Special
VIVA! SERGIO!~セルジオ・メンデスの来日公演に寄せて
今年もセルメンさんのLIVEに行きま~す、中学の同期生たちと!
マッシュ・ケナ・ダ!!
▲ビルボード誌TOP LP's
66年12月10日付 7位に注目
from Mike's Library
ハーブ・アルパートとジェリー・モスのふたりが自分たちのファミリー・ネームの頭文字をとってA&Mレコードを設立したのは1962年のこと。アメリアッチ・サウンドを誕生させたハーブ・アルパートとティファナ・ブラスは同レーベル発で次々にヒット・ソング発表。日本でもキングレコードからレコード・リリースされるようになった。そんな60年代中期から後半にかけて、僕はローリング・ストーンズのファン・クラブを運営、毎週のようにキングに通っていた。
A&M第二のアーティストとして同レコードが大プッシュしたのがセルジオ・メンデスとブラジル’66だ。「セルメンをヨロシク」と、RSFCのスタッフたちにもプロモーション。彼らのシングル「マッシュ・ケ・ナダ」(最近は“マッシュ・ケ・ナーダ”と表記されているけど、50年近く前からの慣習はなかなかもどらない)は66年後半から67年初頭にかけてスマッシュ・ヒット。TBSラジオ“POPS BEST 10”67年1月8日付で最高位8位を記録した。
▲ビルボード誌HOT100
68年9月28日付 6位に注目
from Mike's Library
「マッシュ・ケ・ナダ」はブラジルのジョルジュ・ベンが63年に作詞作曲して自ら発表。国内で大ヒットとなったと伝えられた、いわゆるボサ・ノヴァの注目楽曲。60年代中期、わが国でもボサ・ノヴァはマニアックなファンの方々からは注目を集めていたそうだけど、アメリカン・ヒット・チューンやブリテッシュ・ビートに夢中になっていた僕ら10代には大人の音楽という認識が強かった。何たってミック・ジャガーが30才になったらロック界から引退すると公言していた時代。音楽の世界でも大人と若者がはっきり線引きされていた。そんなヤングに(懐かしい表現?!)ソフィストケイトされたアメリカンなボッサ・ロック・タッチなサウンドとして「マッシュ・ケ・ナダ」は若い洋楽ファンからも拍手喝采。ボサ・ロックという用語も生まれた。アメリカ以上に日本で好評だった(ビルボード誌HOT100での最高位は66年10月29日付&同年11月5日付の47位)。でも、アメリカではアルバムがベスト・セラー。1作目はビルボード誌TOP LP’s66年12月10日付で最高位7位、ゴールド・アルバムを記録した(50万枚セールス)。ビートルズ・カバー「デイ・トリッパー」も収録。
▲集英社から発刊されていた音楽雑誌
「ヤングミュージック」67年7月号
from Mike's Library
マイ・ライブラリーからウォーカー・ブラザーズ&ナンシー・シナトラ表紙の「ヤング ミュージック」67年7月号(巻末の方での2頁は“ファン・クラブ・ディスカッション”。朝妻一郎さん司会の座談会。RSFC会長として出席している。冷や汗)をひっぱり出してきて見てみると、【ビート ファンもシビレます キミたちのニューリズムはラテン・ロック】が5頁!もちろんセルジオ・メンデスとブラジル’66も写真入りで大きく紹介されている。
▲ビルボード誌TOP LP’s
69年1月11日付 3位に注目
from Mike's Library
ところでビートルズ・カバーといえば、アメリカで彼らの3枚目のゴールド・ディスクとなった68年作品集「フール・オン・ザ・ヒル」はずばりB4ソングから。LPからのファースト・シングルもアルバム・タイトル・ソング。シングル「フール・オン・ザ・ヒル」はHOT100で「恋のおもかげ」に続くTOP10チャート・イン・ナンバーとなり、HOT100では68年9月28日付で最高位6位を記録(TBSのPOPS BEST 10では68年12月22日付から3週3位)。アルバムの方はTOP LP’s69年1月11日付3位がベスト・ランク。
▲EP「仮面舞踏会/セルジオ・メンデスとブラジル‘66」 from Mike's Collection
TBSラジオ“POPS BEST 10”のランキング・データ・ブック(TBSラジオ版)をチェックしていくと、セルジオ・メンデスの同チャート・イン・ナンバーは全部で4曲。最後のヒット・シングルは「仮面舞踏会」、70年5月30日付20位。ちなみにその頃はEP、もしくは17㎝LP、またはコンパクト・ディスクと呼んでいた、33回転7インチレコード(ほとんどがA面2曲、B面2曲の計4曲入り)も人気があった。シングル=2曲/¥400。EP=4曲/¥600。シングルの方ではなくそのEP「仮面舞踏会/セルジオ・メンデスとブラジル‘66」(キングレコード/AMS9)、恥ずかしながら僕がライナーノーツを書いている…(冷や汗アゲイン)。
