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ウィリアム・ベル 来日記念特集
派手なヒット曲こそないものの、今も多くの音楽ファンに愛されているソウル・マン、ウィリアム・ベルが2015年3月に奇跡の初来日を果たす。75歳を迎えたサザン・ソウルのレジェンドの記念すべき初上陸を前に、その足跡と近況を追う。
本人から届いたビデオ・メッセージ&最新インタビューも公開!
初期~終焉までを見届けたスタックスの生き証人
1939年、米・テネシー州メンフィス生まれ。地元の名門レーベル スタックスの看板シンガーであったルーファス・トーマスのバック・バンドからキャリアをスタートし、やがてソングライターとして同レーベルと契約、デビューを果たしたウィリアム・ベル。1961年のデビュー以降、スタックスが終焉を迎える1974年までの間に、32枚ものシングルを同レーベルから発表している。全米チャートTOP10を賑わすような爆発的なヒット曲には恵まれなかったものの、伸びやかで落ち着きのある歌声が魅力の“玄人好み”のシンガーだ。
キャリアの中で最もポピュラーなナンバーとしては、1961年発表のデビュー曲「ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター(恋を大切に)」が挙げられる。同曲はサザン・ソウルを代表するする名曲として、多くの人に歌い継がれている泣きのバラード。オーティス・レディングによるカバーを筆頭に、ジェリー・リー・ルイス、バーズ、タジ・マハール、そして80年代にはブライアン・イーノが映画のサウンドトラックのためにカバーを手掛けたりと、その顔ぶれからもジャンルや時代を超越して愛されているスタンダード・ナンバーであることが分かるだろう。
レーベルメイトとの共演も多数
生粋のスタックス・アーティストであるベルは、レーベルメイトとの共演も多数。なかでもディオンヌ・ワーウィックの義理の妹であるジュディ・クレイとは1968年にデュエット2曲を発表し、「プライベート・ナンバー」は全米では75位ながら全英チャート8位のヒットを記録している。とはいえ、チャートという観点においてのピークはスタックス時代のナンバーではなく、レーベル倒産後にマーキュリーへの移籍第一弾として1976年に発表された「トライン・トゥ・ラヴ・トゥ」。これまでベルが得意としてきた、サザン・ソウル的な“泣き”のナンバーとは一転、ポップス寄りの同曲が自身最高位となる全米10位、全米R&BチャートNo.1をマークしている。
ソングライターとしての功績
▲ 『ボーン・アンダー・
ア・バッド・サイン』
/アルバート・キング
ベルのソングライターとしての功績としては、1967年にブッカー・T・ジョーンズとのタッグで手掛けたアルバート・キングの「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン(悪い星の下に)」が挙げられる。同曲はクリームほか、日本でもRCサクセションが日本語でカバーするなど、ブルース&ソウル・クラシックとして多くの人に愛されている名曲である。ウィリアム・ベルによるスタジオ録音は残されていないが、1989年ブッシュ大統領就任の際に行われた記念コンサート『セレブレーション・オブ・ブルース&ソウル』で、ローリング・ストーンズのロン・ウッドとともに同曲をパフォーマンスしている映像が近年パッケージ化されている。
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来日公演情報
William Bell
Live at Billboard Live Tokyo
ビルボードライブ東京:2015年3月28日(土)~3月29(日)
>>公演詳細はこちら
INFO: www.billboard-live.com
関連リンク
ザ・ソウル・オブ・ベル
2012/10/03 RELEASE
WPCR-27531 ¥ 1,047(税込)
Disc01
- 01.エヴリバディ・ラヴズ・ア・ウィナー
- 02.ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター
- 03.ドゥ・ライト・ウーマン、ドゥ・ライト・マン
- 04.愛しすぎて
- 05.ナッシング・テイクス・ザ・プレイス・オブ・ユー
- 06.ゼン・ユー・キャン・テル・ミー・グッドバイ
- 07.エロイーズ
- 08.エニイ・アザー・ウェイ
- 09.イッツ・ハプニング・オール・オーヴァー
- 10.ネヴァ・ライク・ディス・ビフォア
- 11.ユアー・サッチ・ア・スウィート・サング
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