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『ナンバーワン80s billboardヒッツ』リリース記念 西寺郷太(NONA REEVES)スペシャルインタビュー

AOR CITY 1000

 ビルボードジャパンがデータ協力を行い、1980年~1990年に全米シングル・チャート(billboard HOT100)で1位を記録した曲のみ、全38曲を収録したコンピレーションCD『ナンバーワン80s billboardヒッツ』が8月10日に発売される。その発売を記念して、ポップ・マスター、西寺郷太(NONA REEVES) にインタビューを敢行。80年代を色鮮やかに彩り、Billboard HOT100で「No.1」という最高栄誉として音楽史に刻まれたヒット曲を解説していく。

僕らの世代の誇れるアスリート

―80年代のビルボードHOT100で1位になった曲から38曲を厳選した2枚組コンピレーションCD『ナンバーワン80s billboardヒッツ』が発売されます。欧米ポップス、とりわけ80sシーンに精通している西寺郷太さんの考える全米ナンバーワンっていうのは……。

CD
▲『ナンバーワン80s
billboardヒッツ』

西寺郷太:おっと、これ仕事ですよね?酒を呑みながらずっと朝まで話したいテーマですけど(笑)。
選ばれた38曲……なるほど。アーティスト名を見ていて思うのは当時からビルボードHOT100は、やはりアメリカ一国だけに収まりきらないインターナショナルチャートだということですね。アメリカ発のアーティストが大半を占めるのは当然としても。カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、ユーリズミックス、ワム!、ポール・ヤング、リック・アストリーは英国。リック・スプリングフィールド、メン・アット・ワーク、エア・サプライはオーストラリア。ファルコにいたってはオーストリア。さらにa-haはノルウェー、ロクセットはスウェーデンですよね。1位獲得者は、オリンピックというわけじゃないですけど世界中の人たちが、ヒット曲という競技に参加して戦っていた時代の覇者、金メダリストたちって感じがスゴくしますよね。僕らの世代の誇れるアスリートたちというか。

―日本でのエントリーは独自の呼び名があったり。

西寺郷太:そうそう。「今夜はビート・イット」「カーマは気まぐれ」「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ハートにファイア」とか、日本語のタイトルがたくさん付いていますよね。そういうひとつの換骨奪胎というか、日本人への咀嚼みたいなものが活きていた時代だったんだと思います。

―“ウキウキ”って、すごく80年代を象徴している言葉だと思います。

CD
▲ワム!『メイク・イット・ビッグ』

西寺郷太:ちょっとおバカなんだけど、それがすごく良いですよね。まあ、みんながそういう風に思えた時代ということ。この「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」も、『笑っていいとも!』(’82年10月~’14年3月フジテレビ系放送)が’83年頃かな、ワム!がデビューとほぼ同時に始まって、“♩ウキウキ・ウォッチング”がどーんと流行って。テレビの人気フレーズと洋楽タイトルがうまく合体した例だと思っています。

―この頃は、まだ郷太少年の時代ですね(笑)。

西寺郷太:京都にいましたね。’83年頃までは友人にカセットに録ってもらって……あ、『スリラー』も初めはテープで聴いてたんですよ。カルチャー・クラブ『カラー・バイ・ナンバーズ』もワム!『メイク・イット・ビッグ』あたりも全部カセットに録ってもらった想い出があります。

―もしかしてカセットテープのメーカーは……?

西寺郷太:ワム!ファンだったので(CM本人出演の)maxellのUDⅡ(笑)。よく使っていました。あれも、エンジと金のファミコンのような80sカラーリングでしたよね。’83年から’84年のモノは洪水のように全体的に浴びたというか。だからじつはダリル・ホール&ジョン・オーツは僕よりもちょっと前の感じなんです。TOTOもひとつ世代が前っていう印象ですかね。マイケル、ワム!、デュランらは僕ら若者の感じがすごくしました。(収録リストを見ながら)でも、このあたりも好きでしたよ。あーMR.ミスター、今でもこの曲は大好きですね。「ブロークン・ウイングス」。本当に好きですね。

 

―同じく全米No.1の「キリエ」の方が一般的には人気があったような印象ですが。

西寺郷太:僕はMR.ミスターに関しては「ブロークン・ウイングス」一択です。いまだにあの空間を生かしたサウンド、(♪口ずさみながら)ベースとシャカシャカ刻むシェイカーとパッド・シンセ。ほとんどそれ以外ない。ドラムも一番最後ぐらいしか入ってこないんですよ。ああいう音作りは今でも大好きですね。この頃だと前年のカーズ「ドライヴ」とかも、割と似た感じでしたけど、’85年の途中から時代の変化っていうか。コンサバのものはよりコンサバになっていく、ライオネル・リッチーの「セイ・ユー、セイ・ミー」とか。まさにそうだと思うんですけど。大人っぽい音楽はより大人っぽい音楽に成熟していって。ヒップホップが出てきて。RUN D.M.C.とかも流行り始めて。どんどんどんどん時代が変わっていって。いい部分もあるんだけど、日本人が好きな歌モノとメロディの強さみたいなものは、ちょっとずつ、メッセージ性だったりビートっていうモノに気がつけば追い抜かされていくんですね。

―いわゆるモンスターアルバムが多かったですよね。マイケル・ジャクソン『スリラー』、ライオネル・リッチー『オール・ナイト・ロング』、ヴァン・ヘイレン『1984』、ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』、『フラッシュダンス』『パープル・レイン』『フットルース』のサントラがあったりと。

西寺郷太:そうですね。『フットルース』なんかは僕も好きでしたけど、やっぱ映像がすごく身近になった時代でしたね。言うまでもなくミュージックビデオ1本で世界を制するっていうことをみんなが知ったわけですから。同時にSONYのウォークマンの力もあったと思うし、「街で聴ける。やったー!」っていう、楽しいことしかないよっていう。「ウィー・アー・ザ・ワールド」では黒人白人の垣根も越えちゃいましたからね。……でも、本当に付き合いたい彼女が見つかったりとか、ついに結婚しちゃったみたいになると、なんでもかんでも楽しいわけでもないよなって感覚を抱くじゃないですか。USA for Africaみたいなことも1回目だから出来たけど、もう1回やるとなると、じゃあ、誰がどういう立ち位置になるの? ってみんなが慎重になったりすると思うんです。なんか、だから、良くも悪くも無邪気だったというか、ウキウキだったというか。無我夢中で黒人と白人の差別なくそう!とかそういうことで音楽リスナーが一緒になれたのも80sの記憶でしょうね。

 

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