セルジオ・メンデスが初めて来日したのは64年、ブラジル’66結成前だった。66年に新たなグループをアメリカでスタートさせ、ハーブ・アルパートの肝いりで次々に素晴らしいアルバムを発表、ヒット・シングルも放った。そんなセルジオ・メンデスとブラジル’66最初の公演は68年3~4月。とってもエキサイティングでパーカッシヴな、そして何よりも煌びやかなステージングが印象的だった。70年、大阪万博の年、同会場ライヴ・レコーディングも敢行!「ライブアットEXPO’70」としてファンの前に登場したのだ。そして、71年から76年までは毎年の日本公演。72年からはグループ名をブラジル’77と変えた。3~4月にかけての全国各地でのLove Sounds22公演、最後は日本武道館。同年のコンサート・プログラムでは、大好きだったシカゴ生まれのジェラルディン・スティーヴンスがニュー・メンバーに加わったということもあってプロフィールを執筆させてもらっている。また、新聞記者さんやラジオ局のディレクター氏らとのセルメン座談会に…。アルバム「パイス・トロピカル」を発表した直後、そこでエリック・クラプトンの「アフター・ミッドナイト」を取り上げたこともあって、ロック・ファンも観に来て欲しいとかエラソウにいろいろ喋っている(3回目の冷や汗)。その公演は2度ほど足を運んだが、以前にましてよりプリミティヴ、また音楽界がダウン・トゥ・アースしていた時期でもあったということから、「アフター~」も含め、僕らジェシィ・デイヴィスやレオン・ラッセルを楽しんでいるファンからも72年セルメン・ライヴに拍手。Love Soundsだけどロックな雰囲気も漂うステージだった。
▲72年日本公演プログラム from Mike's Collection
協力:キョードー東京
セルジオ・メンデスは日本人アーティストともいろいろ交流があるのはよく知られている。何度かMCさせていただいたこともある、お元気な阿川泰子さん。昨年9月のBLTでのステージを楽しんだ。その日、セルジオ・プロデュースの88年LAレコーディング・アルバム「Ouro do Mnaus」からのナンバーが登場した。
3年前にはアルバム「ランデヴー」でジャパニーズ・シンガーたちと共演。素晴らしいコラボレーションを披露してくれた。ベンチャーズ同様、セルジオ・メンデスは日本に何回も何回もやってきている。ブラジル~アメリカ~ニッポンの懸け橋。リオ・オリンピック・イヤー、2016年日本公演、大いに盛り上がろう!
Viva!SERGIO!!
Mike Koshitani 越谷政義
音楽評論家。1960年代中期ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ結成。大学時代の69年から音楽雑誌やライナーノーツを執筆。その後は、DJ/MC/プロデュースなどでも幅広い活動を続けている。著書は「ローリング・ストーンズ大百科」「ワークス・オブ・エルヴィス」「ジャパニーズ・ロック・インタビュー集」ほか。毎週土曜アップ、読売プレミアム“Mike’s Boogie Station=音楽は最高=”大頑張っている!
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/list_ONGAKUHASAIKOU
公演情報
Sergio MendesBillboard Live Japan Tour 2016
ビルボードライブ東京:2016年3月7日(月)~8日(火)
>>公演詳細はこちら
ビルボードライブ大阪:2016年3月10日(木)
>>公演詳細はこちら
INFO: www.billboard-live.com
関連リンク
Text by Mike Koshitani
セルジオ・メンデス・ベスト
2014/06/25 RELEASE
UCCU-1429/30 ¥ 2,096(税込)
Disc01
- 01.マシュ・ケ・ナダ
- 02.恋のおもかげ
- 03.フール・オン・ザ・ヒル
- 04.コンスタント・レイン
- 05.アフター・サンライズ
- 06.イパネマの娘
- 07.ウィチタ・ラインマン
- 08.愛をもう一度
- 09.ヴィラムンド
- 10.ウォッチ・ホワット・ハプンズ
- 11.カエル
- 12.スカボロー・フェア
- 13.愛を求めて
- 14.ソ・ダンソ・サンバ
- 15.パイス・トロピカル
- 16.もう一度 (モノラル録音)
- 17.デサフィナード
- 18.ドック・オブ・ベイ
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