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ジ・オーディナリー・ボーイズ待望の新作が遂に完成! 解散~再結成までの道のりをプレストンが語るインタビュー
王道ブリティッシュ・ロック、モッズやスカの魂を受け継ぐ正統派ロック・バンドとして、2004年に『オーヴァー・ザ・カウンター・カルチャー』で鮮烈なデビューを飾ったジ・オーディナリー・ボーイズ。その音楽性は、ポール・ウェラー、テリー・ホールやあの辛口のモリッシーからも評価され、ここ日本でも大きな話題に。
2005年には2ndアルバム『ブラスバウンド』を発表。翌年フロントマンのプレストンがリアリティTV番組『Big Brother』に出演したことでイギリスでのバンドの認知度が一気に上昇したが、プレストンが番組の共演者と結婚&わずか1年で離婚したことで、思わしくない注目を浴びることとなる。同年、3rdアルバム『テン・イージー・ステップス』をリリースするものの、当時絶大な人気を誇っていたクラクソンズ、ホット・チップやCSSなどのニュー・レイヴ/ダンス・ロックの勢いに押され、全英アルバム・チャート15位に留まり、バンドは2008年に解散。
その後、プレストンはポップ・シンガーソングライターとしての才能を開花させると、オリー・マーズの全英No.1シングル「Heart Skips A Beat」を手掛け、現在ではカイリー・ミノーグ、エグザンプル、ジョン・ニューマンなどへ曲を提供している。
2011年にはジ・オーディナリー・ボーイズを一時的に復活させ、UKツアーを決行。2014年にオリジナル・メンバーのジェイムス・グレゴリー、チャーリー・スタンリーに、スぺクトラルズのルイ・ジョーンズを迎え、本格的にバンド活動を再開。同年8月と11月に再びUKツアーを行い、ニュー・アルバムの制作をスタートさせる。今回のインタビューでは、2009年にリリースされるはずだったソロ・アルバムからソングライターへの転身、そして実に9年ぶりとなるジ・オーディナリー・ボーイズの新作が完成するまでの道のりをプレストンにじっくりと語ってもらった。
自分には音楽以外の取り柄がないことに気づいて、とにかく曲を書き続けた
――まず、オーディナリー・ボーイズ解散後からのプレストンの活動について伺いたいのですが、2009年のソロ・アルバム『Whatever, Forever』は、結局リリースされませんでしたよね。
サミュエル・プレストン:うん(苦笑)。その頃、何年間かアメリカのフィラデルフィアで暮らしてて…。
――小さい頃にも住んでたそうですね。
プレストン:そうなんだ。色々あって、音楽業界と距離を置きたくて、またフィラデルフィアへ戻った。当時、ピート・シェリーのソロ作をよく聴いてて、だんだんエレクトロニック・ミュージックにはまっていった。まぁ、バンドにいた頃から、既にそういった音楽の影響は受けていたけど。
――確かに、オーディナリー・ボーイズの3rdアルバムはエレクトロニック/ダンス・ミュージックの要素が少なからずあったと思います。
プレストン:うんうん。で、イギリスに戻った時に、ソロ・アルバムを作リ始めて、完成したんだけど、エレクトロニック・ミュージックを作るのは、我ながら下手くそだな、っていうのに気づいて…(笑)。そういう音楽は好きなんだけど、自分で作るとなると、また別の話でしょ?
――ですね(笑)。
プレストン:3rdアルバムの時も少しプロダクションに携わっていて、その当時やソロ・アルバムを制作していた時に学んだテクニックは、今のポップ・シンガーソングライターの仕事にも活かされているから、すべてが時間の無駄だったとは思わない。それに、その時にリリースした収録曲(「Dressed to Kill」)は、シェールにカヴァーされたからね。近いうちに、アルバムをフルで配信できたら、とは思ってるよ。実は、今でも少しノスタルジックな気分になった時に聴いてるんだ。自分で言うのもあれだけど、不思議な作品だった。オーディナリー・ボーイズの3rdアルバムに関しても同じことが言えるね。なんだか、ビートがすごくギクシャクしてて…。
▲ 「Heart Skips A Beat ft. Rizzle Kicks」 / Olly Murs MV
――あのアルバムを制作していた当時に流行っていたクラクソンズなどのニュー・レイヴ的なダンス・サウンドは意識していたんですか?
プレストン:いや、ザ・ラプチャーとか<DFAレコーズ>関連のダンス・ロックなんかは聴いてたけど、ニューレイヴは特に意識していなかったかな。
――わかりました。その頃から徐々に他のアーティストへ曲を提供するようになりましたが、曲は書き続けたいけど、もう表舞台には出たくないという葛藤もあったのでは?
