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トゥライ『ブラックボックス』インタビュー
初音ミクと巡音ルカ(MEGURINE LUKA)を用いて発表した「magnet」が、数ヶ月で100万回以上の再生回数を記録し、2010年のJOYSOUNDカラオケ年間総合ランキングで4位獲得。しかし早々にボーカロイドのシーンから離れた彼は、生身の人間のサウンドプロデュースに傾倒していき、2015年、とうとうこれまで隠していた顔も露わにし、自身の胸の内を爆発させるシンガーソングライティングなアルバムを完成させたトゥライ。その変遷を辿るロングインタビュー、ここに解禁。
だから「magnet」以降、ボーカロイドの曲は作っていないんです
--トゥライとは何者なのか? ご新規さんに一言で伝えるのは難しいので、このインタビューを通して伝えられたらと思うんですが、ご自身ではトゥライをどんなアーティストだなと感じていますか?
※トゥライ メジャーデビューアルバム 『ブラックボックス』 クロスフェード【OFFICIAL】
--それまでは「これが自分だ!」と言い切れないコンプレックスがあったと。
トゥライ:ありましたね。曲を作るにしても、歌をうたうにしても、隣の芝生は……的な話かもしれないんですけど、「あの人はあれが優れていていいな」とか「それに比べて自分はこういうところがダメだからな」とか思ってて。どれをやってても「足りないな」って悩んでいた時期もあって。何かひとつ飛びぬけたものが欲しいとずっと思っていましたね。--元々はボーカリストではなく、ボーカロイドで曲を作っていた訳ですが、そもそも音楽の世界に傾倒していったきっかけ、そして経緯を教えてもらえますか?
トゥライ:元々ピアノをやったり、吹奏楽をやったり、楽器はやっていたんですけど、それは専門的にやっていた訳ではなく、町のピアノ教室みたいなところや学校の部活レベルで。で、19ぐらいかな? 学生の頃に作曲をしている友達に出逢って、その人に「おまえもやってみれば出来るんじゃない?」って言われて、「自分に作曲なんて出来るのかな?」って思いながらやってみたら出来て(笑)。それでちゃんと作曲をやり始めたのが二十歳過ぎてからだったんで、バンドをやっている人とかに比べたらスタートは遅かったかもしれないです。--最初はどんな曲を作ってたんでしょう?
トゥライ:MIDIみたいなものと繋げて作ったりとか、その時期はソフト音源みたいなものがだんだん広まってきていたので、PCひとつで曲が作れるようになってて。それが分かってから本格的にやり始めた感じです。だから最初は「着メロか!」っていうぐらいのクオリティのものしか出来なかったんですけど、4和音ぐらいの(笑)。--でもそれでどんどん曲作りにのめり込んでいった?
トゥライ:もっと練習して作り込んでいけば、もっとちゃんとしたものが出来る気がすると思って、いろんなものを聴いたりして。元々耳コピが得意だったんで、中学ぐらいの頃にケータイで着メロを作っていたりしていたんですけど、それを応用しつつ「今、J-POPってどういう構成で作られてるんだろう?」って意識して音楽を聴きながら、「じゃあ、自分はこう作ろう」っていう作業を積み重ねていったら、なんとなくちゃんとしたものが作れるようになったんです。--元々どんな音楽を聴いていたんですか?
トゥライ:バリバリJ-POP。変わったものとかオシャレなものはそんなに聴いてなくて、いわゆる大衆的な音楽を聴いていて。それでだんだんアニソンが好きになっていったんですけど、日本的なメロディーであればわりと何でも好きになる傾向はありましたね。だから洋楽はあんまり聴かなくて。リズムで聴かせます、トラックで聴かせますっていう感じのものよりは、メロディーがしっかりしているものが好き。--幼少期からピアノに親しみ、吹奏楽部にも所属し、歌もうたえるし、作詞作曲も出来るし、絶対音感も持っていると伺っているんですが、音楽家としての道がいくらでも考えられた中で、まず動画サイトでの音楽活動、ボーカロイドに手を出したのは何故だったんですか?
