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「どのアルバムも私たちらしいけど、その“私たち”の定義は日々変わっていく」― ビーチ・ハウス 来日インタビュー
2015年8月に待望のニュー・アルバム『ディプレッション・チェリー』、そしてその2か月後に新たなアルバム『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』を急遽リリースしたヴィクトリア・ルグランとアレックス・スカリーによるデュオ、ビーチ・ハウス。この2作を引っさげ、2016年1月に行われた約3年ぶりのジャパン・ツアーでは、幻想的でありながらダイナミズムとソウルに溢れる迫真のパフォーマンスで会場に集まった観客を奥ゆかしい世界に引き込んでくれた。フリート・フォクシーズのスカイラー・シェルセットを含む4人編成で挑んだ今回のツアーをはじめ、新作のレコーディングについてヴィクトリアに話を訊くと、型に押し込められることを嫌い、着実に進化し続ける2人の音楽と向き合うストイックな姿が浮かび上がってきた。
TOP Photo: ERINA UEMURA
曲から何かを感じられなければ、それは私にとっていいショーではない
−−近年のツアーでは、毎回DIYなステージ装飾を施していましたが、最新ツアーでは照明に重点をおいたシンプルなアプローチを取っていますね。
ヴィクトリア・ルグラン:今回もアレックスがデザインしたステージ装飾を使っているけど、より自然な…アグレッシヴでラスヴェガスっぽくないやり方で、空間と照明を使いたかった。ライブに来てくれた人たちが、音楽の世界観に浸れるような空間を演出しつつ、私たちとの距離を感じないように。最近だと、単なるライト・ショーを観に行ったような…「ステージ上で何が起こってても重要じゃない」みたいなライブをするアーティストも多いじゃない?私たちはパフォーマンスと演出をきちんと結びつけたかった。そして今回もステージ装飾は使ってるわ。
−−特に「10 Mile Stereo」の照明は印象的ですよね。ドラム・ビートとシンクロされていて。
ヴィクトリア:確かに、エネルギーがピークに達する瞬間ね。自分たちのショーが観客の目線から観れたらいいな、とは思う。今これが起ってるんだろうな、って何となく感じるんだけど、全体像がまったく想像できないから(笑)。
−−あと気になっていたのが、「ステージ上が暗い」って言われることが多いと思うのですが、これはもちろん意図的ですよね。
ヴィクトリア:もちろん。パフォーマーとして自ら音楽に身を委ねたいと考えている。私個人の話だけど、ライブに行った時に一番関心があるのは音楽で、そのアーティストの風貌には興味がない。曲から何かを感じられなければ、それは私にとっていいショーではない。ステージ上が暗い時もあれば、明るい時もある。時にはドラマチックだったり、荒々しい時もある。とにかく様々な瞬間に溢れている。それをただ暗いっていう風に指摘されるのは、祖父母世代の人たちが若者の聴く音楽は騒々しい、って文句を言うのと一緒よね(笑)。まぁ、それぞれの見解もあると思うけど。
2016.01.25 Beach House @ TSUTAYA O-EAST
Photo: Satoko Akai
−−ビーチ・ハウスのライブはとてもインティメイトで、ヴィクトリアが言ったようにその音像に身を委ねるという言葉がピッタリですが、大きな会場やフェスで演奏することでライブ体験が損なわれてしまう懸念はありませんか?