プレストン:それは、もちろんあった。表舞台にはまったく出たくなかったけど、生活していくためには仕事をしないといけない。けれど、普通の仕事には向いてない。自分には音楽以外の取り柄がないことに気づいて、とにかく曲を書き続けた。自分ため、他のアーティストのため、もしかしたらバンドのためとか、特に考えずに。
――ソングライティングの面では、実りが多かった時期なんですね。
プレストン:そうだね。アメリカから戻ってきた直後は、1日1曲のペースで曲を書いていたから。そしたら、「Heart Skips A Beat」がオリー・マーズのシングルとしてリリースされることになって、全英シングル・チャート1位になった。その時のコネクションからジョン・ニューマンとも曲を書くようになって、その世界へ足を踏み入れていったんだ。
――目に見える結果も出て、ソングライターとして、さらに自信がついたと思います。
プレストン:もちろんだよ。僕が書いた、とかそういうのは関係なく、曲が気に入って買ってくれているから。曲自体の真価が問われるわけで、その理由でリスナーに受け入れられると嬉しいよね。その感覚は今まで感じたことがなくて、すごく新鮮だった。
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僕が妙なアイディアを押し通そうとしても、
面と向かってフランクに意見を述べてくれる唯一のメンバーだった
――解散後、初めてオーディナリー・ボーイズとして活動したのは2011年のツアーでしたが、これはどんな経緯でやることになったのですか?
プレストン:あのツアーのラインアップは意味不明だった~(笑)、オリジナル・メンバーが1人もいなかったし。単純に楽しそうだからやってみようと、ある日思ったのが発端。この時から、バンド関連でやろうと思ったことは、僕が楽しいんじゃないか、って思ってやっていることばかり(笑)。まだバンドにファンがいるか、っていうのもちょっと興味があったし。いずれアルバムをリリースしたとして、誰も買わないんだったら、意味ないし。ところが、すごく反響が良くて驚いたし、ツアー自体も楽しかった。その時は、当時の僕のフラットメイトと昔のドラマーの従弟とやったんだけど、ちゃんと活動を再開するんだったら昔のメンバーが必要だ、ってことにツアーを経て、気づかさせられた。やっぱり実際に曲を演奏してみると、他人じゃダメなんだ、って。
――それにバンドとソロは別物ですもんね。それまでの数年間、1人で曲作りを行っていたこともあって、ライブであれ、曲作りであれ、バンドとして活動するのが刺激的だったんでしょうね。
プレストン:朝から夜中までスタジオで過ごして、一日誰にも会わないぐらいのめり込んでいた時期もあったからね。まるでマッド・サイエンティストのように(笑)。だから、久しぶりにライブをやったら、余計に昔のメンバーのことを恋しく感じた、っていうのはあると思う。特に結成当初ドラムを務めていたチャーリー。彼とは8年近く話していなかった。家族がいて、コーンウォールでヴェニューを運営していて、とてもハッピーだ、っていうのは聞いていて、彼と話すきっかけを作りたいと思って、「また一緒に音楽やらない?」って連絡したんだ。なんて言われるかわからなくて、正直怖かった。彼とは結構ドラマチックな別れ方をしたから。チャーリーって日本に行ったことあったっけ?
――確か、最初の2回ぐらいは来ていたと思いますが…。
プレストン:だね。殴られた後で、目の周りが黒くて、鼻を骨折してたこともあったはず。翌朝、日本へ行く日で、メンバー全員ロンドンのホテルに泊まってた。僕は既に夜10時半頃に寝てたんだけど、朝6時ごろに病院から電話がかかってきて…。チャーリーは誰かのライブを観に行ったらしいんだけど、ウィスキーを飲みまくって、ベロンベロンに酔っぱらって、ステージに上がって騒いでたら、シンバル・スタンドで殴られて、病院に運ばれてたんだ。で、病衣のまま、ホテルまで歩いて帰ってきたっていう。
彼のことは大好きだったけど、そういうちょっとした“事件”が多々あったから、少しバンドから離れて、頭冷やせ、って言ったんだ。一応本人も理解してくれて、結局そのまま脱退したんだけど、彼がいなくなってから、バンドにとってどれほど大きな存在だったのがやっと理解できた。ドラマーとしての才能はもちろんだけど、僕が妙なアイディアを押し通そうとしても、面と向かってフランクに意見を述べてくれる唯一のメンバーだったから。2ndや3rdを制作した時は、そういう存在がいなかったから、彼のような人間が必要だ、と思った部分もあったし。新作でも、そういった面では大きな影響を与えてる。「このフォント、イマイチじゃない?」とかわざわざグループメールしてきたりもするし。
――なるほど。では、ジェイムスは?
