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“OUR SHINING STAR”― モーリス・ホワイト追悼特集
去る2016年2月3日。巨星が天国へと旅立った。アース・ウィンド&ファイアー(EW&F)のフロントマンであり創始者のモーリス・ホワイトだ。ソウルやファンク、そしてポップス界にも絶大な影響を及ぼした彼を、世界中が追悼した。各界から寄せられたメッセージはもちろん、先頃のグラミー賞授賞式で披露されたスティーヴィー・ワンダーとペンタトニックスによる追悼パフォーマンスなどでもおわかりのことだろう。ここでは、偉大な彼の足跡を追いながら、あらためてその功績を噛みしめてみたい。
TOP Photo: Hulton Archive
モーリス・ホワイトは、1941年にテネシー州メンフィスで生まれた。ティーンエイジャーでドラムを始め、17歳の時にシカゴへと転居。音楽学校に通いながら、ベティ・エヴェレットやエタ・ジェイムスなどのバックで演奏し始める。また、専属として働いていたチェス・レコードのミュージシャンで結成したジャズ・グループ、ザ・ファラオズにも参加。このように少しずつキャリアを重ねていった1966年、ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイスに出会い、彼のバンドに加わる。『Wade In The Water / ウェイド・イン・ザ・ウォーター』(1966年)や『Dancing In The Street / ダンシング・イン・ザ・ストリート』(1967年)といったアルバムで、ドラマーとして重要な役割を担った。また、『Another Voyage / 栄光への航海』(1969年)では、すでにその後のトレードマークとなるカリンバ(アフリカの親指ピアノ)も演奏している。
1969年にラムゼイのグループを離れたモーリスは、自身のリーダー・グループとなるソルティ・ペパーズを結成。2枚のシングルを残したが、モーリスはロサンゼルスに拠点を移す。そして、新たに結成したのがEW&Fだ。ワーナーと契約し、1971年に『Earth, Wind & Fire / デビュー』でデビュー。同年に2作目『The Need Of Love / 愛の伝道師』を発表するが、評価が高かった反面、いずれも大きなヒットにはつながらなかった。
1972年にコロムビアに移籍。『Last Days And Time / 地球最後の日』、『Head To The Sky / ヘッド・トゥ・ザ・スカイ』(1973年)、『Open Our Eyes / 太陽の化身』(1974年)とアルバムを重ねるごとに人気を高め、1975年にはシングル「Shining Star / シャイニング・スター」が、ビルボード・ホット100の首位を獲得する大ヒットを記録。この曲を含むアルバム『That's The Way Of The World / 暗黒への挑戦』はビルボードのアルバム・チャートで3週連続1位を獲得し、大ブレイクした。ここから彼らの大進撃が始まっていく。
以降の活躍ぶりは、もはや説明不要だろう。『Gratitude / 灼熱の狂宴』(1975年)、『Spirit / 魂』(1976年)、『All 'N All / 太陽神』(1977年)、『I AM / 黙示録』(1979年)といったいくつもの傑作アルバムをリリース。「Sing A Song / シング・ア・ソング」(1975年)、「Getaway / ゲッタウェイ」(1976年)、「Fantasy / 宇宙のファンタジー」(1977年)、「September / セプテンバー」(1978年)、「Boogie Wonderland / ブギー・ワンダーランド」(1978年)、「After The Love Has Gone / アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」(1979年)といった大ヒット・ナンバーを次から次へと送り出した。
モーリスのバリトン・ヴォイスに絡むフィリップ・ベイリーのファルセット、フェニクス・ホーンズと呼ばれるホーン・セクションを含めた大所帯のバンドによる華やかなファンク・サウンド、そして独自の宇宙観をテーマにしたスケールの大きなコンセプトなど、なにもかもが規格外で、当時のファンクやディスコのグループやシンガーのなかでもひときわ異彩を放っていた。そして、彼らが放つポジティヴでパワフルなメッセージは、世界中の人々を勇気付けたのだ。
EW&Fの成功に飽きたらず、モーリスはカリンバ・プロダクションを立ち上げ、様々なアーティストのプロデュースも行った。恩師でもあるラムゼイ・ルイスを筆頭に、ザ・エモーションズやデニス・ウィリアムスをスターダムに押し上げたことも重要だ。また、ウェザー・リポートやバリー・マニロウとのコラボレーションも行っている。ジャズからポップスまでをカヴァーできるモーリスのセンスは、ヒット・プロデューサーとしても独自の地位を築いていった。
しかし、EW&Fとしては、1980年に2枚組の大作アルバム『Faces / フェイセス』を発表した頃から徐々にパワーダウン。『Raise! / 天空の女神』(1981年)、『Powerlight / 創世記』(1983年)はヒットしたが、ホーン・セクションを外してシンセを多用した『Electric Universe / エレクトリック・ユニヴァース』(1983年)で大胆に路線変更を行うことで、人気が低迷してしまう。また、フィリップ・ベイリーがソロ活動で成功を収めたこともあり、EW&Fの黄金期は完全に終息してしまった。
フィリップの成功に刺激を受けたのか、モーリスは1985年に初のソロ・アルバム『Maurice White』を発表。この中からバラードの名曲「I Need You / アイ・ニード・ユー」が大ヒットする。しかし、ソロ活動は本作のみで、結局2作目を作ることはなかった。1987年にはアルバム『Touch The World / タッチ・ザ・ワールド』で、EW&Fとしての活動を再開。『Heritage / ヘリテッジ』(1990年)、『Millennium / 千年伝説』(1993年)と力作を発表するが大きなヒットには至らなかった。そして、モーリスは徐々にツアーにも参加しなくなり、実質ミュージシャン活動はほぼ引退状態となってしまう。この頃から病魔が彼を襲っていたのだろう。地道にジェイムス・イングラムやアーバン・ナイツなどのプロデュース活動を行いながら、EW&Fに関してはフィリップ・ベイリーに実権を渡している。
90年代以降はほぼ表舞台に立つことが無くなったモーリスだが、彼の評価は落ちること無く上がる一方だ。EW&Fでの成功は多くのアーティストたちに影響を与え、フォロワーたちを多数生み出してきた。我が国でいえば、DREAMS COME TRUEが顕著な例で、中村正人は「モーリスがいなければドリカムは存在しなかった」とまで公言している。もう一度、第一線で活躍して欲しいというファンの願いは届かなかったが、モーリス・ホワイトの残した軌跡は永遠に輝き続け、色褪せることはないだろう。まさに彼こそが「シャイニング・スター」なのだ。
Photo: Redferns
ベリー・ベスト・オブ・EW&F
2015/12/23 RELEASE
SICP-4691 ¥ 1,100(税込)
Disc01
- 01.セプテンバー
- 02.レッツ・グルーヴ
- 03.ゲッタウェイ
- 04.宇宙のファンタジー
- 05.シャイニング・スター
- 06.石の刻印
- 07.キャント・ハイド・ラヴ
- 08.ハッピー・フィーリン
- 09.アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン
- 10.シング・ア・ソング
- 11.リーズンズ
- 12.ラヴ・ゴーズ・オン
- 13.宇宙よりの使者
- 14.ブラジルの余韻 (Re-Edited by ダニー・クリヴィット)
- 15.明日への讃歌
- 16.ブギー・ワンダーランド feat.エモーションズ
- 17.ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ
- 18.アイ・ニード・ユー
- 19.メガミックス (Radio Edit)
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