Special
『CHEERZ HOUSE』夏奈子(東京CLEAR'S)青山玲奈(フラップガールズスクール)舞波和音(Stand-Up! Hearts)共同インタビュー
グループもキャラも全く違うアイドル3人の共同インタビューハウス『CHEERZ HOUSE』。記念すべきオープンタイミングで参加してくれた3人は、大好きな家族を亡くしても、メンバーが卒業してしまっても、活動がなかなか思い通りに行かなくても、泣きながら前へ前へと突き進んでいく、愛とパワー溢れるアイドルだった。
ひとつ屋根の下でアイドルとしての喜びや苦しみ、そして未来への希望を語り合い、自分の生き方や歩む道を再認識していく、台本なしのアイドルドキュメンタリー。ぜひ覗いてみてください。
参加メンバー:
夏奈子(カナコ/東京CLEAR'S)
青山玲奈(アオヤマレイナ/フラップガールズスクール)
舞波和音(マナミカズネ/Stand-Up! Hearts)
Episode 01.Story until the idle(アイドルになるまでの物語)
--今からここ『CHEERZ HOUSE』で共同インタビューを受けるということで、まずはそれぞれ自己紹介をお願いします。
夏奈子:お掃除ユニット東京CLEAR'Sの班長“ちゃんかな”こと夏奈子です。 青山玲奈:フラップガールズスクールのリーダー“れいにゃん”こと青山玲奈です。 舞波和音:Stand-Up! Hearts“まなみん”こと舞波和音です。--みんなそれぞれなんでアイドルになろうと思ったんですか?
夏奈子:私、ユニットの中でも最年長でして、小学生のときにSPEEDさんやモーニング娘。さんが流行った世代なんですよ。それでアイドルにはなりたかったんですけど、山口県出身で田舎だったので芸能人を目指すような環境がないし、その夢を誰かに教えるのは恥ずかしいし、そのまま二十歳まで過ごしちゃって。でも東京に出てきたらお掃除ユニットに出逢って、今に至る感じです。 青山玲奈:私はとにかく小さい頃から歌とダンスが好きで。好きな歌は洋楽が結構多かったので、日本のアイドルっていうものがどんなものか分からなかったんですよ。だから海外のアイドルみたいな存在をイメージしていて、アイドルになるイコールそれみたいな。だからフラップガールズスクールに入ってからなんです。日本のアイドルグループがどんなものなのかを知ったのは。--イメージと違ってて戸惑いませんでした?
青山玲奈:イメージと違いました(笑)。でもすごく楽しいです! 舞波和音:私も小学生の頃からモーニング娘。さんに憧れていて、今、夏奈子さんの話を聞いてて勝手に運命を感じていたんですけど(笑)、でも元々引っ込み思案で。アイドルには憧れていたんですけど、私も実家が田舎だったので「どうしよう? どうしよう?」って迷っているうちに時が経って。でもどうしても「1回はステージで輝きたい」と思って、大人になればそういう感覚は無くなるかなと思ったんですけど、まだ全然あったので思い切ってオーディションに応募したんです。それで、今、Stand-Up! Recordsの研究生1期生としてステージに立ってるので、まだまだなんですけれども、夢の第一歩が叶っているのでとても楽しいです。--憧れのアイドルについて聞きたいんですが、夏奈子さんと舞波さんはモーニング娘。のどんなところが好きになったんでしょう?
夏奈子:小学生ぐらいだったので、メイクとかヘアスタイルとかにも憧れてて、後藤真希さんとか茶髪や金髪だったりしたので、そういう見た目から「可愛いなぁ!」「華やかだなぁ!」と思って観てました。 舞波和音:私は加護ちゃん(加護亜依)、辻ちゃん(辻希美)が好きでした。あんなにクルクルな髪型なんて小学生のときは出来なかったので、すごく憧れていました。--青山さんはどんな海外のアイドルに憧れていたんですか?
※Britney Spears - ...Baby One More Time
--もう諦めてるんですか?
青山玲奈:諦めてないです! 日本のブリトニーになりたいです!--アイドルになるまではそれぞれどんな女の子だったんですか?