プレストン:彼は今映画やTV関係のサウンドの仕事をしていて、その道で成功しているから、きっと参加してくれないだろう、って諦めてたけど、快諾してくれた。まるで、映画『ザ・マペッツ』の冒頭みたいだったよ。バラバラになったメンバー1人、1人に声をかけて、昔の仲間を再び集めていく、って具合で。ただウィルは、どうしても無理だったんだ。今ガーディアン紙のライターをやってるんだけど、仕事が忙しくて…。
そして、ルイに出会った。スぺクトラルズの中心人物で、彼らのデビュー作は最高!昔、僕らはザ・クリブスとよくツアーしてて、彼らとは今も仲が良くて、連絡を取り合ってる。で、僕がたまたま観にいったザ・クリブスのショーのサポート・アクトを務めたのがスぺクトラルズなんだ。ライブの後、ルイが僕の家に泊まることになって、その時に色々話したら、共通点が多いことがわかって、ダメ元で「一緒にやらない?」って聞いてみたら、「いいよ。」って言ってくれた。そこで、4人で集まって、話し合って、またやってみようってことになった。
――ルイは、チャーリーとジェイムスの2人ともすぐに意気投合したのですか?
プレストン:そうだね。僕とチャーリーとジェイムスは、ガキの頃から親友だし、特にバンドをやってると、身内だけのジョークだったり、むしろ喋らなくても意思の疎通がはかれたりするじゃん?それにも関わらず、ルイは難なく、メンバーの一員になった。すごくアメイジングなケミストリーで、3人は僕の大親友だ、って胸を張って言えるね。で、ツアーをすることになって、それも順調に進んで、ツアーの途中で新曲を作り始めた。今イギリスはバンドの再結成ブームで、カムバックをすごく大がかりにプロモーションするのが流行ってるんだけど…そういったハイプに便乗するのは嫌だった。
――ザ・リバティーンズとかまさにそうですよね…。
プレストン:僕らは、純粋に新しく作った音楽を聴いてもらいたいだけだから。それに、僕らはザ・リバティーンズより大分若いからね(笑)!バンドの中で、30歳過ぎてるのは僕だけで、みんなの父親みたいな存在なんだ。だから、今回の再結成はノスタルジアとかそういうのとはあまり関係ない。今後も、時間が許す限り、アルバムを作ってリリースしていきたいと思ってるし。
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元々オーディナリー・ボーイズで僕が目指していた
音楽へ対する想いが、徐々に蘇ってきた
――ツアーだけではなく、4人で新たに曲を書いてみるきっかけとなったのは?
プレストン:ルイの影響が大きいね。お互いオーディナリー・ボーイズのデビュー作の気に入ってるポイントが全く一緒なんだ。僕はハードコア、ポップ・パンクとかアメリカの音楽を聴いて育って、16歳か17歳でフィラデルフィアに行った時に初めてオアシスなんかのアメリカナイズされたイギリスの音楽に出会った。当時の友達は、アメリカン・ナイトメアとかハードコア系のバンドに所属していたやつが多くて、オアシスを聴いたり、モッズ風の髪型をしてたんだけど、すべてアメリカナイズされたイギリスのイメージって感じだったんだ。
そんなことはすっかり忘れてて、ルイとアメリカの音楽を聴いていて…僕より少し若いからブリンク182みたいなポップ・パンクとか<Run For Cover Records>所属アーティストとかが好きなんだけど、「こういうリフにオアシスぽいヴォーカルをのせてみたら?」とか、「ブリットポップをもっとアメリカ風にしたらどうなるだろう?」とか話がだんだん盛り上がって、元々オーディナリー・ボーイズで僕が目指していた音楽への想いが、徐々に蘇ってきた。そこから新曲がどんどん生まれていったんだ。
――もちろん原点回帰的な要素もありますが、それだけではなく、当時感じていたの音楽へ対するピュアな情熱もアルバム全体から伝わってきます。
プレストン:うん。どんな人生を辿っているとしても、昔好きだったものを回顧する時期ってあると思うんだ。僕の場合、エレクトニック・ミュージックにハマって、DJしてた時期もあるけど、30歳になって、15歳ぐらいの頃に音楽が好きになるきっかけとなったバンドやアルバムをまた聴きたいと思い始めた。そして10年近く連絡を取っていなかった3人の親友が再会し、新たな仲間とともに、青春時代に聴いていた音楽を通じて、また一つになったという感じなんだ。
――不思議なもので、音楽の好みって年々変化するけれど、のめり込み始めた時に聴いていたものって、鮮明に憶えているものですよね。
プレストン:自分の人生の一部になっているからね。むしろ、自分の人生の一部だから今でも記憶に残っているんだと思う。それに、どんなに音楽の好みが変わっても、一番最初に聴いていたものに結局は根付いているから。何か嫌なことがあって、気分をアゲルために、マイナー・スレットみたいなヘヴィーな音楽を聴く人もいるだろうし、ブラームスを聴く人もいる。ブラック・メタルを聴く人だっている。音楽って不思議だよね、同じ音楽でも人によって繋がり方が全く違うから。
――では話をアルバムに戻して…アルバムの中で一番最初に書いた曲は先行トラックの「Awkward」ですか?
