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ボン・イヴェール 初来日記念特集~USインディー界の良心のこれまでの軌跡を辿る
昨年、自身が主宰した音楽フェス【Eaux Claires】で約3年ぶりのライブを行い、ファンを驚かせたBon Iver。フェスでは、新曲2曲を初披露し、プロジェクト再始動、新作リリースへの期待が高まったものの、中心人物のJustin Vernonによるこれまでの発言からは真意を汲み取ることができず、逆にファンをやきもきさせる結果に。ところが、事態は一変。なんの前触れもなく昨年の秋「来年初頭にアジアに行くことになった!今までアジアには行ったことないから、行くんだ。みんな来てくれよ!」というメッセージとともに、初のジャパン・ツアーとアジア・ツアーが発表となった。いよいよ1か月後に迫った、超待望の初来日ツアーに思いを馳せながら、“ボンちゃん”の愛称でも知られるUSインディー界の良心=Bon Iverの誕生からJustin Vernonの多岐にわたる音楽活動を振り返ってみた。
▲ Mount Vernon Live & Interview from 1999
1981年に米ウィスコンシン州オークレアに生まれ、幼少期からピアノとギターを学び、中学時代から既にバンド活動を行っていたJustin Vernon。当時通っていたジャズ・キャンプで知り合った地元の友人たち(メンバーの中にはMegafaunのBradとPhil Cookも)と結成した大編成バンド、Mount Vernonにはじまり、2002年にはBradやPhil CookらとともにDeYarmond Edisonを結成。フォークやアメリカーナに傾倒したレイドバックなサウンドが受け、地元で人気を博すと、さらなる挑戦と刺激を求め、バンドはフォークやブルーグラスにおいて長い歴史を誇るノースキャロライナ州ローリーへ。この頃Justinは、ソロ名義でもアルバムを何枚か発表しており、2006年に発表した『Hazeltons』収録の「Hazelton」は、Bon Iverで突き詰めたスタイルの原型とも言える楽曲になっている。ところが拠点を移し、しばらくするとメンバー間で確執が生まれ、音楽性の違いを理由に、2枚のアルバムと1枚のEPを残し、DeYarmond Edisonは惜しくも解散。不幸は重なり、当時つきあっていた彼女と別れたJustinは、風邪をこじらせ単核症を患い、地元オークレアへと傷心のまま戻ることとなる。
打ちひしがれたJustinは、父親が30年ほど前に購入した実家から約1時間ほどの巨大な敷地に位置する山小屋に腰を据え、隠遁的な生活を送りながら、4トラックとアコースティック・ギターを用いて曲作りに没頭し始める。アイディアが湧きだすと、エレキ・ギターやProToolsなどを持ち込み、本格的にレコーディングを行うとともに、自身のヴォーカル・レンジや質感で実験を重ねるうちに、あの天にも昇るような神々しいファルセットを導き出す。そして2006年冬から2007年2月にかけて作り上げた楽曲が、ボン・イヴェール(フランス語で“いい冬”を意味する“bon hiver”からとられた)としてのデビュー・アルバム『For Emma, Forever Ago』となる。タイトルの“Emma”は、Justinの初恋の相手で、Mount Vernon時代にサックスやヴォーカルを担当していたSara Emma Jensenにちなんだもの。
レコーディングを経て、徐々に平常心を取り戻し始めたJustinは、The Rosebudsのツアーに参加。メンバーに後押しされ行った【SXSW】などでのソロ・ライブで脚光を浴びると、『For Emma, Forever Ago』を自主リリース。10年近く活動を共にしてきた仲間との決別、失恋、目的を失った絶望感と虚無感が織り交ぜられた深い憂愁の中に秘められたパワー、厳かでありながらも温もりあるサウンドメイクに加え、Justinのこの世のものとは思えないほど甘美なファルセットをPitchforkをはじめとする音楽メディアがこぞって絶賛。晴れてアルバムは、2008年2月に<Jagjaguwar>から正式リリースされ、米ビルボード・インディー・アルバム・チャートで4位、ロック・アルバム・チャートでは20位を記録する快挙となった。ライブには、マルチ・インストゥルメンタリストのS. Carey(上のセッション動画ではJustinと息をのむような演奏を披露)、現在Hiss Golden Messengerのドラマーとしても活躍するMatthew McCaughan、Mike Noyceが加わり、【グラストンベリー】、【プリマヴェーラ】、【ピッチフォーク】など各国の音楽フェスへ出演し、ライブ・バンドとしても圧倒的な存在感を放つ。翌年には、アルバムに収録されなかった4曲をコンパイルしたEP『Blood Bank』を発表、米ビルボード・インディー・アルバム・チャートで1位を獲得した。