ヴィクトリア:それはすごく自覚している。だから単独公演は、一定のサイズの会場でしかやらない。5,000人とかは無理ね。大体1,000~2,000人ぐらいの会場が、みんながパフォーマンスを観れて、体感することができる理想のサイズだと思ってる。たとえば、5,000人キャパの会場で、バルコニーの後列とかだったら、そうすることは難しいと思うから。観に来てくれる人々にとってどんなライブ体験になるか、という部分にはすごく気を使ってる。私たちはアリーナ・ロック・バンドじゃないし、モニターに足をのっけて大袈裟にプレイするわけじゃない。“没入する”っていうのが、一つの見方かもしれない。自分たちと同じように観客にも音楽に浸って欲しい。
−−では、フリート・フォクシーズのスカイラーが、ライブ・メンバーとして参加するようになった経緯を教えてください。
ヴィクトリア:彼に出会ったのは2008年で、長年の知り合いだったから、「一緒にツアーしない?」って訊いてみたの。今、フリート・フォクシーズの活動はしてないし、ソロでやってるだけだから。で、快諾してくれたから、ベースやベース・べダルを担当してもらってる。
−−4人目のライブ・メンバーが加わったことは、どのような変化をもたらしましたか?近年は、3人編成としてツアーすることが多かったかと思いますが。
ヴィクトリア:最初の頃はデュオ、最近だと3人編成、多い時は5人編成の時もあった。でも、2~4人編成がアレンジをする面で理想的ね。2人だけで演奏するのも好き。今でも、昔の曲…新しい曲の場合もあるけど…を演奏する時は、2人だけでやることもある。むしろショーの構成を考える時に、そこから発展させていってる。最初は4人全員でプレイして、スカイラーとその時のドラマーがステージを去って、そしたら2人で演奏して、っていう具合に。そうすることで、ライブに深みが生まれると思うの。せっかくのライブだから、トラックじゃなくて、可能な限りすべての音を生でプレイしたい。そうすることで、エネルギーも明瞭化されて、活気づく。他のミュージシャンと一緒にプレイするにあたって、4人が上限。それ以上になると、ステージ上の人間が多すぎる、って感じるわね。
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−−最新作『ディプレッション・チェリー』、そして『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』では、“原点回帰”的なアプローチを取ったそうですが、これは制作前から心に決めていたのですか?
ヴィクトリア:まず、“原点回帰”っていうのは、哲学的に無理だと思う。一からスタートすることはできないから。アルバムを作る度に、その経験から得た利点や悪い点がある。『ブルーム』のレコーディングからは様々なことを学んだ―ドラムやツアー、とにかくすべてが成長過程。そんな中で、『ディプレッション・チェリー』が生まれるために学んだ一番重要なことは、時間に捉われないこと。いつもそうってわけじゃないけれど。時の流れには逆らえないし、無理強いしても起らないことは、起らない。不可逆性―なるがままにしかならない。『ブルーム』の制作には、様々な“フォース”が作用していた―音楽的な部分、そして時には曲作りに猛烈な苦痛が伴った。それを繰り返すつもりはなかった。反復…意識的に何かを繰り返すのは、すごく不自然なこと。だから『ディプレッション・チェリー』では、自然と生まれてきたものを拒まなかった。そして時間をかけて制作すること。でも、実際はそこまで時間に余裕はなかった。アルバムを2枚作ってしまったから。2014年は、とにかくたくさんの曲を書いたわ。
−−2作の制作は、どのように隅分けたのですか?
ヴィクトリア:『ディプレッション・チェリー』を書き上げて、そのまま曲を書き続けて出来上がったのが『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』。だから、作曲の面では別の波と言う感じなんだけど、レコーディングは両方とも同じセッションで行った。『ディプレッション・チェリー』の曲を録って、『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』に収録されることとなる曲を録って、って具合に、2作のレコーディングは並行して行われた。で、私は好きな時に好きなように歌った。それは『ブルーム』の時に取った、型にはまったアプローチとはまったく違っていた。
−−『ブルーム』は、テープでレコーディングした部分が多かったと思うので、その点でも少し息苦しい部分があったのかもしれないですね。
ヴィクトリア:うん、それもすごくある。それと『ディプレッション・チェリー』はクリス・コーディーがミックスしたけど、『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』は私とアレックスがミックスしたから、過去に自分たちで好きになようにできなかった部分も変えることができた。この2作の制作を経て、バンドとして目ざましく成長したと感じる。でも、それはどのアルバムを作り終えた後もそう。何か必ず学ぶことがあって、その経験を得たことで成長するから。
2016.01.25 Beach House @ TSUTAYA O-EAST
Photo: ERINA UEMURA
−−よりいい作品が作れるように。
ヴィクトリア:えぇ、私はそう思ってるわ。私たちは全員成長過程にある。これは人類すべてに当てはまること。だから、どんな些細なことからでも、自分について学ぶことがある。どんなアルバムも“決定的”や“集大成”だとは思わないし、それぞれのユニークさがある。どの作品もお互いに不可欠なの。
−−今回ルイジアナでレコーディングしたことがサウンド面に及ぼした影響はありますか?前作に比べ、暖かみのある作品に仕上がったと感じたのですが、考えてみると、それはキーボードやオルガンなどの音色が要因なのかもしれないですね。
ヴィクトリア:楽器もそうだし、サウンドボードや様々なものが影響している。よく「自分たちの音楽がボルチモアにインスパイアされているか?」っていう質問を受けるけど、それと同じで答えは「ノー」ね。私たちが暮らす素晴らしい隠れ家的な場所ではあるけど。スタジオ自体はすごくクールだったけど、周りは本当に何もないようなところだった。作業するには最適な場所だったけど。
−−先ほど少し話にあがりましたが、今回全体的にドラム・サウンドを抑えたことで新たな道が開かれたと感じますか?
