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「ソングライターでなければ、シンガーにはならなかった」― テイラー・スウィフト 最新ロング・インタビュー
今年10月にリリースされた5作目となるスタジオ・アルバム『1989』が、全米にて初週で約130万枚を売上げ、100万枚の週間セールスを3度記録した初のアーティストとなったテイラー・スウィフト。現在全米アルバム・チャートでは5週目の1位をマークしており、年内には売上300万枚を突破することが予想されている。これまでのサウンド、イメージを一新し、ポップ・ミュージックという新たな領域に足を踏みいれた彼女にとって新たな“挑戦”となった今作。そんな彼女にとって転機ともなった今年、米ビルボードによる【Woman In Music Awards 2014】にて、2度目の【ビルボード・ウーマン・オブ・ザ・イヤー】に輝いた。テイラーの25歳の誕生日前日に行われた授賞式では、今年大活躍したイディナ・メンゼル、アリアナ・グランデ、チャーリーXCXなどをはじめ、アレサ・フランクリンも表彰され、アレサがサプライズで“ハッピー・バースデー”を歌う一面も。そんな授賞式に先駆けて行われたテイラーの最新ロング・インタビューをお届け!
みんなを騙すことはしたくない―
マーケティングのプロが考えているより、リスナーは頭がイイから
??あなたがNYへ拠点を移したことが、色々と話題になっていますが、実際は数時間しか離れていないペンシルべニア州で育ったのをみんな忘れているようですね。
テイラー・スウィフト:そうなの、みんな知らないみたいね。ジャージー・ショアでは、毎夏過ごしたし。パフォーマンスすることが大好きだというのを初めて悟った時、演劇がやりたかったの。だから、幼少期はよくNY市内にオーディションを受けに来ていたわ。当時10歳だったけれど、16歳と同じぐらいの背丈で。でも役をもらっていたのは、22歳でも10歳として通用ような人だった。その後、NY市内でヴォイス・レッスンを受け始めたから、ママと一緒に毎回2時間かけて通って、様々な冒険をしたの。
数週間前に、ニックスの試合を観に行った時、周りに「初のニックス戦だね!」と言われたけど、初めてニックス戦に行った時の写真はちゃんと残ってる。12歳の頃で、ハーフタイム中に行われたタレント・コンテストに出場したわ。私はこの曲は「自分のクラスの好きな男の子について書いた曲です…。」って感じだったから、優勝したのは「New York, New York」を歌った子だった。
??『1989』に収録されている「Welcome to New York」のトーンについて批判されましたが、近年NY市内に住むことは生活面において厳しいという意見を聞いて、考え方は変わりましたか?
テイラー:もちろんよ。でも曲を書く時は、その瞬間の感情について書いている。その感情を捉え、それに値するような3分半の曲へ変えいく、それが自分がソングライターとして目的にしていることだから。みんなが目の当たりにしている様々なシチュエーション―経済的、政治的なものであれ、NY市すべてに1つの曲を当てはめるのは、少し音楽に求めすぎなんじゃないかな、って思うわ。
私は、NY同様に音楽業界の現状に関しても、オプティミズムと熱意を感じてる。この2つの現状を楽観視しているのは、ごく少数派よね。もし、そういった状況に陥らず、逆の考えを持っているとしたら、私が歌っていることに共感できるはずだわ。
??テイラーの場合、市内を移動するだけでも大変そうですが、市内でよくやることやお気に入りの場所はありますか?
テイラー:私が唯一行けないのは、人が多すぎて、何かあったら将棋倒しになりそうなカーニヴァルのような場所だけよ。以前、実際に経験したことがあるの。でも、カーニヴァルやお祭りなんかは大好きだから、残念。自分の人生が普通じゃないって、認めたくないの。今は認めているけれど…、いつも大体騒動になっちゃうからって、食料や日常品を買いに行くことは止めないわ。もし家庭ができたら、不便さについて考えると思う―なぜたくさんの男性が自分たちにカメラを向けて、周りの人々がじろじろ見ているのか、4歳児に説明しないといけないと思うから。現状では、自分だけだし、友人たちも理解してくれているから大丈夫。もし友人たちが、それを不快に思ったとしたら、自分が重荷に感じると思う。
??『1989』をポップ・アルバムにするアイディアは、どのように形になっていったのですか?
テイラー:2012年にリリースした『RED』で、一番最後にコラボをしたのが、マックス・マーティンとシェルバックで、一緒にもっと色々なことやりながら、探究していきたいと感じたの。このアルバムの制作を始める時、彼らと最初に作業をしたかったのは確かで、そこから「ライアン・テダーと仕事が出来たら素晴らしいんじゃないかしら?」と考えた。その後、ジャック・アントノフとレナ・ダナムとビーチでくつろいでいた時に、大好きな80年代の曲について話し合ったの。すべて自然な流れで起ったことで、自分がポップな感性、ポップなフック、そしてポップ・ミュージックのプロダクション・スタイルに次第に惹かれているのに気づいたの。
スコット・ボーチェッタ(テイラーのレーベルのボス)の元に行って、「正直に話すけど、今回作ったのはカントリー・アルバムではないわ。少しもカントリー・アルバムの要素がないものよ。」と話したら、若干パニックを起こして、悲しみの様々な段階―懇願、拒絶などを表意した。「3曲でいいからカントリー・ソングを入れてくれないか?「Shake It Off」にフィドルを起用してくれないか?」って。でも、私の答えは断じてノー。明らかに1つのジャンルのアルバムを2つのジャンルにすることは不誠実だと感じたから。みんなを騙すことはしたくない―マーケティングのプロが考えているより、リスナーは頭がイイから。
??作曲の部分では?
テイラー:このアルバムは、ここ何年かの間に自分が向かっていた方向性を貫いただけよ。「I Knew You Were Trouble」は、大きなサインだったと思う。ああいう曲を作ったらみんな取り乱すんじゃないかと思っていたけど、結果としてポップ・チャートで7週連続1位になった。新しいことに挑戦したら、それが自分にピッタリだということに気づいた。だからこのアルバムでは、「前回挑戦してみたものがあるでしょ?今回は、それでクローゼットを埋め尽くすわ!」と決意したの。
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Photo: Sarah Barlow
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