トゥライ:それまでちゃんとした形で、自分ひとりで作ったものを世に出したことがなかったんですけど、動画サイトってコメント付いたりするじゃないですか。匿名性が高いから結構率直な意見を言ってもらえる。それが面白そうだなと思ったのと、単純にそのときちょうどボーカロイドがムーヴメントになってきていた時期だったので、新しいもの好きとしては「面白そうじゃん!」と思ってミーハーな感じでやってみたっていう。--そしたら、minato名義で、初音ミクと巡音ルカ(MEGURINE LUKA)を用いて発表した「magnet」が、数ヶ月で100万回以上の再生回数を記録し、2010年のJOYSOUNDカラオケ年間総合ランキングで4位獲得。あの状況にはどんなことを思ったり感じたりしてました?
トゥライ:いろいろ「凄いな」「嬉しいな」とは思いつつ、曲を作るとか、音楽をやることに付随した別のモノがすごく増えてきて。それがだんだんしんどくなってきた時期でもあったんで……--具体的に言うと?
トゥライ:例えば、お仕事的な話を頂く機会も増えたりして、それのメールの返信ひとつにしても、先方と打合せをするにしても、そういう全然音楽じゃないものをやることが結構大変で。でも仕事となるといろんな人と会いながら進めなきゃいけないじゃないですか。そうなると気遣う部分もたくさん出てきて……--それまでは自分が「良いな」「面白いな」と思うものを純粋にネットで発信していただけなのに、いきなり仕事としてのオファーが増えてきて困惑したというか。
トゥライ:そうですね。それで「仕事はちゃんとやりたい」っていう気持ちは強くあったんですけど、それがちゃんと出来るか不安でもあって。そのときにネットに歌も公開したりしてて、アマチュアライブみたいなものもやろうとしていたりとか、いろんなことが重なったんですよね。それを全部並行してやっていたから「パンクしそうだな」ってずっと思ってて、その中で自分の満足がいく仕事を出来ないときがあったんですよ。それをきっかけに「これはこのままやってちゃダメだな」っていう風に思って、一度ネット断ちじゃないですけど、そのシーンから離れたんです。--当時のボーカロイドやネットを中心とした音楽のシーンは、どんな風に見ていたんですか?
トゥライ:こんなにいろいろ大きくなっていくものなんだってビックリしていました。あの時期にボーカロイドで曲を作っていたということは、僕もその渦中にいたはずなんですけど、ちょっと他人事のように見ていて。「わぁ、すごいな~」ぐらいにしか思っていなかったんです。「magnet」という曲をきっかけにいろんな人とバァ~って会うようになって、「このムーヴメントはもっと大きくなっていくんだろうな」って思いながらも、そのムーヴメントと一緒にやっていくヴィジョンがあんまり持てなかったんですよね、正直。ボーカロイドはキャラクターありきのものだと思っていて、そのキャラクターが歌っているから面白い、人間が歌っていないから面白いもの。でもそれを続けていくと早々にネタが切れるなと思ったんですよね、自分の中の引き出し的には。だから「magnet」以降、ボーカロイドの曲は作っていないんです。--そんなトゥライさんから見て、近年のボーカロイドシーンにはどんな印象を持たれていますか?
※BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU「ray」
--当初は、聴かない人は全く聴かない、売れても局地的な人気の集め方になるシーンだったと思うんですが、近年はBUMP OF CHICKENが初音ミクとコラボしたり、米津玄師がロックシーンでの大ブレイクを果たしたり、状況はかなり変わってきましたよね。
トゥライ:知る人ぞ知るものだったものが今は誰でも知っている。あと、中高生がひとつのジャンルとして聴いてるっていう話を知ったときも不思議な感覚になりました。ボーカロイドと一重に言ってもいろんなジャンルの音楽をみんなで作ってると思うんですけど、そのボーカロイドがひとつのジャンルとして聴かれるようになるとは思いませんでしたね。- < Prev
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Interviewer:平賀哲雄
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