ヴィクトリア:その通り。今回はドラムを使ってないとか書いてあるのをよく見るけど、そんなことはなくてドラムは取り入れてる。一定の頻度で用いると、パーティーで1人で騒いでる人みたいに、曲を支配し、ある方向へ急き立ててしまう。そうなると曲の中の空間や曲が持つ側面が失われる。そうならないように、ソングライティング、アレンジ、プロダクションの面で、新たな道を切り拓きたかった。『ブルーム』のために曲作りを行っていたセッションの終盤で、私とアレックスの2人でドラムを使って作曲をしていた期間が何週間かあった。そのおかげで『ディプレッション・チェリー』と『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』では、ドラムをどんな風に取り入れたいか分かっていたから、必要以上にドラムに時間をかけなかった。それは断固として貫きたかった。でも「Sparks」や「PPP」のラストとか、2作品とも結構激しいドラム・パートはある。特に『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』では、上手く忍ばせてるって感じ。
−−確かに、一段と“生身”な印象を受けました。
ヴィクトリア:そうね。『ブルーム』が、とても完璧された要素も感じられる作品だったから、余計にそう感じるんだと思う。『ブルーム』を作った時、ドラムのレコーディングにかなり時間をかけた。2週間近くもよ。私のヴォーカルをレコーディングした期間よりも長い時間を費やしたんだから!次に作品を作る時に、「これはもう絶対にしない」って自分で思ったの、すごく鮮明に憶えてるもの(笑)。「自分のヴォーカルにはこだわって、好きなだけ時間をかけるわ」って。それはこの2作から感じ取れることの一つだと思う。
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−−パティ・スミスのスポークン・ワードを彷彿させる「PPP」のオープニングだったり、今作ではヴィクトリアの多彩なヴォーカルワークも際立っていますよね。
ヴィクトリア:クール!そう、それはまさに今話した試みの恩恵だと思う。曲作りとレコーディングに時間をかけたのもそうだし。すごくシンプルで、何も気にしないで自分のやりたいことをやっただけ。みんな色々な喩で表現するから、すごく面白くて…あなたはパティ・スミスって言ったけど、過去にはモータウンっぽい言われたこともあるし。そういう話を訊くのは興味深い。みんな自分の経験に基づいた、まったく違うものを連想するから。
−−それは、ビーチ・ハウスの楽曲が多くの人から共感を得る理由に繋がるような気がします。どの曲も心に訴えかけるものでありながら抽象的でもあるので、個々の体験を重ね合わせされる普遍性も兼ね備えている。
ヴィクトリア:私は曲を書いてる当事者だから、どんなにトライしようと、曲に対して客観的になることはできない。聴き手の立場になってみようと思うことはあるけど、やっぱり無理。自分と他人が思い描く己の姿は合致しないから。それが私の考え。曲作りをしている時、レコーディングをしている時、曲を演奏している時の自分がどんな心持ちだか、はっきりとわかるけど。ツアーで一番楽しいのは、毎晩何かが違うところ。観客はもちろんだけど…その場にいる全員がまったく違うことを考えて、感じているんだろうな、って思うとなんだかとても自由になった気がする。私たちの音楽を聴くことが、人々をそこまでオープンにさせるのは素晴らしいことで、喜ばしいことだと思ってる。なぜかって、私たちが作り上げた構造の中に人々が何かを感じることが可能な場所がある。そしてそれが楽曲を普遍的にしている。普遍性は、音楽がベストな状態に達した時に生まれるものだから。
−−どのアルバムも見事に“ブックエンド”されていますが、作品のオープニングとクロージング・トラックを決める時のこだわりは?