夏奈子:私は可愛くなくて、ガサツで、おじさんです。 一同:(笑)--アイドルになるまではおじさんだったんですね(笑)。
夏奈子:俗に言うギャルみたいな。「いぇーい!」みたいな。「海行く? いぇーい」みたいな。アイドルから掛け離れてました。可愛いことをするということに一番遠い娘に育ってましたね。田舎で「目立ちたい」って思うとそっちに行っちゃうんですよ。で、私はタレントになってからアイドルになったちょっと特殊なパターンなんです。普通は若いうちにアイドルやってからタレントになると思うんですけど、私は歳を重ねてからアイドルになったパターン(笑)。 青山玲奈:私はずっと目立ちたがり屋で、学校で劇をやったりするときも主役しかやらないタイプ。それでダンスもやってるような、そういうガツガツした小学生時代があったんですけど、中学生になったら思春期でめっちゃ太って! 今の何倍以上も太ってて、顔パンパン過ぎて、卒業写真の流出とかしたらヤバイと思います。もう写真一面が顔!みたいな感じだったので。でもそのままじゃ体が重くてダンスも出来ないから、高校生になってから頑張ってダイエットして。なので、中高時代は“デブとダイエット”しかない(笑)。今と15キロは違いましたね。 舞波和音:私は典型的なオタクで干物女でした。今もなんですけど(笑)、中学校、高校と友達とマンガを持ち寄ってずっと読んでました。休み時間とか。美術部で絵をずっと画いてたんで、そこでもマンガとか画いたり……私の青春にスポーツとか海とか花火大会とかは全くなくて、ずっと家にいました。マンガの中のスポーツは好きなんですけど、私は運動神経が格段に悪かったんですよ。だからサッカー部とかテニス部で活躍している子を見ると「良いなぁ~」って。--どれぐらい運動神経が悪かったんですか?
舞波和音:50m走って平均は女子でも8秒とか9秒だと思うんですけど、私は10秒以上かかってて、100m走に関しては途中で止まってました。 一同:(笑)--100m走、完走できず。
舞波和音:それぐらい体力がなかったんです。でも今はダンスで体力もついてるんで完走できると思います!--皆さん、アイドルになるぐらいですから学校ではモテたりしたんでしょうか?
青山玲奈:私、デブだったんで(笑)。--夏奈子さんは?
夏奈子:いや、モテ……てたッスね。 一同:(笑) 夏奈子:他の中学校にファンクラブとか出来てました。 青山玲奈:えぇっ!? 舞波和音:凄いですねぇー! 夏奈子:プリクラ1枚で500円とか……--すでにプロじゃん(笑)!
夏奈子:いや、それぐらい欲しかったレベルで騒がれてたっていう!--舞波さんは?
舞波和音:人生にはモテ期っていうのが3回あるって言うじゃないですか。多分、その3回分を中学校のうちに使い切ったんで、その当時はめちゃくちゃモテたんですよ。全然ブサイクだったんですけど、何故か。それからは何もない。--アイドルになる前に使い切っちゃったっていう(笑)。皆さん、学校ではどんな存在だったんですか?
夏奈子:私は……--怖れられてた?
一同:(笑) 夏奈子:そうです! 違います(笑)! でも運動会で応援団長をやったりするのが好きで、イジメとかに遭って泣いてる子がいたら「誰にやられたの?」って聞いて、イジメた子を怒りに行ってました。よく注意してましたね。今の東京CLEAR'Sでのポジションと近いかもしれませんね。何にも変わってない。--なんでそういう正義感の強い女の子に育ったんですかね?
夏奈子:お父さんに「人に嘘つくな、人にお金借りるな」みたいな感じで、すごく厳しく育てられたんですよ。ご飯の食べ方ひとつ取ってもちゃんとしてないと注意されたり。なので、お父さんの影響が大きいと思います。--舞波さんは?
舞波和音:私は運動系で活躍できなかったんですけど、唯一頼られることがあって。それが文化祭のときで。絵が得意だったので、ポスターとかのぼり絵とか、そういうものは全部「舞波に頼もう」って言ってもらえて、それが嬉しかったです。いつもは地味で目立たないタイプだったので、絵が得意って分かってくれていて、それで頼んでくれるのが嬉しかったんですよね。--そんな皆さんがアイドルになったこと、家族はどう思ってたりするんでしょう?
夏奈子:応援してくれてます。私がこういう仕事に就くときから「アンタが夢持って頑張ってるのが嬉しい。頑張りんさい」って言ってくれていたので。 青山玲奈:私も家族にはすごく応援してもらっていて、いつもCDも買ってくれて。あと、先日、おじいちゃんが亡くなってしまったんですけど、おじいちゃんが亡くなる前にCDを渡したんですね。そしたら涙を流して喜んでくれたんです。いつも怒ってるようなおじいちゃんだったのに! そのCD、3rdシングル『羽ばたけ翼』がリリースされた日に亡くなってしまったんですけど……でもおじいちゃんもすごく応援してくれてたんだなって。亡くなった後もいつもおじいちゃんが見ててくれている気がします。 舞波和音:ウチの親も「夢があるならそれを追ってもいいし、やりたいようにやりなさい」って言ってくれているので、本当に有り難くて。ウチ、父親が芸人バリに面白い人で、今は離れて暮らしているんですけど、私が家を出て行くときに人通りのある大通りで「ウチの娘、頑張れよー!」って駆け寄ってきてハグをされて。それを「ここ日本だから」って引き離して(笑)「じゃあ、頑張ってくるから」って実家を出てきました。- < Prev
- Episode 02.Become a longing of idle
(憧れのアイドルになってみて) - Next >
関連リンク
Interviewer:平賀哲雄|Photo:内山直也
3