2021/01/12 15:30
ボーカルはたったひとり、suis(スイ)だけだというのに、この1時間15分で何人かの物語を見た気がする――。2017年、コンポーザーのn-buna(ナブナ)がボーカル・suisに声を掛けて結成したヨルシカは、「作者が作品より前に出ないようにしたい」というアイディアのもと、表情を明かすことなくコンセプチュアルな作品を生み出してきた。2021年1月9日の横浜・八景島シーパラダイスを舞台としたアコースティック編成による初の配信ライブ【前世】。それはまるで、ここではないどこかの、自分ではない誰かの物語へ、心だけがタイムスリップしたような夢心地だった。
画面に流れるのは、青いライトの差し込む海中で泳ぐ魚たちの逆再生の映像。ずっとずっと昔へと巻き戻されていく。そこに浮かび上がってきたいくつものデジタルな時計のマークが一斉に急回転し始めると、突然現れた時計がカチカチと音を鳴らしながら6を指して止まった。それは、“6時から夜”という意味が込められているヨルシカのロゴマーク。
魚たちの遊泳する大水槽の真下、儚くも優雅でもある1曲目のインストゥルメント楽曲「Overture」を4人のストリングス奏者が奏でる。その横にはn-buna、サポートミュージシャン4人の姿。シルエットだけがうっすら見える薄暗い空間、片手で持ったマイクを口元へと近付けたsuisが〈変わらない風景〉とおもむろに口を開く。「藍二乗」だ。透き通る歌声と儚げに踊る回遊魚の群れとアコースティカルに洗練された音の飛沫がひとつになる。群泳する小魚が歌声を追いかけるようにデコレーションしていく。生命を彩る海、日常に寄り添う音楽に包まれたダイナミズムのある夜がここにはあった。
ヨルシカの作品には、楽曲単位というよりもアルバム単位で決まった主人公が登場する。例えば、3rdフルアルバム『盗作』なら、“音楽の盗作をする男”。アルバムに収録された楽曲と同様に、楽曲の主人公が憑依したかのように歌声が豹変したのは、流麗なピアノに加え、パーカッションとストリングスの音の交わりが寂しげに行進した「だから僕は音楽を辞めた」。心を震わせながら歌うsuisの奥には、この楽曲の主人公(エイミー)が佇んでいるようにも見えた。青いワンピースに身を包み、おろしたロングの髪が揺れるsuisは、裸足。センチメンタルな歌声からとめどない切なさが充満する。
〈ずっと前から思ってたけど 君の指先の中にはたぶん神様が住んでいる〉
愛を語るには十分すぎる繊細なフレーズを持つ「パレード」。ジャジーな演奏から繋げた「言って。」では、スパイスを効かせて。軽快な声のトーンからsuisの中の主人公がまたひとり変わったことを一瞬で飲み込むことに。
パーカッションが活躍する間、立ち上がったsuisがひとり向かった先は、ヴィンテージ感のある小物が置かれた部屋。リアルタイムの魚の群泳と演奏シーンが映り込むアナログテレビを前にアコースティックバージョンの「ただ君に晴れ」へと繋ぐ。その後、アナログテレビに映ったモノクロの雨がズームアップされると、ステージはモノトーンの光景へと転換した。椅子に座りながら歌うsuisのロングの髪が艶を帯びてグレージュに輝いていたのが印象的だった「ヒッチコック」を経てからは、元の場所へと戻るsuis。
燃え盛る炎のように赤橙に色付いた小魚の大群をバックにsuisの横顔のシルエットが重なった「春ひさぎ」でも、低音を心地よく響かせる「思想犯」でも、suisは、あくまで冷静さを保ちながら、カウンター的な要素を投入する。桜色のライトアップの中での最新曲「春泥棒」、浮かび上がるデジタルな時計のマークと海中が再び共存した「海底、月明かり」を挟み、ステージ中央へ立ち止まると、「ノーチラス」を歌い出す。
〈傘を出してやっと外に出てみようと決めたはいいけど、靴を捨てたんだっけ 裸足のままなんて度胸もある訳がないや どうでもいいかな 何がしたいんだろう〉
suisはこの日、確かにこの楽曲の主人公(エルマ)だった。ラストの「冬眠」へと溶けてからは、画面上にスタッフロールが流れ、次々と針の壊れたデジタルな時計のマークの数々が浮かび上がる――元の世界に帰ってきた。
大自然の生き物が発する生命の輝きをバックにするという作品に添うテーマで、ライブパフォーマンスをしたヨルシカ。楽曲の主人公の存在が飛び出してきたのも、ヨルシカの作品づくりに対するこだわりの表れだろう。Text: 小町碧音
◎公演情報
ヨルシカ【前世】
2021年1月9日(土)
OPEN18:30 START19:00
01. Overture
02. 藍二乗
03. だから僕は音楽を辞めた
04. 雨とカプチーノ
05. パレード
06. 言って。
07. ただ君に晴れ
08. ヒッチコック
09.青年期、空き巣
10. 春ひさぎ
11.思想犯
12.花人局
13.春泥棒 ※最新曲
14.海底、月明かり
15.ノーチラス
16.エルマ
17.冬眠
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