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テイク6 来日記念特集 ~ “ブラック・ミュージック”的奥行きが作った極上のエンターテイメント・ショウ
究極のコーラス・ワークを聴かせてくれる、米アカペラ・コーラス・グループ最高峰の呼び名高いテイク6。デビュー・アルバム『テイク6』がいきなりプラチナ・ディスクに輝き、一躍大ブレイク。その完璧なヴォーカル・テクニックと美しく重厚なハーモニーで、これまで計10個の【グラミー賞】を獲得した実力派だ。2015年10月には、ビルボードライブにて来日公演を控える彼らの絶えず前進し、進化し続けてきた、これまでのキャリアを振り返る。
デビュー前~アラバマの学校からショウ・ビジネスの世界へ
テイク6の始まりは、1980年、アメリカはアラバマ州ハンツビルのクリスチャン学校、オウクウッド・カレッジにまで遡る。あのブライアン・マックナイトの兄でもあるクロード・マックナイトを中心に“ジェントルメンズ・エステート・カルテット”という4人組が学内で結成。学内のバスルームなどで練習を重ねる中で、マーク・キブル、そしてマーヴィン・ウォーレンが加わり、名前を“アライアンス(Alliance)”と変え活動を本格化していった。アライアンスは主に教会などを中心に活動。その後、1985年頃、先に卒業したメンバーと入れ替わる形で、アルヴィン・チアー、セドリック・デント、デイヴィッド・トーマスが加入し、初期のメンバーが固まることとなる。
その後、アライアンスは当時ワーナー・ブラザーズ・ナッシュビルのディレクターだったジム・エド・ノーマンの目に留まりレコード契約を果たす。イーグルスの作品のストリングス・アレンジの仕事などでも知られ、当時はカントリー系アーティストのプロデュースを多くこなしていたノーマンは、アライアンスのヴォーカルを、それまで聴いたものの中でも最高の一つとして評価。このノーマンを魅了した初期アライアンスのデモ音源は、(出どころは怪しいが)現在Youtube上でも聴くことが出来る。音質はやや粗いが、デビュー・アルバム『テイク6』で魅せた極上のサウンドの基礎が、この頃から完成されていたことがよく分かる音源となっている。
当時、ゴスペル系のレーベルとの契約を望んでいたアライアンスであったが、自分たちの音楽に乗せてキリストの教えをより多くの人に届けるチャンスだと考え、ワーナーとの契約を選んだ。そして、契約後すぐに同名のバンドがいるということで、グループ名をテイク6に改めることとなる。
デビュー期~1stアルバムで早速のグラミー賞、スパイク・リー作品への参加
1988年、テイク6はノーマンをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、デビューアルバム『テイク6』をリリースする。前進グループから数えれば既に5年以上、当時のメンバーとしても2年近くを過ごしていたメンバーによる一作は、デビュー・アルバムにして驚異の完成度を誇り、見事チャートインも達成。さらに翌年のグラミー賞で〈ベスト・ゴスペル・パフォーマンス〉〈ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス〉等3冠を獲得。極めつけに〈ベスト・ニュー・アーティスト〉へもノミネートされ、華々しいデビューを飾った。
純粋なア・カペラ・スタイルによる『テイク6』は、いま聴き直しても素晴らしい完成度で、これ以上足すことも引くことも想像し難い“テイク6・スタイル”が展開されている。アルヴィン・チアーの歌うどっしりとしたベース・ボイスを基礎に、緻密にコーラスを積み上げるスタイルは、その後のア・カペラ・グループの潮流にも大きな影響を与えた。
この時期の、今となっては意外な仕事の一つが、スパイク・リーが手掛けた伝説的コメディ映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)への楽曲提供。パブリック・エネミーの「ファイト・ザ・パワー」で始まるこのサウンドトラックは、“ヒップホップ・カルチャー”の名作としても有名だが、テイク6のような一見口当たりの良い表現も、実はファンクやヒップホップのお隣さんのような感じで、互いに感化し合える位置で関わっているということは、ブラック・ミュージックというものを理解する上でも重要なことのように思う(もちろん、逆もまた然りだ)。
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公演情報
Take6
Billboard Live Tour 2015
ビルボードライブ東京:2015年10月5日(月)~7日(水)
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ビルボードライブ大阪:2015年10月8日(木)~9日(金)
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INFO: www.billboard-live.com
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