありますね。
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ライター
Writer:栗本 斉 Hitoshi Kurimoto
旅と音楽をこよなく愛する旅人/旅&音楽ライター/選曲家。
2005年1月から2007年1月まで、知られざる音楽を求めて中南米へ。2年間で訪れた国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、トリニダード・トバゴ、パナマ、メキシコ、キューバの、合計14カ国。
帰国後は旅と音楽にこだわり、ラジオや機内放送の企画構成選曲、音楽&旅ライター、コンピレーションCD企画、ライナーノーツ執筆、講演やトークイベントなどで活動中。得意分野はアルゼンチン、ワールドミュージック、和モノ、中南米ラテン旅、世界遺産など。2013年2月より沖縄県糸満市在住。
Interviewer: 栗本 斉
琉球古典音楽決定盤 ~命ど宝どう~
2016/07/27 RELEASE
RES-283 ¥ 3,080(税込)
Disc01
- 01.仲風節 (二揚)
- 02.述懐節 (二揚)
- 03.干瀬節 (二揚)
- 04.子持節 (二揚)
- 05.散山節 (二揚)
- 06.仲風節 (二揚下出し)
- 07.述懐節 (二揚下出し)
- 08.仲間節 (本調子)
- 09.仲村渠節 (本調子)
- 10.赤田風節 (本調子)
- 11.仲風節 (本調子)
- 12.述懐節 (本調子)
- 13.かぎやで風節 (本調子)
- 14.恩納節 (本調子)
- 15.ごえん節 (本調子)
- 16.辺野喜節 (本調子)
- 17.揚作田節 (本調子)
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