プレストン:いや、「About Tonight」だよ。アルバムの中でひときわいい曲ってわけじゃないけど、オープニングを飾るのに相応しい曲だと思う。一番最初にみんなで演奏した時に感じた興奮を巧く捉えてる曲だから。
この1年間すごく充実してた。今こうやって話してみて、色々な記憶が蘇ってきているけど、このアルバムのレコーディングは本当に楽しかった。みんな住んでるところがバラバラだから、僕のロンドンのフラットでしばらく共同生活をしていたんだけど、練習が終わったらみんなでビールを飲みに行ったりもして。普通だったら、僕の歳で親友とスリープオーヴァーしたりする機会なんて絶対ないから、ラッキーだと思ってる。
ツアーをしたいと思うのも、それが理由のひとつなんだ。口に出して言うのが照れくさいけど…。ツアー中はずっと一緒にいなきゃいけない。だから半ば強制的に自分とハングアウトさせることができる!逃げ場もないしね(笑)。でも、そういう時間を持てることは、僕の人生にすごくポジティヴな影響を及ぼしてくれてる。
――そしてプレストンに加え、ルイがヴォーカルを担当しているのも、今作の注目ポイントでもありますよね。
プレストン:ルイは素晴らしいシンガーだから、彼にも歌ってもらわなきゃ、って思ったんだ。2人の歌声の相性も抜群だし。ホット・ウォーター・ミュージックとか僕らの好きな90年代のエモ・バンドのヴォーカル・スタイルを取り入れてるとも言えるね。
――今話してくれたエモなどの影響もあると思うのですが、これまでの作品以上にシングアロングの要素が強まっていて、詞が流れるように耳に入ってくるのも印象的でした。
プレストン:そう言ってくれて嬉しいよ。当時ロンドンで一番規模の大きいギグをプレイした後に、(プロデューサーの)スティーヴン・ストリートがやってきて、僕の肩に手を置いて「スゴイじゃないか、プレストン!観客全員がすべての歌詞をシングアロングしてたぞ!」って激励してくれたのを鮮明に記憶してる。ステージ上でも感無量だったけど、ソングライターとして、それほど嬉しいことはない。だから、みんながコーラスを歌えて、気分がアガルような曲を書くことは、心掛けている。僕らはポップ・バンドじゃないけど、観客との一体感も生まれると思うし。
――プロデューサーに、ローリー・アトウェルとフックウォームズのMJを起用したのは?
プレストン:ローリーの場合は、元カノが彼とも付き合ってたから知ってて…。あと、僕の知り合いがヴェロニカ・フォールズにいるんだけど、彼らのアルバムもプロデュースしてるし、素晴らしいエンジニアでもある。MJは、以前ルイと一緒にいくつかデモを作ってるから、その繋がりだね。僕が住んでるロンドンのエリアの音楽好きが集まったコミュニティって感じで、気の知れた仲間と音楽に取り組めて良かったよ。それに友達だからギャラも比較的安いし(笑)。
――アルバムの日本盤には、ボーナス・トラックが3曲が収録されていますね。
プレストン:そう、ニック(ホジソン / カイザー・チーフスの元ドラマー)と一緒に作った。ニックは世界一スウィートで、彼のことが大好きなんだ。オーディナリー・ボーイズについてや、活動を再開しようと思ってる理由とか、彼がなぜもうカイザー・チーフスをやりたくないのか、とか色々話合ったり…。
ニックは、ついこの間まで彼女と一緒にアルバート・アルバートっていうバンドをやってた。アルバムも出来上がって、バンドとしての勢いもついてきてたんだけど、解散したみたい。ある日「やっぱりスタジオ・ワークの方が好きだから止めた!」ってメールが来て。逆に僕はスタジオに籠りすぎて、ハッピーじゃなくなったから、「何で?」って思ったけど、そういうことを踏まえて、腹を割って話せる友達なんだ。
ボーナス・トラックの件は、彼に「手伝ってくれる?」って聞いたら、快諾してくれて、出来上がった。僕がすべての楽器をプレイしてて、前のアルバムと似たような感じで作られた。新作のためにデモはたくさん作ったんだけど、それをそのままリリースするのは嫌だから、いくつかアイディアもあるし、いっそ新しい曲を作って、アルバムとは少し趣向が変わったスペシャルなものにしようと思って。
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今後もアルバムを作って欲しい、と言ってくれるような人々がいれば、
時間を作って、バンドの活動を続けていこうと思ってる
――10月~11月には大規模なUKツアーが予定されていますが、リハは既に始めているのですか?