▲ 「Flume」 (Live on 89.3 The Current)
自分のルーツを忘れないために、と左の鎖骨辺りにウィスコンシン州のタトゥーを入れ、「この街を隅々まで知り尽くしたいんだ。色々な都市を旅して、その一部のみを知るより。」と発言するほど、地元を溺愛しているJustin。2008年には、弟(Justinのマネージャーでもある)や地元の音楽仲間らとこの“世界で一番落ち着く地”にレコーディング・スタジオ“April Base”を設立。生まれ育った実家のすぐそばの動物病院を改装したこのスペースは、地元のミュージシャンをはじめ、アーティスト・コミュニティのハブとなっており、数年前公開されたJustinが地元を紹介する映像では、「自分が駆け出しの頃に、こんなスペースがあったら良かったのに。」とも話している。
この“April Base”で生まれたのが、2010年代のUSインディー・ロックを代表する傑作、Bon Iverの2ndアルバム『Bon Iver, Bon Iver』だ。これまで模索していた自身のソングライティング・スタイルにおいて、前作で手ごたえを得たJustinは、今作でよりアレンジメントやプロダクション面を突き進め、Mount Vernon時代に培ったバンド・リーダーとしての才能を発揮。ライブ参加メンバーに加え、Tom WaitsやArcade Fireの作品への参加で知られる若手実力派サックス奏者のColin Stetson、NYを拠点に活動する室内楽団yMusicのRob Mooseらの気鋭プレーヤーたちによる美しく、ダイナミックなアンサンブルを巧みに手びきすることで、アルバム全編で織り成される叙情的なメロディーと神秘的なヴォーカルをエモーショナルなものへ昇華させている。そしてファンやメディアの期待が最高潮に達した2011年6月にリリースされると、初動10万枚を売り上げ米ビルボード・アルバム・チャートで2位を記録、イギリスをはじめとするヨーロッパ各国でも大ヒットとなる。
アルバムが高評価を得る中、ウィスコンシン州出身の素朴な青年Justin率いるBon Iverにとって音楽業界との関係は、やや複雑なものだったと言っても過言ではないだろう。バンドにとって、メディア露出がピークに達したのが、主要3部門を含む4部門にノミネートされた【第54回グラミー賞】開催時。長年のファンや音楽メディアが、まず首を傾げたのが、新人賞へのノミネート。おそらく『Bon Iver, Bon Iver』でメインストリームにおいて大ブレイクしたという理由なのだろうが、2007年から活動している彼らが“いまさら新人ではないよね?”という疑問の声が多数上がった。そして授賞式への日程が近づく中、演奏を打診されたものの、それが他のアーティストとのコラボで、自分たちの曲を演奏出来なかったために、アーティストとしての断固たるスタンスを貫くためにパフォーマーとして出演することを拒否。この際にJustinは「ロックンロールは、スーツを着た連中によって指図されるものじゃない。」という名言を放っている。
にも関わらず【グラミー賞】(この日はビシッとスーツ着用)では、新人賞を含む2つの賞を見事に受賞。同年、新人賞にはSkrillex、Nicki Minaj、J. Coleらがノミネートされており、さほど周知されていなかったヘンテコなバンド名の身長190cm近くある大男の受賞に、一般音楽リスナーは戸惑いを隠せず、授賞式直後クマにJustinの顔をはめ込んだ画像とともに“Bonny Bear(ボニー・ベア)って誰よ?”と書かれたツイートがTwitter上を駆け巡り、パロディ・アカウントやmemeが続出。同月に放映された米人気バラエティ・ショー『SNL』では、Justin Timberlakeにパロディされるまでの存在となり、思い掛けない形でポップ・カルチャー史にその名を刻むこととなった。
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公演情報
Hostess Club PresentsBon Iver
東京:2016年02月29日(月) 新木場スタジオコースト
大阪:2016年03月02日(水) ZEPP NAMBA
INFO: Hostess Club
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