ヴィクトリア:例えば「Levitation」は、『ディプレッション・チェリー』のオープニング曲でなければと思ったし。実際に他の部分に入れてみたけど、やっぱり合わなかった。曲が訴えかけてくるって感じね。アルバムの流れやシークエンスには、これまでずっとこだわってきて、重要な要素だと思ってる。「これが私たちの音楽!」って定義づけるものでもあるから、作品のシークエンスを考えるのは好き。
−−物語のようにアルバムを構成する感覚ですか?
ヴィクトリア:そう、物語を描くキャンヴァスのよう。様々な浮き沈みが“ブックエンド”されている。曲が自分の居場所を訴えかけてくるのは、すごくクールなこと。“ホース・ウィスパラー”(馬の心を読んだり、心を通い合わすことができる人)じゃなくて、“ソング・ウィスパラー”ってとこかな(笑)。
2016.01.25 Beach House @ TSUTAYA O-EAST
Photo: ERINA UEMURA
−−最近では、フィジカル盤をリリースしないアーティストも多いですが、最新作はアートワークからもバンドの作品に対するこだわりが伺えました。
ヴィクトリア:自分たちが思い描いていたものを実際に形にすることができて嬉しい。フィジカル・アルバムが作られなくなる日は近いうちに来ると思ってる。特に『ディプレッション・チェリー』のフェルトのカヴァーは、普通のアルバム以上に手間暇がかかっているから、買えるうちに買っておいた方がいいと思う(笑)。あのアルバムは、あの質感である必要があった。そして『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』では写真を使ったけど、あれもあれで作品にぴったりなアートワークになっている。
−−短期間で2つの作品を発表し、クリエイティヴ面で実りのある時期だったと思いますが、その反対の状況に陥ったことはこれまでありましたが?
ヴィクトリア:一連のツアーが終わった時、深い疲労に襲われる時がある。肉体的にだけではなくて。自我の意識はあるんだけど…そこから一歩遠ざかって、時間をかけて本当の自分の気持ちを見つけなきゃいけない時があるの。まだその時点で、その感情が何なのかさえもわからないんだけど。それが、『ブルーム』のツアーの後に私に起こったこと。意識を真っ新にしなきゃいけないと感じた。だから5~6か月、何も作らない日々が続いた。アレックスは作業を進めていたけど、私は「何もしたくない」というスタンスを貫いた。それを乗り越えた時に曲がまた書けるようになった。もう一生何も作れないんじゃないかな、って思う瞬間は私にもある。でも、何かをきっかけに雨が降りはじめ、乾いた泉がだんだん潤って行く。そして自分の新たな姿を発見するの。どのアルバムも私たちらしいけど、その“私たち”の定義は日々変わっていく。みんな変わっていく。だから、私たちの音楽も少しづつ変わり続けていくの。干ばつと洪水は、両方とも不可欠。何かを得るためには、“無”が必要ってことね。
−−ビーチ・ハウスとして10年以上の活動を経て、バンドとしての結束力も強まるばかりだと思いますが、アレックス以外の人と音楽を作ることは想像できますか?
ヴィクトリア:彼がいないビーチ・ハウスは想像できないし、彼がいなかったらビーチ・ハウスではない。彼も同じことを言うと思う…同じことを言ってくれることを願ってる(笑)。お互いに出会えて心からラッキーだと思ってる。コラボレーションは、私にとって…自分の人生、学問、トレーニング、演劇など様々な面から、人と一緒に何かを行うことには大きな意味があると感じてきた。何かを“創る”経験を人と分かち合うこと。それに誰かが支えになってくれていると思えるのは、すごく安心する。その人が自分の考えや反応をシェアしてくれるということ。アレックスの場合…彼と私の関係はとても特別なもので、言葉を介さなくても、お互い通じ合える。何かを演奏するだけで瞬時に分かり合うことができる。イライラしたり、思い通りにならないときもある。数えきれないほどのアイディアをまとめ、アルバムを作るのは、安易にできるようなことではないし、時間と忍耐が必要。だから言葉を超越した繋がりを持つ相手と一緒に挑めるのは、すごくラッキーね。彼なしのビーチ・ハウスは考えられない。
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ディプレッション・チェリー
2015/09/30 RELEASE
HSE-30500 ¥ 2,608(税込)
Disc01
- 01.Levitation
- 02.Sparks
- 03.Space Song
- 04.Beyond Love
- 05.10:37
- 06.PPP
- 07.Wildflower
- 08.Bluebird
- 09.Days of Candy
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