プレストン:全員バラバラの場所に住んでるから一緒には出来ないけど、一応アルバムを聴きながら、ギターとか自分パートの練習はしてる。もう少し日が近くなったら、今チャーリーが住んでるコーンウォールにみんなで集まって、1週間みっちりとリハをする予定なんだ。改めて日程を見た時、かなり過密でビックリしたよ。「スケジュールは空けてるから、ブッキングはヨロシク。」って頼んだら、このザマだ(笑)。
――ほぼ連日ですもんね。
プレストン:クレイジーだよ。この前「11月のツアー・スケジュール、ヤバくない?」って友達に言われて、その時は「そんなことないよ、大丈夫さ。」とか答えてたけど、改めて確認したら相当ヤバイね。30日間で3日しかオフがないとか。でも、今からすごく楽しみにしてる。
――日本でもまたライブが観れるのを楽しみにしてます。
プレストン:そうなんだよ~。実際に新作を作リ始めて、時間やお金、余力がかかりすぎて、全体的にハードになった時…その当時はちゃんとリリースされるかも分からなかったし…僕らを奮い立たせていたのが、また日本へ行くことができるかも、という想いだったんだ。
――デビューからの3~4年の間に、何度も日本に来てて、思い入れもあるでしょうしね。
プレストン:最後に行ったのが、2006年だったと思うけど。その間に何度も行き過ぎて、甘やかされすぎたって、感じだよね(笑)。
――当時のことで何か憶えていることはありますか?
プレストン:一番憶えているのは、あの巨大な野球場でプレイした時こと!
――2度目の【SUMMER SONIC】の時ですね。
プレストン:そうそう!あれは僕の人生の中で最もアメイジングだった瞬間の一つだよ。あと、クラブに行ったのも憶えてる。あの時はカサビアンと一緒だったかな。街中もまるで迷路みたいで、すごく印象に残ってるし、イギリスでは買えないようなクールものがたくさんあって…。
――プレストンは精力的に日本語を話してたイメージがあるのですが、未だに憶えてる日本語ってありますか?
プレストン:ちょっとだけ。「ミンナ、○○○?」
――え?
プレストン:ジャンプしてって意味のやつ。「ミンナ、ハネロ?」
――あぁ、なるほど!
プレストン:後は、「イキカタガワカリマセン」っていうの。
――難しいフレーズも憶えてますね。
プレストン:まるでオウムのようにみんなが言ってること真似してたから。そういう点では、他のメンバーも僕に頼りっきりだったし。時間がある時に、復習してみようかな。
――今後はバンドとソングライターとしてのキャリアを両立していくのですか?
プレストン:11月のツアーが終わったら、また曲を書き始めようと思ってる。あ、来年、すでにいくつかエキサイティングな予定が入ってるんだ…。このアルバムにかなりの時間を費やしたから、みんなも仕事に戻らないとダメだし。でも、今後もアルバムを作って欲しい、と言ってくれるような人々がいれば、時間を割いて、バンドの活動を続けていこうと思ってる。
――最後になりますが、リアリティTVに出演して、いわゆるセレブの仲間入りをした時期がありましたよね。未だに自分やバンドのイメージがそれらの出来事に影響されていると感じますか?
プレストン:うん、影響されてると思う。理由の一つとして挙げれるのは、3rdアルバムは、オーディナリー・ボーイズじゃなくて、僕のソロ・アルバムとしてリリースすればよかった、と少し後悔していること。元々のバンドの音楽性と異なっていたのに、僕が無理矢理バンド名義でリリースした部分があるから。あのアルバムは、その“セレブ・フェーズ”がなかったら、生まれなかった作品。
でも、自分がどう思われてるか、っていうのを客観的に判断するのは難しいな。YouTubeのコメントを見ると、「クソだ。」とか書いてあるけど、ライブに来てくれる観客は楽しんでくれてる。一番重要なのは、そういったことにも関わらず、今も音楽を作り続けられていることだね。
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